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[ 355] ITmedia News:「Blogがすべてだった」――20歳ガングロ社長の“ギャル革命” (1/4)
[引用サイト]  http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0505/23/news061.html

「ギャルだって頑張れば、デッカイことができるんだ!」――ギャル社長Blog「ギャルの革命」が人気だ。起業したガングロギャルが、長い爪をキーボードの隙間に挟みながつづるBlog。素直でパワフルな文章が、ギャルやオヤジを惹きつける。
「バカっぽいとかだらしないとか、ギャルに対する偏ったイメージに革命を起こしたい」――sifowの名で歌手・モデル活動を行うガングロギャル社長・藤田志穂さん(20)がつづるBlog「ギャルの革命」。ギャル文字の入り混じった文章には、出会った人、学んだこと、そして夢――“ギャル革命”への強い思いがあふれている。素直で真しな姿勢とその行動力がネットユーザーを引き付け、「人気Blogランキング」の起業・独立カテゴリで1位をとったことも。ネットで限定販売したデビューCDは、受注開始後8分で500枚売れた。
「常に今が一番楽しくいたい。今よりいいものを創造し続けて、いつも『今が一番!』と思えるようにいたい」と志穂さん
「自分で起業した会社で成功して、ギャルでもデッカイことができると証明したい」――志穂さんは語る。「汚い、うるさい、適当、だらしない――確かにそんなギャルがいることは否定しません。でもそんな“悪い”ギャルばかりじゃない。ギャルでも頑張れば報われるんだって証明して、みんなの背中押しできる存在になりたい」
高校1年生のころ、知り合いの紹介で運送会社のバイトを始めたが、初日から仕事が全くもらえなかった。「ガングロ、ピアス、茶髪のギャルに、できる仕事なんかない」――運送会社のスタッフはそう決め付けた。「志穂ちゃんに仕事ある人は?」――当時の所長はわざわざ、スタッフ全員にこう聞いて回った後、勝ち誇ったように言った。「仕事、ないって」
「むかつくけど、まあ、いいやと思って」。志穂さんは黙って、自分ができそうなことを探した。散らばっていた伝票を重ねたり、封筒にハンコを押したり――「小さい仕事をずっとやってたら、だんだんみんな、教えてくれるようになって。仲良くなれました」。バイトは3年半続き、その縁はギャル革命にも生きている。志穂さんのデビューCDを今、格安で発送してくれているのは、この運送会社だ。
高校でも、ギャルのイメージを変えようと頑張った。ギャルメイクで、毎日遅れず学校に行った。3年間、1日も休まなかった。それを教師が認めてくれた。卒業式で答辞を任されたのだ。「頭よくないし、ギャルだし、なんで私が?」と聞いた志穂さんに、教師は言った。「志穂みたいな子でも、皆勤賞できちんと卒業できるってこと、みんなに知ってほしいから」
大学には行かなかった。推薦で入れる大学もあった。親も大学に行ってほしいと願っていた。「でも大学入って卒業したら22歳じゃん。その間に何ができるの? みたいな」。高校卒業後は、運送会社のバイト、3年生から始めたモデルの仕事、ティッシュ配りの日雇いバイト――色々なバイトをこなしながら、何をしようか考えた。
“ひとりギャル革命”は、続いていた。「どうしても」と頼まれて、飲食店でバイトした時。志穂さんのネイルアートが飲食店にふさわしくないと、店長に言われた。爪のことは知っていながら雇ったのに、後になって文句を言い始めた。
「確かに、爪に嫌なイメージがある人もいるとは思う」と志穂さんは認める。「でも『爪カワイイね』と褒めてくれたり『青い爪の子でしょ』って覚えてくれるお客さんもいました」。人見知りしないフレンドリーな接客で人気者になった志穂さん。お客さんが、店長の前で爪をほめてくれることもあった。やがて、店長も爪を認めてくれるようになった。
ここまでは、1人で、自分のまわりだけで戦い、ギャルへの意識を変えさせてきた。でも、世間のギャルのイメージは、なかなか変わらない。
地震や洪水は「北京五輪マスコットののろい」? ネットでうわさに北京五輪の5つのマスコットの呪いが、中国で相次ぐ不幸な出来事をもたらした――そんな説がネットで飛び交っている。(ロイター)
ニコニコ動画、メディアアートの国際的な賞を受賞「ニコニコ動画」が、メディアアートの国際的な祭典「アルス・エレクトロニカ」のデジタルコミュニティ部門で、日本のサービスとして初めて受賞した。
YouTube、ホームページをカスタマイズ可能に過去の視聴履歴やお気に入りに基づいてアルゴリズムが推薦する動画も、ホームページに表示できるようになる。

 

[ 356] ニューヨークメジャーリーグ観戦のすべて MLBニュース情報
[引用サイト]  http://www.yankeesmets.com/

当サイトは、メジャーリーグを目指す野球少年や学生たちへ情熱と夢を抱き続ける一助となることを目的として、2005年の春に開設しました。ニューヨークでのメジャーリーグを楽しむために著者が集めたヤンキースや、メッツ、ニューヨークのメジャーリーグ情報を紹介しております。ニューヨークヤンキースに松井選手が在籍することになり、メジャーリーグは、日本でも馴染み深い存在となりました。メジャーリーグを、実際にその目で確かめて、ベースボールを体で感じて欲しいと思います。ヤンキースタジアムまでの地下鉄での行き方や、ヤンキースのチケットの購入方法など、実務的な情報も含めておりますので、実際に本場アメリカに足を運び、ボールパークでメジャーリーグを楽しめることと期待しております。 野球ランキング、野球狂の詩、mlbstadium.com、バレンタイン監督Web講習、メジャーの公式グッズ発売、ユニクロのチームウェア、ゴルフ予約は楽天Gora、筋肉トレーニング、筋トレ方法、スポーツ動画、野球用品
普通にヤンキース公式サイトからチケットを購入する場合は、Game Day Price の料金になります⇒ヤンキース公式サイトにある、ヤンキースタジアムでのチケット料金表。 フィールドなどの良い席は、正規料金でも一枚$400。高すぎです。ヤンキースのチケットは、レッドソックスに次いで最も高額と言われます。また、フィールドやメインボックスなどは、スポンサー席や、年間ホルダー席ですから、一般では購入ができないと言われています( 詳細 >> )。一階席などは、残念ながらチケットは一般には買えません。もっぱらブローカーや代理店に手配してもらうことになります。
よく質問のメールをいただきますが、ヤンキースのチケットを探している方がいましたら、メジャーリーグ観戦ツアーやチケットは、あっとニューヨークさんをオススメしておきます。ニューヨーク現地で評判がいい旅行会社です。ヤンキースやメッツの観戦ツアーなども随分古くからやっている老舗ですから安心できます。週末のゲームで何度かヤンキースのチケットを手配してもらったことがありますが、良い席を手配していただきました。観戦ツアーに参加するのもいいですが、ヤンキースタジアムへは、ツアーでなくても全然問題なく行けます。せっかくですから、チケットだけここで購入して地下鉄で行ってみてはと思います(ヤンキースタジアムの行き方)。なお、観戦ツアーやチケットなどは、当サイトで扱っておりませんので相談メールはお断りしておきます。
試合ハイライトは、こちらの方がたくさん見れますし、ヤンキース以外のレッドソックスや、マリナーズ、デビルレイズなどを含めてすべてのMLBゲームを確認できます。
どうやらバーニーは戻ってこないようですね。知り合いのレッドソックスファンでさえ大変残念がっていました。以前からイチローを欲しがっていたヤンキースですが、いよいよイチローを獲得する準備に入ったということかな。イチローも今年からセンターを守るようですし、イチローの値段は更にあがるでしょうね。単年20ミリオン(24億)が最低ラインで何年の契約になるかが焦点でしょうね。でもイチローを最も高く評価しているトーレ監督も契約は今年限り。来期もヤンキースの監督に就くのかな。

 

[ 357] 坂本衛 テレビ放送 地上デジタル放送 BSデジタル CSデジタル本当の話|すべてを疑え!! MAMO's Site
[引用サイト]  http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/

●以上は、よい技術、優れた技術を用いた製品が、「よい」「優れている」ことだけを理由に、簡単に普及するとは限らない実例です。もう一つの典型的な例は、もちろん地上デジタル放送。「ハードウエアに多額の投資が必要」「ユーザーが魅力を感じるような新機能が横長・高精細度・高音質以外にほとんど備わっていない」「煩わしい導入手順」「導入しなくても、日常のテレビ視聴に悪影響はほとんどない」「景気が厳しい」。どこか間違っていますか?
●原稿書き。15時半〜曽根宏、ビジネス社の岩谷健一と単行本のディスカッション@早稲田CEL英語ソリューションズ。終わって岩谷とお茶。18時半〜小川和久、新潮文庫編集部・青木大輔と『日本の戦争力』文庫化の打ち合わせ@もー吉2階松井部屋。サメの心臓てのを初めて食した。安部俊彦はマンボウ刺しとかフジツボとか、たまに妙なものを出す。年内には文庫版が出るでしょう
●紹介しなくてはと思っていて、忘れていました。首都圏向け地上デジタル放送電波を送出するために建てる墨田の新タワーの名称は「東京スカイツリー」だと。そんな名前などどうでもよくて、問題はこの読売記事(6月11日付)のラスト1行「新タワーは来月着工し、2011年12月に完成する予定」。あのね、現行計画によれば、日本全国でアナログ放送を停止する期限は、2011年7月24日なんですよ。600m級のタワーがなければ、地上デジタル放送は関東平野の周辺部でうまく映らない(関東地方の地上テレビをデジタル化する条件は600m級タワー建設だと、地上デジタル放送関係者の全員が主張していた)。そのタワーは12月まで建たない。アナログ放送は7月に止まる。じゃあ、2011年7月から12月まで、関東平野の周縁にあって東京タワーがよく見通せない(タワーからの距離が遠い)家は、テレビなしか? そんなアホな。だから、2011年7月24日段階で、アナログ放送の完全停止はありえません。絶対に延長します。そんなことは、地上デジタル放送が始まる前に出た『GALAC』2003年10月号に、私がちゃんと書いた。現在テレビで流れている2011年デジタル完全移行キャンペーンは、早ければ2009年春にも止めるでしょう。国民を騙すかたちになるのを解消するのは、早ければ早いほどよい(それが国民のためにも放送局のためにもなる)と私は思います
●朝8時頃から小一時間、岩手・宮城内陸地震関連のテレビを見る。中継をはさみつつ、スタジオから地震のメカニズムを落ち着いて伝えたフジ「とくダネ!」が断トツでよかった。【1】何十万〜何万〜何千年という地球・日本列島・地形形成のスケールからすれば、今回のような山崩れはよくあること、【2】揺れの周期が長かったため木造家屋の倒壊が少なかった、との趣旨。ピーコはじめコメンテーターの質問も的確。日本では、2000年以上の間隔で動き文献記録のない活断層は、活断層には数えていません。また、日本列島に3000年以内に1度動く活断層が3000か所あるとすれば(そのくらい当然あるでしょう)、毎年一つや二つ動かないほうがおかしい。私たちは、そのような地震国に住んでいるのだという自覚と備えが必要です
●たいへん気になったのは、情報ニュースやワイドショーの記者・レポーターらの過剰な形容詞や、推測を含む余計な形容の言葉。たとえば「自衛隊や消防による懸命の救出作業が続いている」「必死の作業が続けられている」「想像を絶するものすごい山崩れ」などとというが、「懸命」や「必死」は余計です。あれは彼らの当然の仕事であって、「警察官が懸命に交通整理をしている」「機動隊が必死に検問している」とはいわないからです。「想像を絶するものすごい」も、口にする者の想像力が欠けているだけの話。自衛隊員にマイクを向けて「懸命にやっております」といわせるのはよい。被災者に「この世のものとは思えないものすごい揺れだった」といわせるのもよい。しかし、記事やレポートは「事実を(主観的に)伝える」ことに力点を置くべきで、その主観は、他のさまざまな見方や批判にさらされても耐えうる報道者としての確たる主観、間違いないと思われる事実に裏づけられた主観でなければならない(このことを「客観的に」と表現する人が多いが、「主観的に客観的に伝える」ことになって混乱を招くので、私は客観という言葉を使いません)。たとえば、救助隊100人が作業しているとして、「懸命」や「必死」は、100人の一人ひとりの内面に立ち入った表現であり、100人の集団を外から眺めただけでは、確かな事実かどうか十分に確認できない。それなのに「懸命に(必死に)作業中」と表現すれば、表現者の推測や意見をはさむことになる。通常、レポーターや記者が現場のドタバタの中でたまさか口にする推測や意見など、ロクでもないものに決まっているから、それは口にするなという話。少なくとも「事実と意見は分けよ」とは、報道の教科書に書いてあるのだから、「自衛隊や消防による救出作業が続いています」(以上、事実)、「条件の悪い中、必死の作業には、頭が下がる思いですね」(以上、意見)のように分けるべきです。「自衛隊や消防による夜を徹しての救出作業が続いている」とか「朝7時から救出作業が再開された」といえば、確かな事実しか述べていないから、間違えようがなく、見ている者の感情を不用意に刺激することもないわけです
●あと「情報」という言葉を、さもありがたい特別な言葉のように使う者が多いのも困ったこと。ただの「知らせ」という意味なんでね。ヘリからかな、「情報によると、××です」といった記者がいたが、ただ「××です」というほうが、短いだけマシ
●昨14日は、夜サッカーを見たあと、家人が友人の陶芸家・原田みどりと飲んでいるというので10時すぎ西早稲田かわうちへ。その息子の太(たい。この字だっけ?)もいて、店ではうちの息子がバイト中。そのうち娘も来る。父の日とかで、店主・渡部雄一が本マグロ刺しをドカーンと出し、1時頃までグダグダ飲む。笠間在住のみどりはうちに一泊
●昨日の岩手・宮城内陸地震は、なお死者・負傷者は増えると思いますが、震源が人がほとんど住んでいない山の中だったため、地震の規模の割に被害が少なくて済んだ。救助・復旧活動も迅速で、地震当日に、孤立した集落住民の多くがヘリで運ばれ、停電の復旧、断水対策の給水車出動、避難所でのケアなども始まった。揺れが強かった地域の住宅を担当者が回って耐震診断をし、「問題なし」とか「危険・立ち入るな」という紙を貼っていく活動も、翌日には始まって2〜3日で済ませると(頼んでもいないのに、地震の次の日に専門家チームが現れる)。避難所の公民館や小学校はびくともしていないし、毛布も十分足りている様子。いや、日本てのはなかなかすごい国だと、改めて思います
●こんな山の中にも橋をかけまくり、舗装してガードレールをつけた道を通しているんだと、土建国家ぶりにも感心しますね。あれ、全部直したらいくらかかるんだと心配になってくる。田中角栄の時代には、たとえば30戸しかない山村と下の町を結ぶために、何十億円かかけてトンネルを掘り、橋をかけ、道を通すということをやっていた。人口が減り始めた現在の日本で同じことができるか、私は疑問に思います。土木工事には30億円かかる。30戸に5000万円ずつ渡せば15億円で済む。ならば土木工事は放棄し、住民全員に村を捨て、町に下りてもらったほうがよいというような選択が、これからの日本には必要になってくるでしょう
●夜、NHKのETV特集「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを撮り続けた男」を見る。カティンの森事件(1940年、ソ連がポーランド将校ら2万人以上を虐殺した事件。このときワイダの父も殺された)の映画化(2007年の新作「カティン」)をきっかけに、ワイダのこれまでを振り返るドキュメンタリー。1970年12月事件へのワイダのこだわりが、よくわかった。これは、グダニスクなどの労働者デモへのポーランド政府・治安部隊による発砲事件。数百人が犠牲になったが、長く隠蔽され、犠牲者の墓すら消された。労働者たちは「ヤネクは死んだ。戸板に乗せられ聖ヨハネ通りを運ばれた」と、抵抗歌を歌い継いだ
●12月事件については、日本最大の百科事典の一つと思われる平凡社「世界大百科事典」を見ても項目すらなく、ポーランドの歴史の項に「食糧品値上げに反対するバルト海沿岸都市労働者の暴動」としか書いてない! ウィキペディア日本版にも項目がない! 実際には、1980年のグダニスク造船所の労働者ストにつながる重要事件で、このときワレサが登場し、自主管理労組「連帯」が誕生。81年にソ連の圧力で潰されかかるが、89年にはソ連・東欧圏初の複数政党制による自由選挙で勝利し、政権に参画する(90年に政権奪取)。つまり、70年12月事件は、東欧革命をリードし、ソ連崩壊を準備したポーランド民主化運動の、端緒となった事件の一つ。1968年のプラハの春(ソ連の軍事介入で挫折)などと並ぶ東欧の世界史的な事件なのです。アンジェイ・ワイダは、番組の中で「映画とは、あのとき何があったかを伝えるためのものだ」と述べています。ワイダへのインタビューを通じて、カティンの森事件について、とりわけ日本でほとんど知られていない1970年12月事件について伝えたNHKのETV特集を、私は高く評価します
●午前8時44分頃、居間で横になっていたら、かすかな揺れ。「地震だぜ。震度は1以下だな」とキッチンに立っていた家人にいうと、腰をかけしばらく様子を見て「本当だ。立っていたら気がつかないね」。その後、ベランダを片付けていたら家人が「東北で震度6強だ」というので、9時前後からテレビを見始める。最初はNHKを中心に震度情報の繰り返し。そのうち例によって、市役所総務課に電話して「被害は確認できず」の無意味なやり取りの繰り返し。震源は山の中なんだからヘリを飛ばさなきゃ話にならんと思っていたら、NHKがヘリ空撮を開始。ただ、最初は平地を映しており、やっぱり「変わった様子はない。車も普通に走行」と。10時近くなって、厳美渓(高校のとき学年旅行で行った。毛越寺《もうつうじ》なんかも)上流の土砂崩れ現場を生中継。TBSも10時すぎにはヘリ映像。官邸(官房長官会見)中継はTBSが最初から流し、NHKはちょっと遅れて録画を放映(10時25分頃)。10時半からの気象庁会見は、NHK、日テレ、TBS、フジ、テレ朝が中継
●午前10時半時点での私の見立ては、【1】阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)に匹敵するM7.2の内陸型地震。震源の浅さ(約10キロ)からも、狭い範囲で深刻な被害が出た可能性がある。山崩れ、生き埋め、山村の孤立などが発生していると思われる。【2】南関東直下や大阪直下のように大都市で同じものが起これば、死者1万超でも何の不思議もない地震だ。震源域に人口密集地が含まれないとしても、死者数十人規模、負傷者数百〜1000人以上は覚悟すべきだろう(2004年の新潟中越地震が死者60名以上、負傷者4800名。確認済みの死者は2名だが、そのような想定で対策を立てるべきだ)。【3】自衛隊災害派遣は当然。中越地震のときに出たレスキュー部隊もすぐ出すべきだ。なお、以上の根拠となる情報源は、すべてテレビのみです
●午前11時38分、市ヶ谷(うちの真南約1.2キロで、途中を遮る高いビルがないので、離着陸するのが見える)から飛び立った自衛隊の大型双発ヘリが神楽坂上空を東北方面に向けて通過。防災相ら政府調査団が乗っているヘリです
●日大授業。午前中のマスコミIIで、霊視者や霊能者のテレビ番組の話になり、「霊(魂)の存在を信じるか?」と大学生に質問したところ、驚いたことに1人を除き全員(10人弱)が「信じる」と答えた。1人が「自分はよく金縛りにあうが、それは霊のせいだと思う」というから、「ヒトというのは頭が痛くなったり突然卒倒したり(場合によりそのまま死んじゃったり)見てないものをまざまざと見たりする(たとえばリアルな夢)んだから、自分で(自分の体内の精神的肉体的作用の結果として)金縛りになることだってあるのでは。そっちのほうが合理的に説明がつくと思うが、なんで『霊(それも人間の霊)のせい』と決めちゃうの?」と。「別に霊がいてもいいんだけど、DNAが人間と98・何%か共通だというチンパンジーの霊もいる?」「当然、います」「じゃ、猿の祖先の霊は?」「いますね」「何百万・何千万年とさかのぼると、モグラみたいなネズミみたいな猿みたいなヤツなんだけど、そいつの霊もいる?」「と思います」「そうやって何百万・何千万・何億年とさかのぼっていくと、生命体というのは連続しているから、鳥もカエルも魚もそれぞれ死んで霊が漂うという話になるのでは。あなた、刺身のマグロとか食べるでしょ。食べられたマグロの霊は、きっとあなたを怨むと思うんだけど、それは取り憑かないの? あと、ゴキブリとか蚊にも霊があるなら、そいつらをおちおち殺せないじゃん。祟りが怖いからさ。ハムや牛乳もまずいよ。牛は自分の赤ん坊でもないのにおっぱいもまれて、お乳を絞られて、それを人間が飲むんだから、誰かの肩に怨みに思う牛が取り憑いていてもおかしくないのでは。なんで、霊能者にそれ(牛の霊)が見えないんだ?」(人類だけが死んで霊となるならば、最古の人類とされるアウストラロピテクスならば霊になって、その直系の先祖が霊とならない理由を教えてくれ)
●「霊視も、できるならどうぞご自由にと思うが、なんで彼らは世界的に重要な失せ者を見つけようとしないんだ? たとえば、イラクのフセインの居場所がわかるなら、あのときさっさと教えろ! その情報に基づいてアメリカがピンポイントでミサイルをブチ込んでフセインを排除すれば、イラク人を十数万人以上殺したイラク戦争をやらなくても済んだかもしれないんだから。何年も前の殺人犯とか被害者なんてどうでもいいから、頼むからもっと重要な失踪者を探してくれ。なぜそれをしない? 『霊視なんてウソだから』『本当はできないから』に決まっているじゃねえか」
●また別の学生が「身内の死ぬ夢を見て、それが正夢《まさゆめ》になるということがある。虫の知らせ、一種のテレパシーみたいなものはあるのでは?」「いや、『偶然』で説明できると思うね。地球上にヒトは60億人以上いる。それぞれ60億通りの夢を見るのか? そんなことない。身内が死ぬ夢、身内が生まれる夢、身内がケガする夢、成功する夢、失敗する夢、怖い夢、楽しい夢、苦しい夢、年寄りが(赤ん坊が、友だちが、悪人が、猛獣が、虫がetc.)出てくる夢、地震が起こる夢、性的な夢……、分類の仕方によるけど、何百通りとか1000通りという夢しかないだろう。で、1万通りに分類できる夢を見るとして、そのうち一つは父親が死ぬ夢、一つは母親が死ぬ夢だとするね。すると地球全体では何十万という数(66億÷1万=66万)の人間が今晩、自分の父親が死ぬ夢を見るわけだよ。そのうち数十人の父親は、実際に今晩か明日中に死ぬと思う。多くの人間は長くても3万日程度しか生きられず、そのいずれかの日に父親が死ぬんだから、当たり前じゃん(66万人が2万5000本に2本当たりの入ったくじを引くと52人が当たるというのと同じような話)。彼らは『正夢』を見たことになる(ここ10年で20万人近くが父親が死ぬ正夢を見た計算になる。母親やその他の身内を入れれば100万人どころではすまない)が、数学的・確率的には何の不思議もない。しかも、親が入院中なんて人は、親を心配しているわけだから、親がどうにかなっちゃうという夢を、親が元気な人や親をずっと昔に亡くした人よりも、よく見るだろう。すると、正夢を見る確率がグーンと上がるわけだ。テレパシーなんて使わずに、科学的・合理的に説明できると思わないか?」
●午後の授業ではアラン・レネ「夜と霧」(フランス語版)を見せた。「人間というのは、ここまでしょうもないことをやれるんだと、よく見ておきなさい。で、私はアウシュビッツを作ったヤツと、広島・長崎に原爆を落としたヤツは、五十歩百歩だと思う。私のオヤジ、君らのお祖父さんの世代の日本人は、こういうことをやっていたドイツ人と世界中でいちばん仲良しで、同じ陣営の味方としてこの前の大戦争を戦ったのだということも、忘れないでくれ」と。全人類必見のこの映像は、インターネット上に、タダで転がっています。Googleの検索窓に「you tube night and fog」と入れてご覧ください
●午前11時、田原総一朗、朝日新聞社・近藤雅人(「メディカル朝日」編集長)、朝日新聞出版・菊池聡と、朝日ギロン堂単行本化の打ち合わせ。家人を呼び出し、響でランチ。帰宅後、企画書づくりと明日の授業の準備
●夜、TBSの地震特番を見る。緊急報道スペシャル!総力取材!四川大地震密着30日&徹底検証!日本を襲うM8の恐怖。タイミングもよく、まずまずの中身。関東大震災時の東京各地の震度についてのレポートは、かつて入江、川、池、谷底だったような土地は地盤が悪く大きく揺れる、距離にしてほんの100m、通り1本へだてて向こう側とこちら側でも震度7〜震度5マイナス程度の差があったというもの。私も前から主張していたことです(当欄に、昔の地名を機械的に××1丁目、2丁目……6丁目などと変更してしまうのは、かつて池や川だった記憶も消去してしまうからよくないと書いたことがある)
●TBS番組のネタもとはこちら。大手ゼネコン鹿島の特集:関東大震災を知るの冒頭の図「関東地震における旧東京市15区の震度分布」。都内に住んでいる方は、これを十分吟味することを強くお勧めします。命にかかわる話ですので
●上記の震度分布図によれば、関東大震災のとき、東京中心部のうち震度7〜震度6強で揺れたと思われる主な地区は、おおよそ次の通り。台東区では清川(の職安)付近、千束(吉原一帯、旧千束池)、墨田区では東向島〜曳舟〜押上付近、江東区では菊川〜錦糸町付近、木場〜南砂付近、千代田区では三崎町〜西神田〜神保町付近(旧神田川または旧大池)、大手町〜丸の内〜日比谷(旧日比谷入江=昔は海だった)赤坂見附〜溜池付近(旧溜池)、東麻布2丁目付近(旧古川池)などです(該当する地名の地区の一部という場合がある。必ず地図で確認してください)。隅田川と荒川にはさまれた地区は、基本的に「洲」だから地盤が悪い。武蔵野台地を刻む河川の上、その流域、谷地、それらの川が途中で溜まって沼・池になっていた場所は、地盤が悪い。以前は海だった場所も当然、埋立地だから地盤が悪い。昔の川は、現在は暗渠《あんきょ=地下水路》になっているものがある。以上のような場所では、すぐそばの台地が震度5程度(大した被害は出ない)でも、震度6強〜震度7程度(家によっては潰れて死者が出る)で揺れる可能性がある。とくに古い木造で、2階で子どもが走り回ると揺れるなどという家は、崩壊する危険性がありますから、耐震補強と家具の固定が必要です。これら地域に建つ小中学校は、もちろん優先的に耐震補強工事をすべきです。予算がないならば廊下だけを鉄骨でブロックし、地震が起こったら揺れの大小に拘《かか》わらず教室から廊下に出る訓練をやったほうがよいと思います
●夜7時〜放送批評懇談会、選奨部門各委員長と事務局の懇親会@新宿東口美々卯(みみう)。藤久ミネ、橋本隆、兼高聖雄、坂本衛、事務局から中島好登、福島美子、久野明(音好宏は来るといっていて、料理が1人前ドーンと並んだがドタキャン)。坂本がギャラクシー賞に関するわけのわからない、または外部からわかりにくいことなどのメモをA4紙1枚にまとめ、もっていく。10時すぎ、藤久、橋本、中島、坂本の4人でで東口中央通りの何とかいうバー。1本1万円のワインを0時すぎまで
●秋葉原大量殺人事件、ちょっとどうかと思う表現ですが、敢えていえば「絵に描いたように象徴的な」事件と感じます。シナリオに書いたようといってもよいが、もちろん、あまりに露骨でひねりのかけらもないヘタな絵またはシナリオ。ストレートすぎるんだけど、それらしいもの・象徴的な道具立ては全部入っている
●ただ、秋葉原、レンタルトラック突入、携帯電話掲示板、ダガーナイフ(†←この記号がダガー)、サバイバルナイフ、サバイバルゲーム、リストラ(予告またはその誤解)、失業(の恐怖)、キレる若者といった象徴的な要素の多くは、原因でなく結果なわけです。サバイバルナイフ販売や掲示板を規制しようという考え方は、結果だけを問題視して原因を見ず、結果を規制して原因に手を着けないから、まったく無効。それをいくらやっても、この種の事件は絶対に減りません。(私は何年も前から、同じことを言い続けています。たとえばこれ)「人を1人以上殺した者は理由の如何《いかん》を問わず死刑」という法律を作っても、もちろん減りません
●私たちの社会に必要なことは、第1に、この種の事件の本当の原因を探ること(注:警察その他の調書を盗み読みして本を書いても、本当の原因を探ることには全然ならない)。第2に、いくつかの原因らしきものが浮き彫りになったら、その排除や是正に努めること。第3に、原因を取り除くのが難しいならば、この種の事件が起こりそうな場合に備えて、社会のセーフティネットを張り巡らせておくこと、です
●現在(10日午前中)までの断片的な情報を見る限りでは、犯人の男は多かれ少なかれ病的だ(とくに心的、精神的に。器質的に、たとえば脳に物理的におかしなところがあるかは、調べないとわからず、調べてもわからないかもしれない)と思います。非常に孤独・内向きで、コミュニケーション能力や問題解決能力に大きな欠陥があったことも確かでしょう。そのような人間を作っていったのは、本人であり、親であり、家庭であり、学校であり、会社であり、社会ですから、この男が秋葉原で無差別殺人を起こすに至る間の主たる環境については、十分検証すべきです
●以上が前項の第1なんだけど、第2が難しい。仮に(あくまで仮定の話)、「やっぱり親や家庭に大きな問題があった。幼児〜小学生期あたりに、社会的な人間としてのコミュニケーション能力の基本を身につけていないことが確実だ」との結論が出たとして、そういう親や家庭で育っている子どもが何十万人いるかもしれず、その排除・是正ってどうやるんだという話になる。母子手帳を渡した家庭に「親(になるための)プログラム」を実施するのも対策の一つですが、それに積極的に参加しようという若い親ならば、あまり心配ない。そういうのにひっかかってこない連中こそが問題なので。しかも、これからやるんだから、20〜30年かかってどうだという中長期計画であって、即効性はない(人づくりとか教育というのは、そういうものです)
●すると、もっとも効果的なのは第3でしょう。綱渡りの綱から落っこちちゃうヤツは、どうしてもいるんだから、落ちたときの安全ネットを何重にも張り巡らせておけ(もちろん、第2の中長期計画を実施しながら)というのが、私は現実的だと思います。ところが、これまた簡単ではない。日本では長い間、家族・親戚・一族・家長制といった血縁共同体と、向こう三軒両隣・長屋・ご近所・世間・村といった地縁共同体が、そのセーフティネットの役割を果たしてきた。多くの村では血縁・地縁が重なって強固な共同体を作っており、長老なんて相談役とか、兄い《あにい》とか兄《あに》さんなんて世話役とか、若衆宿・娘宿と呼ばれた一種の若者教育機関もあって、ルールを教え(性教育もやっていた)、逸脱する者を矯正していた。寺子屋も、貧乏人の月謝は払えるだけでよいという鷹揚《おうよう》なシステムながら、礼儀や行儀には厳格で、人の道や社会的ルールを徹底的に教え込んだ。五節句には赤飯や汁粉を出し、親たちも赤飯や煮しめを炊いて持っていくという、血の通った教育をしていた。ところが、そんな血縁共同体・地縁共同体が、明治以降の百数十年、とりわけ戦後60年の間に、急激に消滅してしまった。セーフティネットが全面的に消滅したわけです
●落語に、しょうもない遊び人が小父さんの家にあずけられてどうしたとか、「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」とかいう話が多いでしょう。しかし、うちのように父親が二人兄弟、母親が二人兄妹ならば、子どもには小父さんが二人しかいないから、あずける選択肢がほとんどない。うちのマンションは1階に大家が住んでいるが、普通のマンションには管理人はいても大家はいない、と。高度成長期までの日本企業は、終身雇用、日本的経営、家族主義など、血縁・地縁共同体の代理機能を果たしていたと思うけど、そんなのはナンセンスだ、グローバル化だ、企業はいかに儲けるかだ、企業は従業員のものじゃなく株主のもんだという話になって、このセーフティネットも崩れた。酒でも飲んで話そうやといってくれる上司もなく、会社員も孤独である、と
●ようするに核家族化、少子高齢化、都市化、工業化、情報化が、そのような社会をつくったんだけど、忘れるべきでないのは、日本列島に人が住み始めて何万年、縄文時代以降1万年、歴史時代以降2000年、どのスケールで見ても、日本人がそのように血縁共同体・地縁共同体を壊し、各家族バラバラで孤独に暮らした経験は、せいぜい直近の百数十年〜数十年しかないことです。だから、私たちは人間として、その環境にまだ慣れていないし、その環境に対応するシステムを構築してもいないのです。わけのわからん事件が頻発するのは当たり前だ、と私は思います。つまり前項の第3は、私たちの社会が抱えるきわめて大きな、国家的、歴史的な課題であって、文部科学省が「学校に地域の教育力を」などとかけ声をかけるだけでは、実現できるはずもない大問題。本来ならば、学者だの政府審議委員だのが、そういうことを主張すべきだと思うが、あんまり聞きません。きっと、何も考えていないんでしょう
●昨夜は、いまつくっている本の打ち合わせは3分ほどで、オーマイ、ソフトバンク、孫正義はじめネット、雑誌、本、新聞、テレビ、フリーランスの状況と今後につき、あれこれ話す。オーマイニュースの今後(なんで誰も取材しないの?)や『週刊現代』の瞬間最小風速も聞いたが、いやはや、私が思っていた以上のものすごいこと(数字)になっています。部門によっては、本当に落ちるところまで落ちると思います
●昨日観たアボリジニとは、エミリー・ウングワレー展@六本木・国立新美術館。エミリー・ウングワレーは、アボリジニ(オーストラリア先住民)の婆さんで、儀式のときボディ・ペインティングや砂絵を描く役だった。それが70歳を過ぎて、公的な一種の教育プログラムに参加して、最初はろうけつ染め(バティック)、ついでアクリル絵の具による制作を始め、1996年に約86歳で亡くなるまでの8年間に3000〜4000点の作品を残したと。とてもおもしろい。アクリル絵の具は(中高と美術部だったのでたまに使ったが)、水で溶いて描き、乾きが早く、重ね塗りが簡単(被覆力が大)。彼女に油絵の道具を渡したら、絶対にこの作家は誕生しなかった。油は乾きが遅く、1日に1枚なんて描けないからです
●ビデオを見ると、エミリーは外で(乾燥したオーストラリアでは、あっという間に絵の具が乾く)、カンバス地の上にあぐらをかいて、どんどこどんどこ描いていく。普通の油絵は、カンバスを木枠に張り、アトリエで立てて書く。だから上と下があるが、エミリーのは上も下もない。手元しか見ておらず、全体の構成にほとんど注意を払っていないように見える。乾いてからもう一度カンバス地の上に載って(油絵や日本画なら橋を渡して作業するが、そんなことはしない。犬が上を横切っても平気)違う色で点描したり線を書き足す作業はやっていて、そういうとき全体を眺めているとは思う。しかし、構成うんぬんなど関係なく、ほとばしるアボリジニの自然や大地への賛歌、祈り、夢といったものを、ただ画面にどんどこどんどこぶつけている感じ。その際、乾き加減のとき次の色で点描すると、地の色が少しにじんでおもしろい効果が出たりする。そういうのを、80歳近くになって、あれこれ開発していったんでしょう
●だから、アクリル絵の具を渡した絵画プログラムの指導員がエラいんだけど、あれこれ示唆もしたはず。そういうこと(示唆とか支援とか教育とか)を誰がどこまでやったのかについては、もっと情報を出したほうがよいですね。このページのビデオを見ると、エミリーのような婆さん爺さんが何人もいるようだから、共同作業が含まれるかもしれないと思います。3000〜4000点の中には贋作が多数含まれている可能性も大きいでしょう(新しすぎて鑑定が難しい。表側にはサインもないし)。モネの晩年を思わせるなんて解説がついていたシリーズは、私はつまらないと思いましたが、線だけで描いたものの一部は、李禹煥《リ・ウーファン》が和紙に筆でやってた仕事を、ちょっと思い出させたりもします。私は比較的初期の線と点描が同居している作品群がエミリーらしいと思う。あとはビッグ・ヤム・ドリーミング、これはすごいです
●老婆心ながらいうと、アボリジニの歴史を、少々かじってから見たほうがよい展覧会です。オーストラリア大陸に入った白人は、数十万人いたアボリジニの9割方をブチ殺しました。あそこはイギリスの流刑地で、本国を追われた犯罪者はじめロクでもない連中が、好き放題やった(アボリジニを狩りして殺した)。アボリジニは外来の病気と酒(アルコール)に弱いので、殺されなくても次々に死んでいった。確かエミリーの娘はStolen Children(盗まれた子どもら)の一人のはず。何とかプログラムというのも、その贖罪《しょくざい》の一環という側面がある。エミリーの祈りや夢には、呪いや怒りや悪夢が入っているはずだが、彼女はそんなのをぶちまけてはいないから(だから、すごい!)、見る者が想像するしかなく、ある程度の事情を知らなければ想像すらできない。エミリーはオーストリアでいちばん価格が高い画家などという解説ほど、くだらない紹介はありません(オーストラリアで初めて1億円を超えたとか、どこかに書いてあった)。そのカネの何%をアボリジニに渡した? 大部分を画商が取ったんじゃないの? 天才が現れたと大騒ぎした美術界の大半は、かすめ取った連中では? という話だからです。館内ビデオ映像にちらと出てくるエミリーの墓も、立派な石造りで場違いなこと甚だしく、気持ち悪いったらない。エミリーが、あれを望んだのだとすれば、耄碌《もうろく》しすぎと悲しむほかありません(私は周囲が勝手にやったことだと思う)。オーストラリア政府が先住民アポリジニに初めて公式謝罪したのは、わずか4か月前! 2008年2月13日のことでした
●展覧会後、目黒の香港園で夕食。母は「アボリジニを教えてくれたのはあんただから」誘ったという。80年代後半、パースに1週間ほど滞在して、土産にアボリジニの何かを買ってきたことがある。帰り際、香港園の社長が「何から何まで値上がりしているのに、メニューを値上げできない。従業員が多いから宴会が入らないと、フリー客だけでは赤字だが、宴会の(件数はともかく)人数が減っている」と嘆いていました。たとえば、以前は30人の宴会が17〜18人、10人超の宴会が数人というようなことになってきたと。そうでしょう。経済が急速に萎《しぼ》んでいる最大の要因は、サブプライムなんかじゃない。政治の停滞と政府・日銀の無策だと、私は思っています
●一昨日、岩本太郎に話したクイズ番組についての私の見方をまとめておきます。書いておかないと、すぐ忘れちゃうのでね。岩本が持っていた資料(テレビ情報誌なんかの記事が多かった)を見せてもらったが、私には現象面をさらったものばかりに思えました。「制作費が安いからクイズ番組が流行る」なんてのは、(その側面があるのは確かだが)一面的にすぎ、全然説明になっていない
◆【1】フジがゴールデンに連日クイズを並べているように、クイズ番組が多く、一種のブームだ。その背景には、昨今の世の中を覆う「ちょっと賢いのがイイ」ブームがある。トリビア、雑学、うんちく、脳力開発、Aha!!、パズルゲーム、クイズ──いずれも広い意味で同じトレンドといえるだろう。ようするに、巨大知(智)といえるものがなくなった(たとえば、地球の東半分を支配していた知の体系が崩れた。西半分の知の体系も資本主義どうなんの、次は帝国主義なんですかと右往左往)。東大に入るような知なんてのも難しすぎて全然ダメ。でも、ちょっと他人より賢くありたいという「小さな(ささやかな)知」「プチ知」ブームというべき状況があると思う。テレビは自らをそれに合わせ、同時にそれを演出している。「大それた夢は描かない。でも、幸せな結婚をして、小さくても家を持ちたい。で、ちょっと賢くありたい」というわけだ。雑学を教養と勘違いしている者も多いようだが、教養人だのインテリだのがいなくなって、雑学人がのしてきた
◆【2】では、最近のクイズ番組はどうなっているかといえば、過去の多くのクイズ番組とは別物。前項で述べた傾向をネタ・ダシに使ってはいるが、知や知識とは、あまり関係ない。典型的な違いは、クイズ回答者を見れば一目瞭然だ。『クイズグランプリ』『クイズタイムショック』『アップダウンクイズ』『クイズダービー』『パネルクイズ・アタック25』などは、回答者が一般視聴者。いま氾濫《はんらん》しているクイズ番組は『アタック25』を除き、回答者がタレント。言い換えれば、過去のクイズ番組は回答者は誰でもよく、現在のクイズ番組は回答者はタレントでないと困る。なぜか? 過去のクイズ番組は「クイズが主・出演者は従」、現在のクイズ番組は「出演者が主・クイズが従」だからだ。極論すれば、現在の多くのクイズ番組は、クイズを看板にしてあれこれ工夫しているが、根底のところでは、実はクイズなどどうでもよいと考えている番組なのだ
◆【3】じゃあ、ゴールデンに並んでいるクイズ系番組は何なんだといえば、あれは大きくバラエティ番組のクイズ部門。クイズではなく(そのようなジャンルが単体で成立しているのではなく)、バラエティという大ジャンルが(クイズとは別の理由で)成立していて、その中にクイズもあれば他の何もあると考えるべきだ。大前提として、本質的な意味でテレビはバラエティである。とくに民放は、CMの最大視聴者を取る放送局が最大利益を得るビジネスモデルだから、必ずバラエティ化する(それは、民放の「原理」「公理」と直結した「定理」のごときもの)。ニュースがバラエティ化してけしからんというのは、テレビがわかっていない連中のあさっての見方だ。その「バラエティ全般はどうなっているか?」を語らずして、クイズ番組は語れない
◆【4】バラエティ全般についていえば、これが私のいう「ひな壇バラエティ」と化している。司会以外の出演者が2〜3人や5〜6人なら、ひな壇にする必要はない(男雛女雛《おびなめびな》だけなら、壇飾りにしない)。つまり、出演者が10人以上と多い。そして、出演者同士の掛け合いに重きが置かれる。クイズであれば、「わかった! お前まだできないの?」とか(正答者先抜け方式。別室や別のひな壇に集めて居残り組を笑う、正答者にとっておきメニューを食わせるなど、パターンはいろいろあるが同じこと)、突拍子もないバカ回答をみんなで笑うとか(そのための記述式パネル)、誰かがいきなりキレるとか、中尾彬や江守徹が若いヤツに説教するとか(近ごろは伊吹吾郎なんかも)、中村玉緒がブッ飛ぶとか。彼らのうち俳優・歌手出身でない者はリアクション・タレントと呼ばれ、顔や身体全体の表情、当意即妙の受け答え、気の利いた一言といった刹那的な「芸」で評価される。仕切り役(司会)がきわめて重要なので、これは紳助、たけし、所、クリームシチュー上田など、デキるヤツがやるか、伊東四朗クラスがやる。どこかに1か所、司会すらも凹《へこ》ます部分を作っておく。別にネタはクイズでなくてもよい。ひな壇の前で若手芸人が芸をやってもよい。みんなでVTRを見てもよい。司会とのトークだけでもよい。このスタイルのバラエティ番組は、(1)大物を使わず出演料が安い、ロケが不要など制作コストを抑えることができる。(2)テーマは何でもよく、企画を立てやすい。(3)どこから見ても途中でやめても先週見逃しても、別にどうってことはなく、その軽さが視聴者のニーズに合っている、などの理由で隆盛を極めている。そのなかで世のトレンドに合ったクイズをテーマとする番組のウェイトが高まっており、実際に視聴率20%超の番組があるため、みんなが柳の下のドジョウ狙いをしているわけだ
◆【5】さらに、テレビというのは、視聴者より少ししょうもない(見る者よりちょっとヒドい、ちょっとバカetc.)くらいがウケる。『渡る世間』効果(『隣の芝生』でも『積み木崩し』でもいいけど)で、うちの婆さんは(うちの嫁は、うちの使用人は……)あれほどひどくない、という効果によって見られ、視聴者を安心させ、ホッとさせている部分が大きい。クイズもそうで、視聴者が10問中平均3問しか正解できないクイズ番組など、成立しない。8割方わからないと、チャンネルを替えられてしまう。「なんだ、小学生レベルの問題ばかりじゃないか」と思う人が多いだろうが、わざとそこまでレベルを落とす。そして、視聴者が「自分は、こんなにバカじゃない」と思える回答者を一定割合で入れておく。これが最近ではバカ競争になってきた。本来ならばクイズ番組はいかに賢いかを競うはずだが、いかにバカかを競っている
◆【6】もっとも、何でもかんでも「何?」とたずね、わけを知ろうとするのは、人間が生来持っている興味、感覚であって(好奇心)、クイズ番組というのは、その点で多くの人の琴線に触れるのだ、といえる。このことは、過去・現在を問わずクイズ番組に共通する。文につける記号の代表的なものに「?」と「!」があるが、同じような感覚・感じを表す記号というのはほかにない。ないでしょう? つまり、テレビ(新聞でも本でも雑誌でも)は、いかに番組に「?」と「!」を入れ込んでいくかが、重要なテーマなわけだ。クイズ番組は、テレビにおける「?」実現の代表選手で、もっとも典型的なテレビ番組の一つといえるだろう。クイズ以外の番組でも、小物とか写真とか数字なんかを出して「これ何でしょう?」、フリップに伏せ字を作って「何が入ると思いますか?」などと、話(視聴者へのつかみ)のきっかけにしているのは、そういうわけなのだ
●昨秋からこのサイトにupすると何度か書き、この半年ほどちょっと忙しくて放ってあった「地上デジタル放送2011年7月24日完全移行は不可能(断念必至)・地上アナログ放送延長へ」原稿は、近々『放送レポート』に掲載する予定です。同誌掲載号の次号が書店に並んだ段階で、当サイトにupします。「3年後の期日に間に合わなければ、延期すればいい」と、私は総務大臣経験者からも、総務審議官経験者からも直に聞いていますから(ということは、言わないが総務省官僚もそう思っている)、もちろんそうなります。その総務大臣、総務審議官の名前も、本人が出してよいと言えば、原稿に書きます
●テレビはつまらない、くだらない、馬鹿バカしいと嘆く人が多いが、もちろんよい番組は少なくありません。放送批評懇談会はじめいくつかの放送関係団体は、そのような番組を発掘し賞を贈る活動を続けています。しかし、地方発であったり、視聴率が期待できないという理由から、東京キー局はあまり放送しなかったり、放送するにしても深夜遅くだったりするわけです。結局、受賞して評価が高かったテレビ番組をふつうの視聴者が見る機会は、あまりないということになります。ですから、今回のNHKの番組は、たいへん意義深い企画です。NHKが民放番組をそのまま流すという意味でも、画期的な企画といえると思います。通常は、著作権やスポンサーの問題があって、このような企画は通りません。今回は、民放側が民放連会長のトップダウンで実現したと聞いています。NHKと民放の英断に敬意を表します
●日頃テレビはつまらない、くだらない、馬鹿バカしいと少しでも思っている方は、ぜひ、ご覧ください。年間365日、全国各地で放送されているテレビの中で選りすぐりの数十本(うち7本は全編、他はダイジェスト)です。その水準の高さに驚かれることと私は信じます。つまらない、くだらないと文句を言うだけでは、テレビはよくなりません。視聴者は、専門家がよいと評した番組をもっと見て、目を肥やすべきだと思います。その目こそが、テレビをよりよいものにするからです
●昨日の当欄アスコム関係記事、一部箇所につき坂本の推測が強すぎるかと思い直し、少々修正・削除しました。大筋の趣旨は変えていませんが、あしからずご了承のほど
●ご心配いただいているアスコム(小林英史がコツコツ勉強しながらサイトに追加書き込みしております。数字の半角全角はもう大丈夫。ダサいのは仕方ない)について。ようするにアスコムは資金繰りがショートし、事業の一時停止に追い込まれ、多くの──ざっと4分の3以上の社員が会社を去りました(これについては、いずれ出版専門紙や『創』などで詳細を発表する機会があるかもしれません)。しかし、一部社員が中心となって新しい出資者の支援を受け、民事再生手続きがスタート。手続きは夏には決着し、新生アスコムが正式にスタートする(引っ越しをすませ、ホームページも作り直し、新しい体制で本格的に事業を再開する)見込みです。出版社の民事再生では、おそらく異例の早さで成功した数少ない事例の一つとなるでしょう
●当サイト「単行本の仕事」を見ていただければわかるように(ここ2〜3年忙しく、抜けている本がいくつもありますが)、私が担当し(書いて)アスコムから出した本は、ほとんど初版2〜3万部で、数万〜10万部近く出たもの(『反省』『日本の「戦争力」』『IT革命のカラクリ』『オフレコ!』別冊など)もいくつかあり、平均すれば実売3〜4万部のはず。そのような売れる本だけを出し、なかに『借りたカネは返すな!』50万部というようなベストセラーが年1冊(できれば2〜3冊)あれば、出版社は十分成り立ちます。アスコムは今後、そのような体制になります。それで、毎号十数万部というような雑誌を持てば(季刊でよいが、『オフレコ!』程度ではダメ)、編集者1人当たり売上高2億円も難しくない。坂本の持ち込み企画『日本の「戦争力」』だけだって、定価1680円で10万部近く出たんだから、出版社には数千万円以上入るわけで(デカい新聞広告をいくつか打てば軽くフッ飛ぶ額だけど)
●すでに書店から取り次ぎに対して「アスコムの本(売れ続けていたものが何冊もあった)は入荷しないのか」という問い合わせが殺到中らしく、『NHK英語でしゃべらナイト』『NHKためしてガッテン』(いずれも2008年春夏合併号)は5月末に発刊済み。近々そのほかの売れ筋本も順次、増刷をかけ、書店に出はじめる見込みです。坂本が関わっている企画では、竹中平蔵の本がすでに校正段階、続いて佐藤優の本2冊が6月中に脱稿の見込み。さらに、『オフレコ!』(本誌または別冊)企画もスタートしており、秋以降、遅くも年内には出せるでしょう
●いずれにせよ私は、雨降って地固まる結果となるだろうと思っています。なお、態勢が整い次第、田原総一朗、八木宏之、佐藤優、宮崎学、小川和久らアスコムの主だった著者による支援(たとえばサイトにメッセージを寄せてもらうとか、「支援の集い[注:お茶で乾杯し乾きものなんかを食う]+記者会見」を開くとか)を頼むことになるでしょう。もちろん水面下では、新生アスコムから出す本の準備が多数進んでいるほか、「ボランティアで社外取締役をやろうか」「この男に会ってみろ」などと心配してくれる著者が何人もいます。田原などは「大手出版社が何社も『オフレコ!』をやりたいといってきたけど、断ってるよ」と。んなこたぁ当たり前!! アスコム高橋克佳や私がさんざんやれとけしかけ、しかし田原はなかなか腰を上げず、奥さんを亡くした夏の終わり、最初に私に「気が変わった。やろう。やってくれ」と電話してきたんだから
●午後2〜6時、田原総一朗、アスコム高橋克佳・小林英史と打ち合わせ@ANAホテル。単行本予定と構成、新生アスコムの展開、政治情勢などにつき、かなり突っ込んで話す
●昨6月3日の「第45回ギャラクシー賞贈賞式/記念の宴」には多数のテレビ・ラジオ関係者や報道関係者のご参加をいただき、まことにありがとうございました。受賞作品はこちら
●贈賞式では、5時40分くらいから報道活動部門がスタート。私の講評は、おおむね以下の通り。「こんばんは、坂本です。手短に五つほど申し上げます。第1に、前回は地方自治体・議会の腐敗追及・告発もの、防災、環境の3ジャンルくらいに整理できたのが、今年はそうではなかった。テーマが広範で多岐にわたり、多様化した。これは歓迎すべきことです。第2に、キー局の頑張りが目立った。この舞台上に日テレさんとTBSさんがいるが、これは報道活動部門始まって以来初めてではないか。キー局の底力を見せつけられました。第3に、報道というのはある問題をキリキリ追いつめていき正義をもたらすというイメージがあるが、それだけではない。高齢者問題を、明るく、前向きに、プラス思考で扱って、世の中に元気をくれた報道があり、大きな収穫でした。第4に、地方局の連携に見るべきものがあった。九州の系列局が1年のまとめの報道をやる、県内のCATV局が連携して高校総体を伝えるというように。今後もさまざまなチャレンジを続けていただきたいと思います。第5に、これがいちばん大事なことですが、いくつかの報道のきっかけは視聴者からの手紙やメールだった。また、視聴者というか、告発者とまでは言いませんが「問題提起者」に寄り添って、大きな成果を上げた報道が多かった。視聴者との「共闘」する報道というか。これは「発表ジャーナリズム」の対極にあるもので、もちろん大企業でも役所でもない、庶民に寄り添う姿勢がよかった。ただ、寄り添いすぎてテレビ・キャンペーンとしては大成功でも、情緒的にすぎ報道とは言えないのではないかという応募作もあった。この、寄り添う対象との距離感の取り方は、報道の大きな課題でしょう。さて、長くなりました。今年度報道活動部門の大賞は札幌テレビ放送さんの『ニセコ町の果実酒問題をめぐる一連の報道』です。おめでとうございます!!」。このSTV NEWS動画で、トロフィーをお渡ししているのが坂本。そのほかの記事(宮〓あおい[〓は山へんに上が「立」下が「可」]とか相武紗季とか)はこちら
●続く宴会場では、民放連会長・広瀬道貞、NHK理事・放送総局長・日向英実(以上お二方は来賓として挨拶)、JVIG理事長・澤田隆治(乾杯の音頭)、日本印刷常務・猪俣公雄らとご挨拶。ATP理事長も務めた澤田隆治は「あるある問題、デジタル化、最近の経済情勢で、テレビ局の制作プロダクション締め付けが、きわめて厳しくなってきた。どうしようもない。廃業するところが出るよ。局は番組を作れなくなってしまう。先日、ある雑誌で座談みたいなことをやったんだけど、ヒドすぎて書けないんだ」。「じゃ、GALACでやりますか?」「あんたんとこも書けないよ」「いや、書けますよ。だって、全マスコミが沈黙し、総務省・全放送局・全メーカーができると主張する地上デジタル放送について、2011年7月24日までに完全移行できないと、計画が始まる前に書いたんですよ」「ああ、それは読んだよ」と。永六輔としゃべり込んでいた黒柳徹子には、「私50歳になりました」「あらそう」「で、いまを去ること38年前、私が小6のときですが、黒柳さんの番組に出ました」「あらま、NETの。あれ、私が初めて民放で持った番組よ」「坂本新兵ちゃんとか」「赤塚不二夫さんとか」「小学校の校門のところに黒塗りが来て、六本木に行った。優勝して、東鳩のお菓子と大塚商会の四角いカメラをもらいましたよ」「おやまあ、そうなの」「徹子さんに、ブタの絵を描いたサインをもらいました」「そうそう、あのころはブタを描いてました、私」。札幌テレビ放送報道制作局報道部課長・山谷博(報道活動部門大賞を受賞)、NHK広島放送局放送部番組制作担当部長・湯澤克彦(同選奨を受賞。じつは麻布同期)、ディレクター等健太郎、NHK報道局経済部・渡部圭司ほかとも話す
●6時35分〜8時「第45回ギャラクシー賞記念の宴」。司会:永田俊和、斎藤弘美。主催者挨拶:清水英夫。来賓挨拶:広瀬道貞(日本民間放送連盟会長)、日向英実(日本放送協会・放送総局長)。乾杯:唐澤俊二郎(日本ケーブルテレビ連盟理事長)。ところで、以上のような記述が放懇サイトに見あたらないのは妙ですね
●夕方、ひさしぶりに家人とえびす亭へ行く。ライムサワー300円を2杯注文すると、つまみ(小鉢に直径1〜2cmの新ジャガいっぱい)×2がついてくる。この小鉢だけでも300円で出す店は少ない。ウインナー、牛レバ塩、ポークカツ、牛肉薄切り炒め、ライス極小盛り、みそ汁2。当然、食いきれず、持ち帰りのパックをもらう。店主は昨年、軽い脳梗塞をやったそうだが、入院もせずリハビリもなしで元気に復活。ママも元気そう。「最近、菊地先生が来ない」とか「案山子は店を閉めた」など世間話。近いうちに一家で来ますと言って出る。平日はランチのみ(木曜定休)、土日祭は5時半〜6時半(すぐ店を閉めてしまうので、ご注意)。帰り、きらくのママとバッタリ
●11時半〜、グランドヒル市ヶ谷で小川和久とランチ。もろもろ打ち合わせ。確定したらお知らせしますが、単行本を2冊ほど企画中です。たまたま今日、イージス艦事故の犠牲者の葬儀があったが、事故についても話を聞く。厳重に見張りしつつ漁船にぶつかるなら、テロリストの自爆ボート突入は防げず、話にならん。あの海域で自動操舵は(他の護衛艦艦長の誰に聞いても)ありえず、話にならんと。「ボートを降ろすのに13分もかかった。お前ら、魚雷攻撃を食らったら総員退艦が間に合わず、みんな死んじまうぞ!」と海上自衛隊に言ったら、確かにマニュアルより全然遅いと頭を抱えたそう(倍近く遅いはず)。市ヶ谷駅前のオフィス・デポを覗いて2時半帰宅
●NHK会長は、今日は民主党総務部門会議でご説明し、ご批判を受けた。公明党、共産党、社民党ともやるつもりか? BBCは、自分のところの報告書をいちいち保守党・労働党に説明し、批判が多けりゃ作り直すなんてことを、マジでやっているのか? アメリカのテレビ局は? 日経サイト記事は「第三者委の報告書によれば、株取引に関する調査を認める委任状を提出しなかった職員が約940人いるという。自民部会と同様、同日の会議でも、81人が勤務中の株取引の経験があるとした調査結果に加え、多くの委任状の未提出を問題視する意見が相次いだ。」と書く。じゃあ聞くが、国会議員は自分や家族の株取引について第三者機関が調査するとなったら、全員が喜んで委任状を出すのか? 保有資産については? よく事後訂正があるから、自己申告でなく第三者機関の調査にすれば? NHK職員の株取引情報よりは、国会議員の株取引や保有資産情報のほうが、よっぽど公共性があるのでは?──NHKは「自分たちの職員にもやらせますので、国会議員の先生方の資産・株取引情報の第三者機関による調査・公表もお願いします」と、持ちかけてみたらどうだろうか
●それにしても、事務所経費の使い道すら、議会でナントカ還元水何百万と説明した国会議員がおり、こともあろうに当時の首相(安倍晋三)が「説明責任は果たした」などとかばっていた政党が、何エラソーなこと言ってるんでしょうね。田中角栄はじめ自民党の有力者はみな、手下の議員たちに盆暮れにカネを配っていたけれども、あの種の資金は1円も株取引に回わらなかったとでも? そんなことは、断じてありえない。たとえば私の父は証券会社におり、誠備グループの加藤嵩をよく知っていた。誠備が自民党××派のカネを回していたことも、私立△△大学の資金を回していたことも、むろん知っていた。当時の誠備の顧客にある有名人□□がいて、マスコミ取材に対して関係を否定したが、オヤジは「今日、加藤とメシを食ったら、□□を紹介されたぞ」なんて言ってたから、間違いなく顧客だった(1980年代の話ですよ)。脱税容疑で逮捕された加藤は黙秘を貫いて、男を上げましたけれども(なお、私は伏せ字にした実名を知っていますが、これはオヤジの情報であって私の情報ではないので、明かすつもりはありません)
●さきほど、TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ」の近藤夏紀から電話があり、NHKのインサイダー取引問題で出てきた勤務時間中に株をやっているヤツが多いという調査結果につき、話してほしいと。午後4時35分くらいから数分、しゃべります。おヒマな方はどうぞ
●【以下、この問題についての坂本見解】◆NHK職員というのはヒマなんだな、というのが第一印象。私などはテレビを見るヒマも寝るヒマもない。NHKにヒマな連中が多いのは、ムダな人間が多いということ。NHKは保有電波数・種類とも多く、図体が大きすぎる。もっとスリム化する余地があるし、もちろん受信料も大幅に値下げできる◆社員の株取引は、民放ではもっと多いだろうが、民放とNHKは違う。民放は、イヤなら見なければいいが、NHKはテレビ受信セットを設置した者全員から受信料を取る。NHKを見ない人からもカネを取る以上、民放より高い倫理観を求められることは当然だ。◆ひどいのは、インサイダー取引疑惑が発覚して、内部調査した。そのときより今回の第三者委員会の報告のほうが、勤務中に株をやった職員数・売買件数とも増えていること。NHKの自浄機能に問題があることは明らか。また、NHKは1月17日会見で「昨日知った」と説明したが、実は11日だったこともわかった。NHKの理事や会長は平気でウソをつくことが、よくわかった◆職員によるカネの使い込みが発覚し、当時の海老沢勝二会長が辞任に追い込まれたのは2004年夏から2005年1月にかけて。それ以来、なぜ不祥事が繰り返され、改まらず、問題が次から次へと出てきてしまうのか? NHKは「純粋、真っ直ぐ!」というようなキャッチを打ち出し、頑張りますちゃんとやります襟を正しますというが、口先だけの抽象的な約束にとどまり、改善が進んでいないように見えるのはなぜなのか? ようするに不マジメなわけだが、これはNHKにとっての本当の客は国民・大衆・視聴者・受信者であって、自分たちは彼らに対して責任を負っているのだという自覚が、NHKに足りないからだろう◆では、本当の客をないがしろにしてNHKが大事にしているのは誰かといえば、国会で予算を通してくれる議員たち。今日28日午前中も、自民党の総務・電気通信の合同部会があり、NHKの今回の報告書が議論された(NHK会長・福地茂雄が出席)。しかし、厳しい批判が噴出し、自民党はこれを了承しなかった。だが、そもそも自民党の先生方に了承してもらわなければマズいと思っていることが、マズい。この種の自民党部会では、『ワーキング・プア』はやめろだとか、NHKの番組内容に対する露骨な注文がつけられている(政治的介入が行われている)。この議員たちさえクリアすればいいという考え方が、すでにして誤りだ。これを改めない限り、何も改まらない。議員先生へのご説明より、自らの放送で人びとに説明し謝罪するほうが先のはずだと思う
●おおむね、以上のようなことを、適当に端折りながら話しました(荒川強啓もわかっていて、「じゃあNHKはどっちを向いているのか?」など、うまく合いの手を入れてくれた)。番組では聴取者の意見を募っていて、「NHKは必要か、必要でないか」を聞いた。すると、3人に2人が必要、3人に1人が不要という結果だったと。最後に、荒川強啓が「ずばり聞きます。坂本さんはどっち?」と聞くので、おおよそ以下のように回答。「断じて必要です。NHKは絶対に必要です。メディアは多様であるべきだからです。民放というのはCMを流し、広告でやっている。見る人が多いほど儲かる仕組みだから、視聴率が気になる。どうしても見る人が多い内容を流すことになる。それとは違う運営形態には、国営もあるだろうし、現在のNHKのように受信料でやっていくのもあるだろう。いずれにせよ、違うものがあったほうがいいのです。NHKを民営化すればという意見もあるが、これには絶対反対。というのは日本のテレビ広告費は年間2兆円とほぼ一定。民営化してもこれは増えないから、NHKと民放で分けることになる。NHKは受信料収入ほどは取れず、民放も以前ほどは取れない。だから、NHKも民放も減収になり、テレビ全体が必ず劣化します。それは、やってはいけない。私は、現在の受信料制度の形がよいと思います。NHKにカネは払う。その代わり、しっかり文句もいい、注文をつけていくというのがいいと思いますね」
●久しぶりに、ゆっくり。片付けや雑用。午前、田原から長電話(野村対談の進め方そのほか)。午後にも電話。なんか最近、朝起きると電話してくるような……。夕方6〜8時、麹町アスコム。その後、高橋克佳・小林英史と神楽坂・理清蘭。午前1時すぎまで
●15時半〜18時前、楽天監督・野村克也と田原総一朗の対談@ホテルニューオータニ(メイン16階ステラ星の間・有明)。コーディネーターはオーマイニュース代表取締役社長・元木昌彦(元講談社)。出版社はイースト・プレス。書籍二部から畑祐介(編集長)、山口久美子
●ビリチームの再生請負人・野村克也の話は、ムチャクチャおもしろい。田原も、いつも以上に熱心。終わり頃にはサッチーこと野村沙知代も来て、田原に「先生の司会する夜中の番組(朝生)、先生以外はおとなしすぎて全然ダメね。全然おもしろくないわ」と言っていた。ま、その通りなんですけどね
●元木昌彦とは講談社『現代』副編集長だった80年代半ばに初めて一緒に仕事をし(小林道雄の警察の話を手伝った)、『週刊現代』編集長のときも同誌に「東京破産!」(東京13号埋立地、つまり現在のお台場開発のデタラメにつき4回連載)なんて署名原稿を書いたことがあります(1991年かな)。誰も言わないから自分でいうと、これはなかなかの力作。当時の副知事・高橋俊龍が「なんてこと書いてくれたんだ! 議会で誤解されて、袋だたきにあう」と電話してきたが、「じゃ、議会向けに真意はこうだと、誤解を解く文書を私が出しますよ」と言ったら黙った。この原稿には、建設経済研の長谷川徳之輔あたりの見解も入れて、不良資産(後の不良債権)が最大100兆円分に達するかもしれないと書いてある(バブル崩壊後もその多くがゴマカされ、ようやく2001年以降に小泉純一郎と竹中平蔵が銀行に不良債権処理をやらせた)。幕張をやった梅澤忠雄も臨海開発にはボロクソ。早稲田の尾島俊雄も「あそこは防潮堤の外側。人間の住むところじゃない。共同溝(道路下に巨大な空間が縦横に広がっている)は、大地震でグズグズになる(一つ一つは壊れなくても、継ぎ目でズレてバラバラになる)」と言っていた。ウォーターフロント開発の推進者の一人だった伊藤滋は会わなかったが、周辺を取材すると「教え子たちが、あそこの絵を描いている。ダメと言えない」と口にしているとのことだった。梅澤が言って私が「なるほど、その通りだ」と思ったのは、「インフラ4兆、上物《うわもの》4兆という日本最大規模の開発に、日本を代表する都市工学家も建築家も誰一人として関わっていないなんてバカな話がありますか」と。あそこは、南端に凱旋門のような形のビルがあり、そこから北にメインストリートが通っている。その絵を描き、あの街の動線を考え、全体をデザインしたのは、丹下健三や黒川紀章や磯崎新といった日本が世界に誇る建築家たちではない。東京都港湾局が発注したシンクタンクや、その下請けのしょぼい建築事務所なのです。ヘンでしょう? そんなのは。しかも、上物4兆円分が立地すると勝手に決め込んで、インフラ4兆を先に造っちゃった。橋、新交通、共同溝……と、典型的な箱モノ行政の大博打《おおばくち》。高橋俊龍に「そんなのは民間の不動産屋の仕事ですよ。1000万都民の生活に責任ある東京都がやる仕事ではないはずだ」と言ったら、「だってしょうがない。東京都が不動産屋になっちゃったんだから」と言いました。おもしろいでしょ
●竹中平蔵と田原総一朗の対談本(アスコム)、本日脱稿。えらく時間がかかってしまった。単行本は引き続き、田原の対談本2冊(うち1冊アスコム)、坂本企画による小川和久の対談本(ビジネス社)、出版社未定のオリジナル企画本などを手がける予定(早いものは7〜8月、残りは年内)。1冊まるごと書くわけではないものは、『日本の戦争力 増補決定版』(文庫版)、田原の『週刊朝日』連載ギロン堂のまとめ手伝い(9月以降に刊)ほか。休刊のかたちとなってご心配をおかけしましたが、『オフレコ!』次号も秋に、遅くも年内には出したいと考えております。ご期待ください
●昨夜、テレビ朝日が四川大地震の報道特番。タイムリーな企画で、テレビ報道にいまもっとも必要な番組だったことは、高く評価します。ただ、日本での(視聴者の)地震対策として何項目か挙げたが、「家の耐震補強はカネがかかるから、ひとまず置くとして」というような言い方で、家具の固定を対策のトップとし、耐震補強を番外扱いとした。これは納得できません。地震で失われる命を救うためにもっとも有効な対策は、古い建物(学校その他の公共建築物も、個人の家も)の耐震補強であり、ほかにはありえない。「カネがかかる」という言い方は、政府や自治体が学校の耐震補強を先延ばしにする言い訳とまったく同じ。テレビは、政府でも自治体でもないのだから、彼らとは違う正しいことを言わなければ
●この番組を見て、「そうか、耐震補強をやってみるか」と思う人が何人かいて、「やっぱり、とりあえず家具の固定ね」と思う人も何人かいる。その人数によって、近いうちに発生すると思われている南海地震、東南海地震、東海地震、南関東直下型地震などによる死者数は、明らかに異なる。テレビは死者数を減らすことができる(阪神・淡路大震災のとき、もっとうまくやれば、減らせた)。この件では、日本で現在運営されているメディアの中で、テレビがもっとも多くの人の命を救うことができるのです。このことをテレビは、しっかりと自覚していただきたい(だから、私のサイトにはテレビの記事が多い。だから、私は放送批評懇談会に関わっている。新聞のほうが多くの命を救えると思えば、サイトにはもっぱら新聞のことを書くし、新聞批評懇談会に参加するに決まっているでしょう)。以下、坂本の見解を再掲します
●第一にもっとも重要な地震対策は、古い家の耐震補強をすることです。古い木造家屋は一〇〇万円程度の負担で倒壊を予防できます。行政の補助制度も活用してください。自宅の耐震性が心配な方は、必ず二階で寝るようにしてください。第二に重要な地震対策は、家具の固定です。上にのしかかってきたら大ケガしそうな家具は、L字金具やチェーンで壁や柱と必ず固定してください。第三に消火器や防火用水を常備してください。第四に、メガネや入れ歯をなくさないように。
阪神・淡路大震災で、餓死者や飲み水がなくて亡くなった人は一人もいません。非常食や飲料水の備蓄は、右の四つと比べればどうでもいい話です。【『潮』2007年12月号「市民講座」から抜粋。掲載原稿と一部異同あり】
●休日も仕事しているわけですが、新聞で過労死の定義・要件を読んだら、私なら365日いつ死んでも条件にあてはまる感じ。ただ、独立事業主なので、管理者ではあるが労働者ではなく、労働災害(労災)認定もなければ過労死もない。誰かに命じられて働いたり、ものを書いたりしているわけではないから、死にそうなら休めばいいので。賃金労働者(会社員や公務員)と違うのは、1か月休めば翌月以降、必ず所得が1か月分0円になることで、休めばいいってもんでもないんですけどね
●23日の会見は、放懇側の音好宏、兼高聖雄が欠席。名刺を交換した記者は、井上康太郎(共同通信編集局文化部=幹事社)、角谷正樹(時事通信社文化部)、堀内佑二(読売新聞編集局文化部)、草下健夫(産経新聞編集局文化部)、北野新太(報知新聞編集局文化社会部)、郡司美香(サンケイスポーツ編集局文化報道部)、村瀬信也(朝日新聞編集局文化グループ)。ありがとうございました。この会見内容は、6月3日のギャラクシー大賞発表とあわせて(つまり、会見そのものが3日の取材願いのようなもの)、4日以降の新聞に載る見込みです
●23日の会見後、5時半〜藤久ミネ(放送評論家、元・目白大学人文学部教授)、橋本隆(元・TBSスポーツ局長)、中島好登(放懇事務局長)、坂本衛で渋谷センター街の「魚や」(西武AB間の道が交番でVの字になるあたり。ハンズ方向に一歩進んだ左側)へ。橋本隆はイモ焼酎水割りを果てしなく、残り3人はウーロンハイ1〜2杯のあと冷酒「水芭蕉」2合を5〜6回お代わりまで数えていたが、これも果てしなく飲む。つまみは、焼き空豆、ゴボウ揚げ、鰺と皮はぎ刺身、ジャコ天、たこ沖漬け、おしんこ、厚揚げ、イカポタ焼き、塩から2など。10時すぎまで、放懇問題や選奨問題などにつき、談論風発というか、大激論というか。選奨の横(部門間)のつながりが希薄ということで、部門委員長と事務局の会合を藤久主宰・橋本幹事で開くことに決定。結局、藤久ミネに御馳走になってしまった。藤久、中島がセンター街でしっかと抱擁するなど、大酔っぱらい大会。藤久ミネを東横線の改札まで送り、11時頃帰宅。原稿書く時間が……
●昨夜は7〜11時、CEL英語ソリューションズCEOの曽根宏(中高の同窓)、早稲田大学大学院商学研究科教授の杉浦正和、ビジネス社の岩谷健一と西早稲田かわうちにて、日本人の英語についてあれこれ話し、おもしろかった。曽根がビジネス社から1冊(大ベストセラーを)出すことに決定
●以下は、本日配布するプレスリリースのうち坂本担当分です。番組についての言及は「応募作品」についてであって、必ずしも入賞作品について論じているわけではありませんから、誤解なきように。入賞作品リストは、放送批評懇談会サイトをご覧ください
「報道活動部門」は今年で6回目。放送における報道は、シンポジウムやサイトなどと連動する局を挙げたキャンペーン報道、系列局による総力報道、地域局が連携する報道、複数の番組で継続する調査報道、番組内の特集で伝えるスクープ報道、番組内のミニ・コーナーの報道など、番組単位でくくれないものが、少なくありません。そこで、「番組」を対象とする部門に加えて、「活動」を対象とする当部門がスタートしました。放送局の理解も進み、応募数も上向きになってきたところです。
また、【3】県内CATVが連携した佐賀総体報道、九州系列局が連携して1年の問題を問うた報道特番など、局を越える活動への模索が見られたこと、【4】高齢者問題をプラス思考で明るく前向きにとらえた報道が、爽《さわ》やかだったこと、【5】キー局が底力を発揮し、そのテーマについては全メディアをリードした報道があったことも収穫です。
また、果実酒問題の報道はペンション主人の主張を大きく伝え、エコ偽装は内部告発メールが、北九州放火殺人の検証は手紙が、報道のきっかけでした。【6】企画や取材の過程で視聴者の情報提供に大きく依存し、視聴者と局の連携とも見える報道が目立ったことは、特筆できます。行政や企業の発表に依存しない、報道本来のあり方だからです。
いずれも、局と地域に応じた個性が発揮され、強いヤル気が感じられる報道活動です。「低俗」「くだらない」というテレビ批判をよく聞きますが、報道活動部門の応募を見る限りでは、テレビ報道は頑張っており、大きな成果を上げています。告発者やコメンテーターへの依存過剰、おどろおどろしい証言者映像やBGMなど、情緒的な部分が散見されることは、相変わらずの反省点ですが、それを割り引いても、十分評価に値します。
放送の社会的・文化的な意義や、テレビ・ラジオ報道のあり方が語られることが少ない昨今ですが、私たちはこの賞を通じて放送局の報道活動を応援しつつ、放送ジャーナリズムの活性化を強く願っています。
●昨日記事の追加。民放は大地震を「だいじしん」と読むか「おおじしん」と読むか、当欄昨日の記事を読んだうえで、頼むから自分の頭で考えて決めてほしい。NHKの説明が学術学問的にも常識的にも間違っていることは明らかだから、「NHKがそう読んでいるから」という卑屈な態度だけは、避けていただきたい
昨年、テレビドキュメンタリーの歴史とその社会的な意義に深い関心をもつ多くの方々のご協力をいただき、「全国テレビドキュメンタリー'07年」が刊行されました。二十世紀から二十一世紀にいたるテレビドキュメンタリーの概観、現在放送番組センターで見られる1000本を超える作品一覧、07年度の全国の主要作品の内容紹介と台本集で構成されました。後代に残すべき史・資料の刊行を使命と考える大空社の並々ならぬ熱意によるものです。
番組制作の先頭に立ってきた木村栄文氏は、この企画について、「ドキュメンタリーの初めての本です」と言われました。多くの専門雑誌、新聞の書評では懇切に紹介され、高い評価をいただきました。
このたび、この「'07年」に続き、「全国テレビドキュメンタリー 資料編」3巻が完成しました。二十一世紀に入ってからのテレビドキュメンタリーの全容を網羅する大部のもので、22年にわたり蓄積され、現在川崎ミュージアムで見られる地方の時代映像祭参加作品、牛山純一主要作品の一覧が含まれています。価格は5万4000円です。
この"初めての本"は、出版界にとってはほとんど未経験の分野の商品であり、また、一般読者にとってはなかなか手の届かない高価なものです。これを、全国の読者、番組制作者、研究者の利用できるものにするためには、皆様の所属する組織の資料室、図書館と同時に、全国の公共図書館の力に依る以外にはありません。
幸い、これまで「全国テレビドキュメンタリー'07年」については、国内外の大学、研究機関への納入が行われ、同時に、各地の公共図書館が、閲覧希望者からの申し込みがある場合、この本の資料価値を認め、すぐ納入してくれています。
そこで、このプロジェクトの意義をお認めいただける皆様へのお願いがあります。それは、所属されている組織の資料室の納入と同時に、たいへんお手数をおかけしますが、お住まいの地域の図書館に、この「全国テレビドキュメンタリー 資料編」の1セットの閲覧申し込みをしていただけないか、というお願いです。
われわれの素人判断ですが、もし全国の大都市の一カ所の公共図書館に、各1セットの納入があれば、一般の認知の広がりと相まって、このプロジェクトは十分成立し、こんごの継続が可能となると考えられます。
しかし現在、書籍の市場は大変動期にあり、この"初めての本"の告知、普及、販売にとっては容易でない状況が想定されます。
今後、このプロジェクトを長期に持続し、困難な制作条件の下にあるドキュメンタリー制作者の皆さんを支え、視聴者にとって貴重な番組の存続・発展を図るために、ぜひ、この唐突なお願いをご検討いただけますようお願いする次第です。
ご多忙の中、たいへん恐縮ですが、以上のお願いにつき、格段のお力添えをお願い申し上げます。また、このプロジェクトにつき、ぜひご批評、ご意見をいただけますようお願いいたします。
●消費者庁:事故被害者らが首相に面会(毎日新聞5月19日)。パロマ湯沸かし器使用中の一酸化炭素中毒事故で次男(当時18歳)を失った母と、こんにゃくゼリーで長男(当時7歳)が窒息死した母が、行政機関の適切な対応で防げたかもしれない事故でわが子を失った悲しみを訴え、首相は来年度の消費者庁創設に向けて「作業は順調に進んでいる。必ず作ります」と応じたとの記事
●素朴な疑問があります。パロマ湯沸かし器の被害者遺族と、こんにゃくゼリーの被害者遺族は、消費者問題の同じ被害者なのか? 私は同一視できないだろうと思います。どちらの事故も「行政機関の適切な対応で防げたかもしれない」のは確か。しかし、そのこと以上に、前者の事故は「消費者が適切な対応を取りにくかった(または取れなかった)」が、後者の事故は「消費者(7歳の子どもに責任能力はないから、この場合は保護者)の適切な対応で防げたかもしれない」という点が、決定的に異なるからです
●こんにゃくゼリーで子どもが亡くなったのが、パロマ湯沸かし器で死者が出たのと同等の問題ならば、次のような問題は、どうする? 正月には餅をのどに詰まらせて亡くなる老人が必ず出る。仮にS社の切り餅が原因なら、これもS食品に対して消費者庁の適切な対応が必要だったという話になるのか? では、鏡餅が原因ならば? 近所の神社や町会やPTAの餅つき大会で配られた餅が原因ならば? スーパーで売られているこんにゃくは、こんにゃくゼリーより明らかに大きいが、これを詰まらせて亡くなったらどうする?──と、話はいくらでも広がっていく。すべて「行政機関の適切な対応で防げたかもしれない」と判定し、消費者庁には、子ども(何歳?)がのどに詰まらせたら窒息死を招くおそれがあるすべての食品につき、そのまま口に入れるものはのど直径(何センチ?)より小さく切るかトローチのように空気穴をあけよと指導し、切って食べるものは「のど直径(何センチ?)より小さく切るように」とパッケージに注意書きを記せと全メーカーを指導し、以上の指導が徹底されているかどうか四六時中監視させるのがよいか? 私は、それは消費者をますますバカな存在にしていき、しかも消費者庁1万人体制とか5万人体制という膨大なムダが発生する(どちらも消費者の利益にならない)から、絶対にやめてくれと思います
●消費庁を作ってもよいが、次のようなことが必要でしょう。【1】産業育成に主眼をおいて業界を規制・監督・指導し、引き換えに天下りその他の利権を得てきた既存官庁(農水、厚労、経産、国交、総務省など)からの、消費者行政の全面切り離し。【2】消費者行政における「消費者が適切な対応を取りにくい(または取れない)」事故と、「消費者(保護者を含む)の適切な対応で防げる可能性が高い」事故の峻別(前者は企業対策が主、後者は消費者対策が主)。【3】前者についてのメーカー監視と強制力の行使(事故情報公表・指導勧告・命令・告発などの大幅な権限の付与)。および、後者についてのメーカー指導と消費者への徹底的な啓発。【4】消費者庁の人数分(新たに民間から採用する高度な専門職は除く)、必ず既存官庁の人数を減らし、行政スリム化に逆行しないこと
●水俣病もエイズ薬害も、水銀で汚染された魚を食べたり(消費したり)、問題のある薬その他を使ったりして(消費したりして)死者が出たのだから、広い意味では消費者問題。しかし、被害者救済が遅れたのは、情報を握っていた国(官僚)が加害企業に寄り添う立場で、早い話、両者がつるんでいたから。そのように、悪いことをする国(政府)をチェックする機能がこの国にはない。議院内閣制によって、政府の長や内閣構成員と議会多数派が同じであるため、議会のチェックが効かない。内閣総理大臣の最高裁判事の任命権、最高裁判所の名簿に基づく内閣の裁判官指名権、行政優位の検察制度などにより、行政が司法に対して圧倒的に優位であるため、裁判所のチェックが効かない。私見によれば、以上は日本国憲法の最大の弱点の一つ。検察が公訴[起訴]した事件の有罪率が99%なのに、行政訴訟でたいてい国が勝つのは、以上の理由による。行政事件を除外し、重大な刑事事件だけに国民参加を求める現在準備中の裁判員制度は、私は馬鹿げていると思う
●以上の状況を少しでも改善するには、企業を育てる役所は徹底的に育て、企業の問題をチェックする役所は徹底的にチェックする保護育成と指導監督の別立て体制にしなければダメ。そうなっていないのは、日本の官僚制度がかかえる最大の問題の一つ。今回の消費者庁創設構想が、窓口一本化だの全国消費者センターからの報告吸い上げだのという機能に留まるならば、たいして効果はないでしょう
●漢字の「音」とは、中国風の読み方。呉音・漢音・唐音など(漢字が中国で読まれたり日本に入ってきた)時代によって異なり、また、どう聞き取ってどのカナを当てたかでも異なる。「音読み」は音によって漢字を読むこと。漢字の「訓」とは、日本風の読み方。漢字の意味に当たる日本語(漢字が入ってくる前からあった)を当てはめて読む読み方。たとえば、「大」の音はダイ(呉音)・タイ(漢音)、訓は「おお」きい・「おお」い。「地」の音はチ・ジ(呉音)、訓は「つち」。天地を「てんち」と読めば音読みで、「あめつち」と読めば訓読み。ただし、訓がない漢字(胃、絵、菊など)、音がない和製漢字(辻、畑、枡、峠、噺など)、音がほどんど使われない漢字(箱、皿、甥、姪など)もあり、全漢字が音・訓ともにあるわけではない
●上記サイト記事に出てくるNHK側の「『じしん』は訓読みですので、NHKでは、今も昔も『おおじしん』と読んでいます。なぜ『だいじしん』という人が多いかというと、『大震災(だいしんさい)』『大災害(だいさいがい)』など、災害に関する言葉を『だい』と読むのと関係があるのではないでしょうか」という説明は、もちろん間違い。決定的な誤りは、音読みである「じしん」を訓読みと言っていること(辞書を引けば誤りとわかる)。後半の推論も、人びとが長い歴史の中で自然に身につけてきた言語感覚、それに裏打ちされた慣行を顧みない、おかしな説明。そもそも、災害に関する言葉でも「大津波」「大火事」など「おお」と読む場合はある。また、災害にまったく関係ない言葉でも、昔なかった新しい言葉の頭に「大」がつけば「だい」と読む。大会社、大暴落、大恐慌、大発明、大発見、大波乱、大混乱、大事件、大恋愛、大部隊、大移動、大戦争、大激論、大演説、大至急……、いくらでもある
●これらの(会社とか恋愛とか、大をつける前の)言葉は、日本語(訓読み)に適当なものがないから漢字を組み合わせて新しく作った。その成り立ちによって、訓読み(例:買物)も音読み(例:読書)もあるが、音読みを採用したほうが簡潔で的確な言葉をどんどん作り出せる。だから熟語には音読みが多い。「読み終わった」と書くのが面倒くさいから「読了」という言葉ができたのであって、訓読みにこだわると造語できない(新語をつくる意味が薄い。たとえば「斜」という字を「ななめ」と読む言葉と「シャ」と読む言葉、どちらが辞書に多く載っているか、調べりゃわかる)。こうして作った音読み言葉に「大」がつけば、自然に「だい」と音で読むわけだ。カタカナ言葉は、さらに新しい言葉で音読みだから、すべて「だい」と読む(大ショック、大スクープ、大ブレーク、大ヒット……)。なお、「大」の物理的に大きいという意味が薄れ、程度がものすごいという意味の接頭辞として使うときも、「だい」と読む
●ただし、ひっかかる問題が一つある。「火事」は音読みの漢語なのに、大がつくと普通は「おおかじ」と読む。それで違和感がない(「だいかじ」は違和感がある。同じような音読みの漢語で「火災」の場合は、大をつけて「だいかさい」と読む。「おおかさい」は違和感がある)。つまり、言葉は、必ずしもつねにNHK『ことばのハンドブック』の記述通りに使われているわけではない。ならば、大地震を同ハンドブックの記述に反して(「従って」ではない!)「おおじしん」と読んでも、直ちに誤りとはいえない
●大火事に似た例を探すと、大喧嘩、大舞台、大勝負、大博打などが、いずれも音読み言葉なのに「おお」と読む。「火事と喧嘩は江戸の華」。江戸時代に日本語として十分なじんでいた言葉は、大を「おお」と読んで違和感がない。300年やそこら、そう表現してきたから、今日でもなじんでいるわけだろう(なお、似ているが大芝居は訓読みに大がついた言葉)。地震が、この類の言葉ならば、「おおじしん」と読んでもかまわない。そこで、古い文献に当たると、たとえば『日本書紀』推古天皇7年4月27日(西暦599年5月28日)の記述に、「地動(なゐふ)りて舎屋(やかず)悉(ことごとく)に破(こほ)たれぬ。則ち四方(よも)に令(のりごと)して、地震(なゐ)の神を祭(いの)らしむ」とあるようだ(どこかにある日本書紀の文庫本が見つからないので、ようだと書いておく)。つまり「地震」と書いて「なゐ」(または「なゐふる」)と読んだのは、かなり古い。いつから「地震」と書いて「じしん」と読んだか、調べようとしたが、すぐにはわからない。江戸時代末期(安政2年=1855年)の絵図や文献のタイトルには「関東類焼大地震図」「新吉原大地震大火之図」「安政二年江戸大地震附類焼場所図」「安政二年江戸大地震火災之図」「安政二年関東大地震並出火」「大地震出火図会」「大地震火事略図」などとある。これらを江戸の人びとが「おおじしん」と読んだのか、「だいじしん」と読んだのか、両方の読みが混在していたのか、今回はよくわからなかった(専門家の方、教えてください)
●もっとも当時「おおじしん」と読んだ人が多かったとしても、150年以上たった現在、そう読むべきだという根拠には全然ならない。現在「だいじしん」と読む人が多いのだから、「おおじしん」という読み方が次第に廃《すた》れていっただけの話だ。そして、言葉の読み方というのは、よしあしや厳密なルールによって決まるのでなく、大勢がそうしているという流行り廃《すた》りで決まる(だから例外が多い)。「だい」「おお」どちらで読んでも、正解という例もある(アラブの大商人《だいしょうにん》と大阪の大商人《おおあきんど》、大流行《だいりゅうこう》と大流行り《おおはやり》。ただし、音訓を混在させないルールは守られている)
●ようするに結論は、大地震は「だいじしん」と読んだほうがよい。そのほうが「漢語、漢字の熟語、音読みの頭の『大』は、だいたい『だい』と読む」という(やや曖昧だが原則的な)ルールに則しており、しかも、多くの人がそう読んでいるから自然であり、したがって人びとに違和感を与えることが少なく、混乱を生じないぶん子どもたちの教育上もよいからである
●総務省よお前もか 特定財源で映画鑑賞、野球観戦…(朝日新聞)。こんな連中が国民・視聴者・大衆無視で立案し、進めているのが地上デジタル放送(携帯電話を持っている人全員が負担している電波利用料は、そのために取り始めた)。予定通り、うまくいくはずがない!
●メディア関係者はじめ放送に興味ある方に、テレビドキュメンタリーに関する本のお知らせです。こういう本は、放送にとって極めて大切であり、貴重なものです。膨大で、たいへん手間のかかる(そしておそらくは、ほとんどおカネにならない)作業のうえに、ようやく成立しています。作業量と部数の関係で、どうしても高価な本になってしまい、個人にはなかなか手が出せませんが、放送局・制作会社・広告会社はじめ企業や大学は、6万円+消費税を出してそろえてください。また、個人の方は、お住まいの地域図書館で、購入希望書籍の紙や、貸し出し・閲覧申し込み票に、これらの本のタイトルを書いてください。そのことが、テレビを、放送文化をよりよいもの、より豊かなものにすることに必ずつながります。どうかよろしくお願いします
日本のテレビドキュメンタリーは、戦後の歴史を映像と言葉で生き生きと伝える文化遺産であり、また、不確かな情報の中で、もっとも信頼できる"時代の証言者"としての役割を果たしています。
全国の各地域の番組制作者が、毎年製作しているドキュメンタリー番組の数は、年間で1000本近いと考えられます。ところがその大半は、地域の視聴者に見られるだけで、全国の視聴者は、これを目にすることができません。
テレビドキュメンタリーという文化遺産は、その価値に接する機会を閉ざされたまま死蔵され、新しい創造の成果は、一般の視聴者の目に触れる機会を奪われています。
今回上梓される『全国テレビドキュメンタリー'07年』は、日本で初めての、テレビドキュメンタリーの歴史と現状を網羅する内容となりました。
『全国テレビドキュメンタリー』は、テレビドキュメンタリーの〈年鑑〉を意図しています。従って、'07年版の本書は、'06年中に放送された番組を対象とし、テレビドキュメンタリーの年間状況を具体的かつ多面的に把握し理解できるように構成してあります。
●原稿書き。夕方、放送批評懇談会理事会。終了後、岩本太郎と近所の中華屋。中島好登・福島美子も顔出し。夜12時前に帰宅。上記の本の責任編集、田原茂行と鈴木典之はお二方とも放懇会員で、ギャラクシー賞報道活動部門委員会の委員です(田原茂行は2年前から、鈴木典之は今年6月から)
●読売サイトによる四川大地震の現状(18日現在、中国メディアなどの報道などより)。死んだ家畜が1250万頭余というのには(数字が本当だったとして)、ニワトリは含むのか。メインは豚か。いずれにせよ、これは食える。というか、ものすごく食いでがある。到底、食いきれない。ちなみに日本全体の豚の飼育頭数は、2007年2月1日現在975万9000頭(畜産統計)。処理も大変だろうから、さっさとよく焼いてガンガン食って、余りは焼くか燻製にして保存しないと。もうやってると思いますが。ところで、農作物被害面積は「333平方キロ」。茨城・霞ヶ浦のほぼ倍、東京都内の農地面積のほぼ4倍、18キロ四方の広さの畑や田んぼということです。今後、さらに拡大するとしても、中国政府が新華社を通じて伝え、一部新聞が注釈なしにそのまま書いた「被災面積10万平方キロ以上」と比べて、異常に小さい数字。どちらかがデタラメの数字であることは明白
●東京新聞17日付朝刊一面には、「中国・四川大地震被害まとめ」(新華社による)として、小さな表が載っており、被災者1000万人超、倒壊家屋約313万戸、損壊家屋約1561万戸とあります。つまり、今回の地震で家屋約1900万戸が倒壊または一部損壊したと。被災者1000万人超は災害にあった人の数で、当然、家が壊れた人を全員含みますね。ということは、今回被害を受けた全家屋に1人ずつしか住んでいないとしても、900万戸が空き家のまま倒壊または損壊したことになる。実際には、家族で住んでいる世帯のほうが単身者世帯より多いだろうから、今回被害を受けた1900万戸の過半数が空き家だ。だが、中国はそんなに空き家が多いのか? 人が住んでいる家より、住んでいない家が多い? 全員が別荘持ち? んなバカな。逆に、被害を受けた家屋の数を信じるならば、被災者は4000万人以上でしょう。考えられる可能性は、被災者数がデタラメか、倒壊・損壊家屋数がデタラメか、被災者数および倒壊・損壊家屋数ともにデタラメか、三つに一つ。何度でもいうが、デタラメかもしれないことが明らかな数字は、「デタラメかもしれない」と注記のうえ掲載すべきです(注:被災者を、「死者・行方不明・負傷者+家屋全壊で家を失った人」の意味で使っている可能性はある。そうならば、そう書くべき。同様に被災面積なども、きちんと定義を書くべき)
この小中学校PTAの調査結果から、保護者の大半が、テレビ番組の子どもに対する影響を何ら心配していないことが浮き彫りになった。また、報道などの影響で世間一般には「子どもに見せたくない番組」と思われている番組でも、実は保護者の9割5分以上が、そうは考えていないことも明らかになった。
ほんの一握りの保護者の回答だけから作られ、多くの保護者の実態とかけ離れた「子どもに見せたくない番組」ランキングが一人歩きしてしまうとすれば、大きな問題だろう。(坂本 衛)
●私が気持ち、記事っぽく書けば、以上のようになります。見出しは、「保護者の大半、見せたくない番組『なし』──全国PTA調査」ってとこですかね。ところが、新聞記者が書くと、次のようになります。とりあえず見つけた四つだけですが、すべて同じ見出しなのが、絶望的に情けない。◆「ロンハー」子供に見せたくない番組V5(朝日新聞社サイト。ただし日刊スポーツの記事)◆子供に見せたくない番組、「ロンドンハーツ」が5年連続1位(読売新聞社)◆見せたくない番組 「ロンドンハーツ」が5年連続1位(サンスポ=産経新聞社)◆「ロンハー」5年連続1位=見せたくない番組−PTA調査(時事通信社)◆以上のカッコの中、最初はサイト名だけを書きましたが、他紙の記事をそのまま掲載している社があるので、より正確に書き直し(19日午後)
●母数を隠したりパーセンテージを隠したりして、アンケート結果の順位だけを伝えることは、統計を使ってウソをつく典型的な手法であり、悪質な騙しの手口です。テレビがそれをやれば、新聞はこぞって批判するのでは? それが、なぜ、紙面でこんなインチキを流通させているのか、私には理解しがたい
●このPTAのアンケート結果について、ランキングやパーセンテージだけ報道することが許されるならば、「現職の国務大臣(首相含む)に辞めさせたい者はいるか、いないか?」と1000人に聞き、「いる」と答えた者(仮に400人だったとする)だけにしぼって「2人まで名前を挙げてくれ」と頼み、その結果を「辞めさせたい大臣(首相含む)10人」として公表してよいことになる。このリストには、たとえば「(1)福田康夫(80%)」などと出るわけだ。その80%は、400人中の80%(320人)であって、最初の1000人の32%にすぎないが、そのことには一切触れない(国民の8割がそう思っているかのように、誘導する)。誰かがこの調査をやり、そのランキングとパーセンテージだけを新聞が伝えたら、人心を惑わすデタラメ記事だと与党から抗議が殺到するだろう。デカデカと謝罪広告を出さざるをえなくなり、政治部長のクビが飛ぶかもしれないという話である。テレビがやれば、もちろん放送法違反だ。総務省は厳重注意を出す(総務大臣が社長を呼びつけて文書を渡す)。公表時期によっては、メディアを問わず公職選挙法違反に問われ、お縄を頂戴する大問題となるのだ。同じことが、テレビ番組相手なら、なんで許されるんだ?
●それにしても民放連もキー局も、番組やテレビがここまで貶《おとし》められて、なお黙っているとは……。たぶん、日本PTA全国協議会(日P)を1000万人(うちの子どもが小学生だった頃は1200万人といっていた)の親たちを代表する団体と勘違いしているからでしょう。ところが、実態は違う。末端の各小中学校の単位PTA(単P。労組の単組みたいな呼び方ですが、名前だけじゃなく構造がそっくり)から一人あたり10円とか上納金を納めさせ、自分の子どもはとっくに中学校を卒業したのにPTAにしがみつくPTA貴族・プロPTAみたいな連中が集って、文部大臣と会見したり周年行事を厳かにやったりして喜んでる団体です。以上の話を私は、氏家齊一郎に直接したことがある
●私は小学校PTAの会長をやったことがあり、日P会長にGALACでインタビューしたこともあるから、よく知っているのです。その会長は、辞めてから保険か何かの勧誘文書を元会長名で学校に送って商売したらしく、しばらく日Pサイトに「当協議会とは関係ありませんので、ご注意ください」と掲示が出ていた。私がPTAに関わった当時は確か年に1度、日P会長が文部大臣に面会したとの記事が大々的に載った広報誌が送られてきて、それを保護者に配った以外、この組織が私が会長だった小学校に対してやったことは一つもない(上納金は渡した)。そんなもんです。日本PTA全国協議会が、イジメの実態について大規模調査したなんて話は聞かないでしょう? 中国で小中学校がバタバタ崩壊し万の単位で子どもたちが死んでいるが、学校の耐震化について調査のうえアピールを出したなんてこともない。学校周囲(通学路沿い)にある地震で倒れそうなブロック塀など危険箇所の調査も、必要だと思いついた学校ごとのPTAがやることで、その成果を吸い上げもしなければ、やればと呼びかけもしない。形式的な行事、研究、広報誌発行などにかまけて、中身のあることが何もできない。平成19年度の活動・事業計画に、いじめの「い」の字も、格差や覚醒剤の「か」の字も、出てこない
●なお、私がPTA会長のとき、子どもが通っていた小学校でやったアンケート調査+シンポジウム記事はこちら。ちょうど10年前ですね。10年間PTAは何も進歩しておらず、新聞はどうやら退歩した(朝日新聞の市川速水記者は、ちゃんとデータ数を書いている)。子どもの問題を解決できないはずです
●原稿書き。午後、神楽坂・青空市にちょっと顔出し。なかなかの人出。理清蘭屋台でチョリソ・ウーロンハイ、花豊でアナナス・ファイヤーボール(こんな感じだが、水平方向にデカく、最大幅70cm近い)、ひょうきん犬(前に買った「ちょうだい犬」みたいなのと頼んでおいたら、そのまたいとこみたいなヤツ)。荻原一家、三上一家、安田天一家、佐藤和美ほかと
●終日、原稿書き。昼過ぎ『潮』出来。あと単行本もうちょい。明日、神楽坂6丁目付近の青空市。何もなけりゃ1日中、花豊のあたりで飲んでるんですけどねえ
●昨日の当欄では略した話も。「震度5以上で揺れた面積」なんてのも、実は正確なところを誰一人知らない。地震のエネルギーがほぼ強さで達したと思われる地域でも、地盤の状況で震度が異なるからだ。早い話、道路のこちら側は震度4でも、昔池だったのを埋め立てて建てた向かいの家は震度5かもしれない。無理やり面積を出すには、地盤の状況など無視して、たとえば【1】震度5以上を観測した市町村の面積を足してしまう。市町村に地震計がなければ、近場の地震計を参考にテキトーにやっつける(注 県の面積を足すと、広くなり、底上げ数字となる)。【2】全国の地震計すべてにつき、周囲を囲む他の地震計と直線で結び、その垂直二等分線を地図に描く。その線が作る多角形の面積をその中にある地震計の担当区域とし、その地震計の震度5を担当区域全域の震度と見なす。【2】のほうがマトモだが、これも、だいたいのことしかわからない。隣の区域が震度4なら、境界付近のこちら側も震度4かもしれないが、それは無視するからだ。また、ある地震計の担当区域が海に向かって開いており、海の中に地震計がないときは、地震計が震度5を示しても、海方向のどこまでが震度5だったかわからない(注 これは先日の茨城沖のような地震の緊急地震速報が難しい理由でもある。精度を上げるには、日本列島上の地震計と周辺海域に配置する海底地震計の数を増やすしかない)
●日大、午後の放送特殊研究Vでは、ドキュメンタリー映像の視聴としてレニ・リーフェンシュタール『民族の祭典(オリンピア第1部)』を見せた。1936年のオリンピック・ベルリン大会の記録映画。70年前の映画だが、斬新です。キレイです。堂々とおっぱい出してます。以前書いた私の感想はこちら。聖火リレーはこの大会から始まった。日独防共協定の年の大会だから、日本を相当に持ち上げてもいる。しばらくしたら、もちろん『夜と霧』も見せる。『行き行きて、神軍』も見せちゃう
●中国政府が昨夜から新華社通信を通じて、地震の死者推計が5万人超と伝え始めました。生き埋めになった人を、ほとんど絶望と見ているのかも。13日朝、当欄に「人口密集地を襲う大都市直下型であれば数万〜10万超の死者が出た可能性がある」と書いた通り
●テレビを見るヒマがなく、もっぱらネットのニュースを読んでいますが、記事にやたらと数字が出てきますね。数字を出すと一見もっともらしいんだけど、よく考えるとヘンな数字、意味不明の数字が少なくない。被災地の広さが6万5000平方キロとか10万平方キロって、何? 日本のメディアは一生懸命、「九州の1.8倍」(東京)「北海道の面積を上回る」(朝日)「日本全土の4分の1以上」(毎日)とかやってますが、意味がわかって書いているのか? そもそも、「被災地」の定義とは、何? 倒壊した建物の敷地面積? そんなことはないですね、広すぎるから。では、1人でも死者が出た「村」は被災地? 1人でも死者が出た「市」は被災地? あるいは負傷者や倒壊家屋の発生地域を、被災地と見なすのか。何でもいいけど、町をいうか市をいうか省をいうかで、面積は何十倍にもなるでしょう。人口の50%以上が亡くなった行政区域は被災地? 10%? 1%? これも数字と区域の取り方次第で何十倍にもなる。震度6以上の地域が被災地? 震度5? 震度4? 震度3以上? 以下同文。ところで、震度4(5でも3でも話は同じ)以上の地域に砂漠があって人っ子一人住んでないときは、それを被災地面積に含めるの? 湖や川の面積は、ちゃんと除外した? 地割れでグズグズになってしまった畑は被災地でよいとして、ただの空き地は、どう計算した? 斜めになってる山岳地帯の面積は、地べたを測量した面積か、地図上の面積か、どっち?(実は日本でも前者は正確にはわからない。当然、後者でしょうけど)。以上のような細かいことを、誰か中国政府に確認したの? ようするに、被災地とは何かの定義が不明だから、「不明なものについての総面積」を伝えたところで、クソの意味もない。伝える価値のない、デタラメな情報です。ただ新華社を翻訳するだけでは、ダメなのです。どうしても伝えたいなら、「新華社は、被災地は×万平方キロと伝えた。これは北海道より広い。ただし、被災地が何を意味するかは不明である」と書かなければならないが、不明なら調べてから書けと言われてしまう
●「軍は延べ300機の輸送機やヘリコプターを派遣」なんてのも、わかったようでわからない。これ、輸送機10機がそれぞれ10回(10か所で)投下作戦をやり、ヘリ10機がそれぞれ平均20回(20か所から)負傷者を運び出したのかもしれない。この場合は「軍は合計20機の輸送機やヘリコプターを派遣」です。派遣といえば、被災地に向かって移動中の機を含むから、現地で活動中の機はもっと少ないかも。あるいは、合計60機がそれぞれ平均5回被災地を飛んで活動したのかも。現地で活動中の機数が10機でも20機でも60機でも「のべ300機」といえるんだから、あまり意味のある数字ではないでしょう
●メディアが、数字(無意味な数字を含む)を好んで伝えたがるのはなぜか。興味がある方は、当サイト〈「テレビは数字がお好き!?」症候群〉をお読みください。活字にもあてはまるところが少なくない話です
●四川大地震では、日本の報道もようやく現地入りして、独自情報を流し始めたようです。以下、ここ3日ほどの地震報道につき小まとめ。報道(メディア)の仕事は、「地震について、なるべく確かな情報」を伝えることです。しかし、初期段階では情報がないから「地震について、他メディアがもたらした情報」(二次情報)を伝える。それはいいんだけど、このとき、次の二つを断じて忘れるべきでない。第1に、これは仕方なくやっている限定的な作業にすぎず、報道の本筋の仕事ではないという自覚が必要です。第2に、二次情報を扱うときは「地震についての情報(の正確性)」と「他メディアについての情報(の正確性)」のどちらも吟味しなければならない。地震を直接扱う(取材する)ときは「地震についての情報(の正確性)」のみを吟味すればよいのに比べて、一手間増えるわけです
●ところが、以上二つを忘れている記者やジャーナリストが、たいへん多い。第1を忘れると、自分の仕事は「ある問題について、なるべく確かな情報」を伝えることではなく、「ある問題について、誰かがもたらす情報」を伝えることだと思ってしまう。元共同通信編集主幹の原寿雄は、これを「発表ジャーナリズム」と呼んで批判するが、私も同感。第2を忘れると、情報源の「単純ミス」や「意図的な情報操作」を含んだままの情報を伝えてしまう。イラク戦争報道や放送デジタル化報道も、その典型で、間違った情報のほうが、明らかに多いでしょう? 今回も、そうです。新華社の情報をそのまま翻訳したニュースが溢れているが、新華社は中国国営メディアであって、中国政府発表と同じ。政府に都合のよい情報だけが出て、都合の悪い情報は一切出ない
●中国経済時報に出た「被災支援金の99%流用 中国陝西省」記事は、「ヒドい地方政府があったもんだ」という報道ではなく、もちろん(1)「今回くすねたら、ただじゃおかんからな」、(2)「政府はちゃんとやってるんで、末端まで行き渡らない場合は、地方政府を疑うように」という政府のメッセージ。さらに、(3)地方政府部内の権力闘争、中央へのおべっかや讒訴《ざんそ=陥れるための訴え》、地元農民の暴動(に対する目そらし、悪玉づくり)なんかが、からんでいることがありうる。ただ翻訳だけすりゃいいってもんじゃない。普通は「99%が抜かれるって、そりゃ、中央政府のカネの出し方が悪いんじゃね?」と思って当然だが、中国ではそんな記事は出ない。だから「すべてを疑え!!」と申し上げている
●琵琶湖塾2008が塾生を募集中です。大津をはじめ滋賀県、京都など近隣府県のみなさん、とくに滋賀大、滋賀県大、京都大、立命館大、同志社大、龍谷大はじめ各大学のみなさん、奮ってご参加をお願いします。会見の記事を二つ。毎日新聞 京都新聞 ちゃんと記事中に問い合わせ先電話番号まで入れてくれて、ありがたい。琵琶湖と結婚しちゃった嘉田由紀子知事のブログはこちら(3月12日の記事)
●リンクをたどり記事本文を読むと、それらしい記事はすでにない。だが、Googleニュースは見出しや記事を機械的に拾っているはずだから、いったん誤報が流れたことは確かでしょう。日経記者の記事は、さも直接取材したかのような書き出しだけど、これは四川省政府に電話して聞いたのかな。それにしては、共同電とあまりにもよく似ていますねえ。共同電のネタもとは、この多維新聞網かも。まだ(14日0時半現在)、94004人の表記が見える
●しかしながら、このサイトは、悪いけど東京で見ることができる。中国・四川省の綿陽にいる記者から、わざわざ伝えてもらうまでもない。中国地元メディアのサイトチェックなど、東京のヒマなデスクにまかせて、一歩でも現場に近づいたほうがよいと思う。それに、1万とか1万5000人とか言っていた生き埋め者の見積もりが、いきなり9万人に増えれば、「なんで?」と疑うのが新聞記者というもの。しかも下1ケタの数字まで出ているなんてときは、「どうしたら4人までわかるんだ?」と突っ込みを入れるのが新聞記者というもの。そんな数、信用できるはずがないんでね。テレビは共同電を鵜呑みにしがちだから、くれぐれもよろしく頼みますよ。ところで私は、どこかの新聞社サイトに出た記事を書き写すことを「取材」とは呼ばない。また私は、そのような作りの記事を雑誌その他に書いたことが一度もない。他メディアの記事を引用することはよくあるが、必ず引用元を明記し、しかも引用だけには終わらせない(その記事とは別に言いたいことがあるからこそ、その記事を引用する)。近ごろの新聞記者とは、考え方がかなり違っているようです
●【以下の項、午後3時前に追加】テレビは信用できない、活字、それも新聞のほうが信用できるという人が多いが、以上に書いたことから、必ずしもそうはいえないとわかるでしょう。テレビが比較的信用できる理由の第一は、映像が必要なテレビは、ネタなしのでっち上げができず、ネタ元を伏せたパクリも難しいからです。新聞が載せた伊藤律架空体験記のように、まったく存在しないものはでっち上げられないし、サイト画面を映さずにサイト記事の内容だけを伝えることも非常に難しい(スタジオでアナが、ただサイトの内容だけ読んだらヘンで、関連する映像が必要)。理由の第二は、映像や音声で伝えるテレビは取材や伝送が大がかりで、多くの人が関与するからです。一つの取材にはディレクター(記者)、カメラマン、音声、VEなど複数の者が関与するため、インチキする場合は全員を引っ張り込まなければならず、バレる可能性が高まる。証言者を仕込むなどネタ元をごまかすことはできるが、仕込みプロダクションを使えば、ウソと知る者がまた増える。新聞や雑誌の記事は1人で書けるから、その気になれば、相当のインチキができる。ピューリッツアー賞受賞記者の「ジミーの世界」は、これ。週刊誌の記事で「 」内にコメントがあって(放送関係者)なんて書いてあるとき、コメントに当人しか知らないと信じられる事実が含まれないものは、本当に取材したかどうかわからない。匿名の(放送関係者)にしか語れない問題なんて、世の中そう多くないし。(××局30代ディレクター)なら、まだリアリティがあるけれども
●ようするにテレビのウソとか虚偽報道とかやらせには、100%インチキというものは少なく、一部にゴマカシがあるというものが多い。その「一部」が、証言者7人中2人仕込みとか、字幕とか、ナレーションとか、図表とか、取材対象者の演技とか、1分間の古い無関係映像とか、時系列が前後してるとか、水面下で牛の足をロープで引っ張っているとか、さまざまなわけです(以上の組み合わせだったりもする)。だから見分けにくく始末に悪いという問題はある。やらせと演出の境目が微妙という問題もある。その映像自体はウソではないが、その映像だけを流したことは、結果的に全体状況を見えなくして、ウソを流したのも同然という場合もありうる。早い話が、テレビの特性について理解しないと、その信頼性の議論も深まらない
●ロイター地震関連フォト 新華通信網(中国)地震関連 左のサイトの動画ページ(重い! 途切れるかも)
●中国・上海にいる日大教え子からメール。「私はまったく感じなかったのですが、上海でも高層ビルは揺れた。夫は高層ビルの20階から非常階段で降りた」と。また「私の知る限り、しばらく中国のテレビは、ほとんど何も流していなかった。テロップで『新華社がマグニチュード7.8の地震が起きたと伝えています』と流しただけ」だそう。「夕方まではほぼ何の情報もない感じでNHKの国際放送を一生懸命見ていました。まあ、中国語も分からないので、あまり役には立たない」だって。一部の日本企業は、チベット騒乱以降、情報が入りにくくなる場合に備えて、在留邦人の各家庭に短波ラジオを用意するよう指示を出したそうです
●終日、原稿書き。原稿が終わらない。草薙主演「瞼の母」ゲネプロとか泉谷しげる還暦ライブとか、案内をもらって行きたかったが、全然行くヒマない
●12日午後2時半(現地時間。日本では3時半)、中国で死者1万人規模の大地震。取り急ぎポイントをいくつか。【1】中国は地震が多い。インドプレートが南から圧力をかけており、ヒマラヤ山脈はそれで盛り上がった。そのひずみで内陸型地震が起こる。【2】今回はマグニチュード7・8、震源深さ10キロ。1995年1月の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)がM7・3、震源深さ16キロ。今回はM8クラス、阪神・淡路はM7クラスで、地震エネルギーは今回のほうが十数倍以上大きいうえ、浅いぶん揺れが強い(この項、「似たような地震」という感じが強すぎと思い直し、改稿。なお、マグニチュードや深さは今後、訂正がありえます)。【3】震源直上(震源地)は山の中(たぶん)。人口密集地を襲う大都市直下型であれば数万〜10万超の死者が出た可能性がある。【4】死者は、ほとんどが建物倒壊による圧死・窒息死。生き埋め・行方不明者が多いと思われ、今後、死者数が増える可能性が大きい。【5】新華社電によると、震源地から100キロ離れた都江堰市で3階建て校舎が崩壊し、生徒900人が生き埋めに。阪神・淡路の震源地から100キロは、東は三重県、西は岡山県、南は紀伊水道(南紀白浜あたり)、北は日本海(舞鶴とか)で、いずれも震度4〜5以下(5は北東方向への断層延長付近にある京都や彦根などで、むしろ例外)。ということは、中国奥地の地方都市の学校や工場は、震度5前後で倒壊した可能性がある。なお、学校や工場のようにガランとした建物は、柱が少なく、もともと地震に弱い。【6】震源付近はアバ・チベット族チャン族自治州で、チベット暴動が起こった場所の一つ。通信社写真などを見ると、救出現場に重機がない。コンクリ塊にも鉄筋が少ない。貧しく、さまざまな問題をかかえた地域と思われ、救出・復興の過程で混乱が起こる可能性がある。とりあえず、こんなところでしょう。地震への注意を喚起するため、2005年の暮れ頃、私がある報告書むけに書いた文章を、以下に掲げておきます(報告書は、地震に関心のある国会議員何百人かに渡っているはず)
● 首都直下地震は、首都圏で200〜300年ごとに起こるマグニチュード8クラス(関東大震災級)の地震の合間に数回発生するとされるマグニチュード7クラスの地震である。
現在、関東平野北西縁断層帯、神縄・国府津―松田断層帯、伊勢原断層帯、立川断層帯、三浦断層群などの断層が知られているが、都心部では厚い沖積層に覆われて断層の存在が確認できず、しかも歴史的に動いた記録のない断層が2000〜数万年に1度動くことがありうる。したがって首都圏では、ほとんどの場所で、直下型地震が発生する可能性を否定できないのだ。図6に、現在までに知られている関東地方の活断層を示しておく。
●土建屋さんたちや、その票をもらう議員たちが、相変わらず道路がほしい道路がほしいというんだけど、なんで古い木造家屋の耐震補強をやらせろと言わないのか。古い家屋50万棟、1軒あたり100万円なら、総額5000億円のデカい事業。2割の1000億円を国と地方が補助しろ、金融機関はサブプライムなんてつまんないものに手を出してないで耐震補強プライムローン(30年間、消火器3回更新サービス付き)を売り出せ、立派な公共事業じゃないか、しかも人の命を救うんだぞといえば、誰も反対しないと思うんですけどねえ。タヌキやクマしか通らない道を造るより、よほどやりがいのある仕事だろうとも思うけど。ま、儲けが薄いうえに、面倒くさいんですかね。手抜きすれば人が死ぬから、手抜き工事ができないのが難なのか
●Q 自衛隊のあり方をめぐる最後の質問です。子どものころテレビの『サンダーバード』を欠かさず見ていた私としては、いっそのことわが自衛隊の一部を『国際救助隊・ニッポンバード』に再編してはどうか、と提言したい。それを日本版NSC直属の目玉機関にすればいい。すでに災害復興は自衛隊の日常活動のようになっているし、その技術力はアフガンやイラクの復興作業でも高く評価されている。2号がコンテナに積んでいたブルドーザーやジェットモグラは、日本の大得意分野。そこで重機・電機メーカーや自動車メーカーに寄付してもらう。その救助隊が非武装で、デカい日の丸をつけて堂々と飛んでいけば、誰も文句をいわないでしょう。どうですか?
●A 「国際救助隊」といっても、災害や大事故、大規模テロなどの直後に投入する性格の部隊ですね。すると、小規模でも完結した軍事力を持って海外に出るケースとは異なって、ある地域で現地の消防や警察のバックアップを行うという位置付けになりますから、かなりのマンパワーが必要になります。その意味では、現状の自衛隊の規模では小さすぎます。少なくとも、現在の陸上自衛隊の規模をもっと拡大する必要があるでしょう。
陸上自衛隊も、2001年「9・11」の1か月後くらいから今後の多様な任務にどう対応するかという研究を始め、たとえば練馬の第1師団を「首都中枢師団」に変えたり、新しく「中央即応集団」を編成して座間に配置するといった改編をしています。中央即応集団は、テロをはじめとする新たな脅威に対して迅速かつ機動的に対応できる各職種のメンバーを集めた部隊で、特殊部隊も入っています。
首都直下地震が緊迫度を増している現在の日本です。今後も、そのようなさまざまな改編が実現していく可能性はあります。たとえば、海外での復興活動について、陸上自衛隊が中心となって要員を派遣するが、警察、消防、医療スタッフも一緒に連れて行き、その輸送手段については空自や海自が提供する、といった形ですね。航空自衛隊はC17というアメリカ製の大型輸送機を持っており、1回の派遣で500〜1000人を一気に投入できるようになります。
『ニッポン・バード』を自衛隊から切り離すかどうかは別として、そのような緊急派遣部隊を作っておくことは、十分検討に値すると思います。
●読売記事「顔のしわから成人識別、たばこ自販機に導入検討」。「90%の確率で成人かどうか判別できた」というその実験は、若いヤツが顔をクシャクシャにしたり、頬を膨らませたりして、なお識別率90%? そうは書いてないから、きっとそうじゃないんでしょうね
●それにしてもタスポというのは、しょうもない。私は申込書を一目見て、もちろん捨てました。たばこ会社に詳細な個人情報を渡す義理などないし、タバコを買うために写真を撮るほどヒマでもない。そうならば自動販売機では買わん、というだけのこと。全国のタバコ自動販売機で販売数が激減するだろう、というだけのことです。カネをかけて機械を改造して、売り上げを減らすんだから、間抜けな話だと思いますが、なんでこういうものは全然ウケないと、事前に予測できないのか。住基カードの馬鹿バカしさと、よく似ています
●タスポ導入に反対し完全対面販売を求めている青森県タバコ問題懇談会によると、先行導入(2004年5月)した種子島の未成年喫煙補導件数は翌年のみ減少しただけで、06年以降は元のレベルを大幅に上回っていると。当然でしょう。高校や中学校にタスポが数枚持ち込まれれば、全校生徒が自販機でタバコ買い放題になることを防げないシステムなのだから。いい加減な親は多く、賢い子も多いから、タスポを携帯する中高生が各校に3人や5人いても、私は全然驚きません。イジメで子どもが家から何万円持ち出しても気づかない親がいて、子どもが殺されても、親が気づかなかったことを責められはしない世の中。子どもがその気になれば、親の免許証のコピーなんて朝飯前。中高生のタスポ所持率が給食費滞納率(平均1%、県によっては数%)くらいあっても、何の不思議もない
●【以下の項、加筆あり】11日付「東京新聞」朝刊特報面に、8日午前1時以降の地震についてのNHKの対応を疑問視する記事「ぐらついた? 警戒感」。私が見始めたときは、別の番組をやっていて、それがいきなり地震ニュースに替わった(当欄既報)。記事によると、それより前、地震発生の時点で実はニュースをやっており、それが終わって再放送番組をちょっと流した後で、地震ニュースに替わったのだと。以下、記事に基づき整理しておきます
●8日1時2分に東北地方で震度3、都内ではその後も有感地震が数回。しかしNHKの対応は字幕による地震情報のみ。1時40分からニュース(イエメン邦人誘拐事件に続いて地震関連)。1時45分、ニュース中に水戸などで震度5弱の地震発生。直後に、緊急地震速報(字幕とチャイム)を放送。1時47分「男性アナウンサーが目を見開いて驚いたような表情で、ニュースは突然終わった」。地震関連の字幕が出たまま再放送番組「JAPANナビゲーション 地図のナゾ」スタート。1時49分40秒、再び地震関連ニュースに切り替え。2時20分、同ニュースを終了。なお、緊急地震速報の後、ニュースが終わるまでの2分ほどの間に、アナウンサーがニュースで何を言ったのか(ビックリした顔が最後に一瞬映っただけなのかどうか)が抜けています。ここはちゃんと調べて、正確に書くべきだった
●NHKの対応で、明らかにおかしい点は、緊急地震速報後に、通常編成(?)の再放送番組を2分ほど流したことです。どうせ数分以内に打ち切るつもりなら、これはまったく意味がない。アナウンサーに「ただいま地震がありました。準備が整い次第、地震関連ニュースをお伝えします。もうしばらくお待ちください」と、つながせるべきでした。そのような字幕フリップを出してもよい。予定通り(?)再放送を流してしまったので、「何なんだ?」と思われたわけです。東京新聞によれば、NHK広報担当者は「視聴者に情報が伝わっているので問題ないと思う」と言っているようだが、問題あるに決まっている。「2分間ほど再放送番組が流れたため、視聴者に不安感や不信感を与えてしまったかもしれず、その点は問題だったと思う」というのが当たり前。NHK会長に聞いたって、そう応えるはず。相変わらず、自分たちは正しかったとなんとか取り繕うのが広報の仕事だと思っているならば、海老沢時代と変わらない
●この種の問題は、GALACでもさんざん取り上げたことがあります。よくあるのは、通常の生ニュース中に地震が発生し、字幕が出ているのに、アナやコメンテーターはじめ出演者たちが地震の話題に一切触れずに、台本通りの話を続けてしまうこと。生で出ている連中が一言も触れずに済むことなら、字幕なんか出すなと、いつも私は思います。アナウンサーが話をさえぎって、「いま、地震情報が出ました。××地方で震度×です。お住まいの地域の方は、火の始末など十分ご注意ください」と一言いえば済む話。今回も、「ただいま地震関連ニュースをお伝えします」と一言いえば済む話です
●ただし、ここまで明らかになった材料からNHKが批判されるべきは、再放送番組を2分間ほど漫然と流したという一点のみ。記事後半にある「午前一時二分の揺れの後の続発を受けて、警戒を呼びかけることはできなかったのか」という問いは、NHKでなく気象庁にぶつけるべきです。NHKは、地震予知機関でもなんでもない。素人の「おかしいのでは」という疑問に、いちいち応える必要も義務もない。だって、震度5弱が本当に来るかどうか、わからないのだから。阪神・淡路大震災のとき、いま思えば大地震の前兆と思われる震度1程度の微小地震が前日、小規模な範囲で発生していた。何とかならなかったのかとは、国や気象庁や地震学者に聞くほうが先。で、現状ではどうにもならない。それが何とかなるなら、緊急地震速報なんていらない。震度1や2の地震が何度か起こっても、その後いつ何が起こるかわからず、どう警戒してよいかわからないから、みんな苦労している。それなのに「(NHKは)警戒を呼びかけることはできなかったのか」と書くのは、地震について何もわかっていないトンデモ記事です
●東京女子大教授(災害心理学)の「メディアはこれまで地震を集中的にカバーしてきたが、最近は鳥インフルエンザなど他の危険性もすべて扱う傾向にあり、地震への警戒感が薄れている」とのコメントも、ムチャクチャな話です。第1に、「メディアはこれまで地震を集中的にカバーしてきた」とは、何を意味するのか不明。阪神・淡路大震災で、あるいは中越地震で、メディアは何をどう集中的にカバーして、警戒を呼びかけたというのか。事前に警戒せよと伝えたメディアは皆無だから、「昔は今より警戒感が強かった」とは言えない。集中的カバーで思い当たるのは「メディアは大地震の後しばらく、地震関連ニュースを集中的に流す」ことくらいだが、これも別に警戒感が強いからやるのではない。もし明日、阪神・淡路大震災級の地震が大都市を襲えば、日本のメディアは必ず、鳥インフルエンザ関連ニュースなどすべて吹っ飛ばして、これまで同様に地震を集中的にカバーする。地震への警戒感が薄れているとしても。だから、メディアによる地震の集中的カバーと、メディアの地震への警戒感は、基本的に関係がないというほかない(もちろん、集中的カバーと、大衆の警戒感は、大いに関係がある)
●第2に、地震の集中的カバーがなくなり、地震への警戒感が薄れはじめた理由として、「鳥インフルエンザなど他の危険性」を出してきたのが、珍妙。最近1か月のガソリン価格(道路特定財源)、後期高齢者医療制度、チベット問題、胡錦涛来日、鳥インフルエンザ、地震関連などの記事・ニュース量を比較するがいい。一体全体どういうわけで「他の危険性をすべて扱う」から「地震への警戒感が薄れた」などというおかしな結論になるのか。「いろんなニュースがある」から「地震への警戒感が薄れた」なら、わかるが。それにしても、昔のメディアは、地震以外の危険性をすべては扱わない傾向にあったのか? その時点で危険とわかった話題は、だいたい扱っていたと思うけれども。昔のメディアは、どの危険性を扱わないことにして、地震への警戒を強めていたのか、教えてもらいたい
●私ならこう思います。メディアは大地震が起こるたびに、集中豪雨的、半ば情緒的な報道をするが、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」傾向が、今も昔も変わらずある。で、このところ大地震がないから、地震関連ニュースが少なく、視聴者の地震への警戒感が薄れているかもしれない(とくにキー局。もっとも、地道に防災キャンペーンを続けている放送局は少なくない)。情報化が進み社会の多様化が進んでいるから、メディアは多様なニュースを扱わなければならず、この点でも、地震関連は他のニュースに埋没しがちだ。メディアは、緊急地震速報(あまり役立たない)や地震直後の速報ニュース(役所に電話して「どうでしたか」と聞くのは、ほとんど無意味)だけでなく、継続的な防災情報の提供に力を注ぐべきである。とくに古い木造家屋の耐震補強と重い家具の固定を呼びかけることが、地震の際の死者・負傷者を減らすのに有効だ。なお、NHKが再放送番組を2分間流したことは、NHK内部で地震に対する警戒感が薄れている証拠かどうか、即断できない。この点は検証が必要だ
●夜半から雨。朝から単行本原稿書き。10時、琵琶湖塾運営委員の澤田宗吾がホテルに来訪。長年の付き合いがあり尊敬しているという野中一二三(前・園部町長。野中広務の弟)の著書4巻本その他をいただくも、昨日、琵琶湖塾のパンフレット百数十部を受け取るなど荷物が多いので、自宅に送ってもらうことに。11時にホテルを出て、京都駅のカフェにて午後0時40分まで原稿。1時すぎ、現代メディアフォーラム柴山哲也、中野有と清水寺そばの湯豆腐「清水順正」で食事
●京都駅のタクシー乗り場の馬鹿さ加減に驚きました。これが日本を代表する観光都市の、最大のタクシー乗り場とは!? 観光立国が聞いて呆れます。何かというとタクシーの数は十分足りていて、次から次に来る。また、タクシーが付ける乗り場は4〜5台が余裕で横付けできるほど長い。が、乗車客を1列に長々と並ばせて、乗る直前に乗り場左端の1か所で3グループに分けてタクシー3台に誘導するため(おばさんが1人でさばいていたが、無理!)、アホのように時間がかかる。お陰で20分近く行列させられた。タクシー運転手も、並んでいた前後の客も、盛んに不平不満を口にしていた。この駅舎を設計した馬鹿の顔が見たいものです
●単純な話で、長い乗り場に白線で車止めのハコを四つほど描き、後部座席ドアの位置4箇所に足跡マークでもデカい矢印でも描いておけばよい。で、客を最初から4列に並ばせればよい。客は短い列を選んで並ぶから、誘導も不要。外人客などデカいスーツケースをトランクに載せる客が多いから、タクシーの前後の空間を十分空けなければならないが、まあ、4台は余裕で並ぶでしょう。ただ、雨除けがまた中途半端な設計になっており、客に雨がかかるから、これを作り直す必要がある。タクシーの運ちゃん情報によると「晴れていれば2列、雨のときは1列になる」そうだが、これは雨除けが馬鹿だからでしょう。なお、客が少ないときは、改札に近い左側の乗り場しか使われないだろうから、そのときは右側の乗り場に看板でも立てて閉鎖し、ハコを二つ(行列を2列)にするなど、適宜調節すればよい。また、地下道で京都タワーの前あたりにでも出て、そこで拾えばよいと思うかもしれないが、これも運ちゃん情報によれば「一帯が一時停車禁止になっており、手を挙げてもタクシーは止まらない(止まれば警察に捕まる)。ただし、信号が赤になって交差点で止まったタクシーに乗り込むことはできる(というのが警察とタクシーの了解)」と。長野なんかもそうだと思うが、観光資源がたくさんあって、黙っていても客が来る土地は、返って観光客の利便に無頓着で、気が利かないことが多い。間違いなく、京都もその典型です
●清水順正では、現代メディアフォーラムの件、琵琶湖塾の件など。柴山哲也に琵琶湖塾パンフを100部ほど渡し、学生などへの塾生勧誘をお願いする。中野有が「高台寺そばのガーデンオリエンタル京都が、もと日本画家・竹内栖鳳の家でオシャレ。そこでお茶でも」というので、二寧坂産寧坂を歩いて行ってみる。ところが週末は結婚式の貸し切り(なんでも1年先まで予約でいっぱいらしい)で入れず、ねねの道に入って左側、波ぎ《はぎ》茶寮の座敷でコーヒー。中野有の米大統領選の話がおもしろい。ブッシュの選挙参謀で陰の策士カール・ローブが、「民主党のオバマ対クリントンが熾烈な接戦となり、オバマが勝ってもクリントン陣営に反オバマの陣営に怨念が残る。これが、共和党マケイン支持に向かう」という意味のことを言ったと。どうやら、そのシナリオに近づいている。これに、最終段階でやはり黒人というのはどうなんだという動きが加われば、共和党大統領もありうると。あるいは、クリントンは副大統領でよい(4年後の大統領、または不測の事態によって副大統領から昇格する大統領でもよい)と思っているんじゃないかとか。波ぎ茶寮を出たところで二人と別れ、4時前に京都発の新幹線で帰る。なお、乗車前に切符をN700系に変更。これは各席に電源がついており、喫煙ルームもあってイイ。PCを使うときは7号車15E席が、テーブルもデカくおススメ(ドアの開閉が気になるなら、もっと若い番号の席がいい)
●午前10時40分〜午後2時半、日大授業(マスコミII、放送特殊研究V)。午後7時〜滋賀県大津市・県公館にて琵琶湖塾2008年度の記者発表。田原総一朗と。滋賀県企画調整課の木村太治、土川徳之と挨拶。その後、おおよそいつものメンバーながら運営委員と懇親会。飲み会があるのかと思ったら、それはなく、9時すぎ大津プリンスホテルで食事。その後、原稿書き
●午前1時45分ごろ、茨城県沖を震源とする強い地震があり、水戸市と栃木県茂木町で震度5弱。私は起きていたので、揺れている最中に家族の部屋を見回ったら、「震度はいくつ?」というから「3くらいだろ」と返事。居間に戻ってテレビを点けると、しばらくしてNHKが番組を中断し地震のニュース。「緊急地震速報」の画面を出していた民放局もあった。今日の夕刊には「また間に合わなかった」という記事が載っていますが、ご参考まで、2007年10月に私が『潮』に書いた記事の一部を掲げておきます【以下、『潮』2007年12月号「市民講座」から抜粋】
◆この速報が出たら、表示された地域では、数秒〜十秒ほどで震度4以上の地震が始まり、もっとも強く揺れる地域では震度5弱以上の地震になる可能性があります。震度3以下の弱い地震では速報そのものが出されず、震度や、発生までの秒数も表示しません。なお、当たり前のことですが、テレビをつけておかなければ、緊急地震速報は流れません。
◆緊急地震速報を見たら、大声を出して家族に知らせ、タンスや本棚から離れ、机の下にもぐって脚を持つなど、身を守る姿勢を取ってください。ガスコンロやストーブに手が届けば火を消し、熱いナベや油から離れます。わざわざ火を消しに行ってはダメです。震度5や6ではどうせ火は消せず、熱湯や油を浴びる恐れがあります。強い地震ではガス台やストーブは自動消火するはずで(そういう製品を使ってください)、万一火が出ても消火器(必ず常備してください)があれば、揺れが収まってから消すことができます。とにかく、あわてないでください。
◆外では、周囲の状況を確かめ、塀や自販機から離れる、ビルの窓ガラス・看板・照明などの落下に備えるなどします。車では、急ブレーキや急ハンドルは厳禁です。ハザードランプをつけ、ゆっくり左側に寄せて停車してください。
◆A 残念ながら切り札にはなりません。阪神・淡路大震災のような直下型地震では、緊急地震速報はまったく役に立たないと思ってください。震源の深さ一〇キロ、震源までの距離二〇キロというような場所では機能しません。震度5以上の地震は、震源との距離が近いからこそ大きく揺れるので、間に合わないことのほうが多いでしょう。
◆阪神・淡路大震災の死者の八割、約五〇〇〇人は耐震性のない古い家屋の倒壊によるか、家具・大型家電製品の下敷きになった圧死・窒息死で、ほとんどが即死に近い状態でした。四万四〇〇〇人近い負傷者のうち、やはり八割の約三万五〇〇〇人は、同じ理由によるケガだったのです。
◆ですから、第一にもっとも重要な地震対策は、古い家の耐震補強をすることです。古い木造家屋は一〇〇万円程度の負担で倒壊を予防できます。行政の補助制度も活用してください。自宅の耐震性が心配な方は、必ず二階で寝るようにしてください。第二に重要な地震対策は、家具の固定です。上にのしかかってきたら大ケガしそうな家具は、L字金具やチェーンで壁や柱と必ず固定してください。第三に消火器や防火用水を常備してください。第四に、メガネや入れ歯をなくさないように。
◆阪神・淡路大震災で、餓死者や飲み水がなくて亡くなった人は一人もいません。非常食や飲料水の備蓄は、右の四つと比べればどうでもいい話です。【以上、入稿原稿からの抜粋コピペなので、掲載原稿と一部違います。露骨すぎる箇所を編集部で直した】
●上の原稿には書きませんでしたが、緊急地震警報で肝心なことは、普通の日本人はテレビやラジオに接している時間が平均4時間程度なので、24時間中20時間は見逃すという事実。つまり6回警報が出ても、うち5回は見聞きすることができません。私は50年ほど生きておりますが、震度5以上の地震というのは経験がなく、震度4まで。ハッキリ記憶していないが、それも2〜3回でしょう。あと10年ほど生きて、震度5以上の地震が1回くらいあるかもしれないが、そのとき私がテレビを見ている確率は十数%以下。しかも、間に合わないことのほうが確実に多い(地上デジタル放送では、現行放送よりなお2秒ほど遅れる)のだから、「一般向け緊急地震警報」に多くを期待するほうが間違っていると思います。携帯を起動して知らせるというなら、まだ期待できますが。なお、二〇〇六年八月からスタートしている「高度利用者向け緊急地震速報」(高度利用とは、速報されたデータをコンピュータで受けて処理し、列車や工場の機器を止めるといった使い方のこと)は、もちろん大いに期待できます
●このところ昼夜を問わず原稿書き。午後1時すぎ、昼寝しようとしたら空がブンブン五月蠅《うるさ》い。ベランダに出て眺めると、早稲田大学方面の上空にヘリ5機が大きく円を描いて右回り旋回中。半径1〜1.5キロくらいのその円の東端がうちの近くにかかっていて、5機が順番に上空を通過するので、寝られん! 仕方ないので耳栓をして1時間ほど仮寝。中国主席・胡錦涛が早稲田大学を訪問した由。早稲田界隈から鶴巻町、山吹町、神楽坂、五軒町に至るあたりは、魯迅、孫文、黄興、蒋介石、周恩来らの足跡が残る地域。うちから歩いて10分くらいのところに孫文も住んでいた(鶴巻町)し、周恩来も下宿していた(山吹町)。宮崎滔天は早稲田出身だし、頭山満が住んでいたこともある(いずれも孫文の支援者)。言わずもがなですが、孫文は中国の「国父」
●午後4時〜赤城神社で59年間続き、4000人余の園児を送り出した赤城幼稚園閉園のお別れ会@日本出版会館。うちも息子が2年間、娘が3年間、お世話に。飯島光幸の司会で氏子会代表、現・宮司挨拶のあと、園長先生の風山繁子が最後の挨拶。十数年前とまったく変わらず矍鑠《かくしゃく》たるものだが、さすがに胸一杯でちょっと詰まる場面も。その後、第1期生と第59期生(この3月の卒園児)がお別れ。とりわけ現1年生の挨拶が、子どもが小さいとき繰り返し聞いた園長先生の言葉「強いお心を持って、強い人に」をしっかり伝えて、立派な出来
●行列ができる前に、園長先生にご挨拶。うちの子どもらは別の機会にうかがうといったら、もう話がついているらしく「待っている」と。「小学校のあれが忘れられない」といっていたのは、小5か小6だった息子が家庭科で何か作って身近な人にプレゼントするというとき、園長先生にマフラーを編んだ。津久戸小講堂の展示会でそれを見て、涙ぐんだと。ま、どこまで自分一人で編んだか知らないですが
●幼稚園の先生は、(私が知っているのは)藤井・西城のお二人だけ。菊地と片桐はどうした? 元気か? 久しぶりだったのは、小学校PTAで書記さんをやってくれた内田さんご一家。娘さんは、街で会っても全然わからない。あとタカオがいた(「糸永家を代表して来ました」そうな)のでビールを注いでやる。もう少し、小学校・PTA関係や区議たちがいるのかと思ったら、そうでもなかった
●午後1時、西早稲田かわうち店主、渡部雄一・八恵子夫妻が来て、庭でバーベQ。昨年ビル全体を塗り替えたとき、塗装屋が屋根についていた金具を取っ払ったままにしていったものだから、屋根に上がりてっぺんの換気塔にロープを回して、タープを張る。渡部は肉(タレに漬け込んだ骨付きカルビ・特上カルビ・レバ・ハツ、塩胡椒味の特上タン・カルビ、チョリソ)を大量に持参。うちでは殻つきホタテ、イカ、納豆の油揚げ包み、餅、田舎から届いたアスパラ・椎茸・トウモロコシ・イモなどを用意。デカいクーラーボックスに、かわうちの製氷器の氷をバケツ2杯分ぶち込み、飲み物をギンギンに冷やす。案の定、夕方4時頃から小雨。5時、コンロを撤収し、室内にて7時すぎまでグダグダ。原稿を書くヒマがない
●ピアノをやっている姪っ子(春から大学生)が「第24回かながわ音楽コンクール」のユースピアノ部門Fの部(高2高3)で最優秀賞となり、神奈川トヨタ賞というのをもらって、10月5日に神奈川フィルとコンチェルトを共演するそう。電話をして、誰の何番のピアノ協奏曲をやるんだと聞いたら、全然決めてないと
●新聞を注意して読んだが、昨日、神楽坂で交通事故死という記事はなかった。あの子はケガで済んだようで一安心
●ギリギリまで原稿書き。午後6時、自宅を出たら、神楽坂通り(早稲田通り)の神楽坂駅矢来口(牛込中央通りとの丁字路)と矢来交番の中間点あたりで交通事故。小学生くらいの子どもが頭から血を流して倒れ、そばに女性と幼児(たぶん母親と弟)が座り込み、ヘルメットをした若い男も倒れていた(こいつは寝ながら携帯を操作中)。目の前の店の人などが出て、バイクを脇に除《よ》けたり、子どもにタオルをあてたり、2車線のうち1車線がふさがれたため交通整理中。買い物にでも出てきたのであればむろん手伝うが(私は地元小学校の元PTA会長で、救急救命の講習も受けたし、子どもたちのことはずっと気がかりなので)、30秒ほどその場で観察し、母親が取り乱しているように見えず、近所の何人かがあれこれやっており大丈夫と判断。その場を離れました(6時15分までに九段会館入りの約束)。ただ、神楽坂駅まで歩くうちに救急車のサイレンが聞こえてくるかと思ったら、聞こえなかった。駅で、倒れていた子をレスキューシート(カバンに入れ常時携帯している)でくるんでやればよかったと思ったが、もう遅い
●当サイトは、神楽坂住人も読んでいるでしょうから、ちょいとご注意。今回の事故の原因は不明だが(私は事故の瞬間を見ていない)、昔から危ないのは大久保通りと早稲田通りの信号がない場所での横断です(当サイト神楽坂マップ参照)。津久戸小学校前の大久保通りには歩道橋があるが、面倒くさいと道を横断する老人や子どもがある(車に引っかけられた事故もあった)。早稲田通りでは、牛込中央通りとの丁字路から早稲田よりで車の台数が増えるので、危ない。昨日の事故の場所がそうです(それより下のいわゆる神楽坂は、1車線で一方通行のうえ、店に搬入出する車などがジャマで通過する車がそれほどスピードを出せない。だから横断する人は多いが、深刻な事故は少ない)。矢来交番までに横断歩道が一つあるが、横断歩道に人が差しかかったときは一時停止しなければ道路交通法第38条違反であることを知らないか、または無視する馬鹿ドライバーが多いため、たいへん危険。牛込A地区小学校のPTA関係者のみなさん、よろしくお願いします
●余談ですが、牛込A地区は小学校6校を4校に、中学校3校を2校に統廃合する方向。その昔、PTA会長たちのうち覚醒していた者は全員が統廃合やむなしという見方で、半ば冗談ながら「さっさと統廃合しろという提言書でも出すか。PTAが出せば全国初かもしれず、ウケるぞ」と議論したことがある。小学校の全学年が「単学級」だと、人間関係が固定され、小1でイジメられっ子認定を受けた子は6年までそのまま(←当時は。今では学区を越境する転校も認める)。教室は半分以上空っぽ、校庭は狭いという状況で六つに分けておくよりは、三つ四つに統合せよと。学校が遠くなる子どもが出るのが難点だが、一つ二つ小学校を売り飛ばしたカネで学バスを走らせろと。一つは運動場にして、地域のみんなで使えと。問題はどの学校を廃止するか。小中1校ずつは、まあ誰が見てもここしかないと決まるが、残り小学校1がモメそう。なお、保護者というのは勝手なもので、新宿区立小学校のうち1校は、そこにいわゆる「特殊学級」があり、その同じ学校に子どもを通わせたくないという親が多かったため子どもが減り、消滅してしまった。区も区議会も教育委員会も校長も教員もPTAも町会も青少年対策委員会も、「そんな障害者差別によって小学校が廃止になるなんておかしいじゃないか」とは、一切言わなかった。「ノーマリゼーション」なんて、この国では、あるいは学校でも幻想にすぎないと示す大スクープだが、取材したメディアもない。ま、そんなもんだから、今後、牛込地区で小中学校が五つ六つ廃止されても、別にどうってことはない
●午後7時〜シンポジウム「胡錦濤訪日、北京オリンピック、東アジア大討論(2)」@九段会館大ホール。公開録画で放送はまだなので、坂本がどんなことを言ったかは、いずれ後ほど。観客は二百数十人かな。みんな自分が賛同する意見が出ると「よーし」「その通りっ!」という感じで拍手。気にくわないと「もう止めろ」「帰れ」とか野次ったりする、なかなかおもしろい会。斎藤貴男は「いい加減にしろ。くさしたり笑ったりするだけで、聞かないなら帰るぞ」と怒る
●岩本太郎、坂本衛、西尾幹二、西部邁、西村幸祐、西村仁美、三上治、(以下、日本文化チャンネル桜)水島総、井上敏治らで、九段下交差点そば「さくら水産」にて打ち上げ。ラッパーの英霊来世(エーレーライズ)も来て、CDをくれる。ムック"五穀豊穣"モノノフスキー・雅人らと、映画『靖国』で靖国神社が敷地内許可なし映像の削除を求めている件につき話す。坂本「敷地内許可なし映像は全部ダメというと、95年正月にサリンらしきものが出た上九一色村のオウム教団施設に、たとえば2月に潜入して隠し撮りしてもダメとなるね。死者12人、負傷者5500人以上を出した地下鉄サリン事件は3月20日。その許可なし潜入取材映像があれば、数千人の被害者を出さずに済んだかもしれない。だから、許可なし映像全部ダメとは、言わないほうがいいんじゃないの?」「許可なく敷地に入れるのは令状を持った警察だけ、許可なし取材は一切しないというジャーナリストがいたら、お前、何のためにジャーナリストやってんだ。じゃ、警察官になれよと言いたいわけだ」「映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』に無許可の中国ロケ部分があるのは知ってる? 許可なし映像ダメとなると、それも削除しろという話になる。それって中国の要求と一緒だから、まずいんじゃないの?」とか(注:許可なき敷地内立ち入り者のうち、映像作家やジャーナリストは免責にせよ、とは言っていない。不法立ち入り者として告訴したけりゃすればいいし、逮捕され判決を受ければ、黙って刑務所に入ればいい。だが、それでも映像は消さないのが映像作家、書いた原稿は撤回しないというのがジャーナリスト。そこは認めてやれ。認めたほうが、彼らの仕事を、世の中をよりよくするために役立てることができるからだ、と言いたい)
●こんな話も。私は、シンポジウムの最後のほうで、「昔の人は、中国を見くびってはダメだと言った。勝海舟、西郷隆盛、頭山満、みんな見くびるな、仲よくしろと言っている。頭山は国粋主義者、右翼の大巨頭で、手下が爆弾投げて大隈重信を片足にした。中国建国の父(中華民国の)孫文を支援した人ですね。田原総一朗と作ったこの本『日本の戦争 封印された言葉』に出てくる。ぜひ、読んでください」と、頭山満の言葉を紹介した。飲んでいると西尾幹二が、「あんた、田原総一朗の本を紹介するなんて、品格(注:品性と言ったかも)を問われるよ。あんたの評価を下げる」というようなことを言う。坂本「いや、いいことが書いてある本だから、紹介したまでですよ」西尾「田原なんてのは最低だ。話にならん」坂本「田原が最低だとしても、田原が言っていることが全部ダメとは思わない。私は、西尾って人はダメな人だから、西尾さんの書いた本は1から10まで全部ダメだというような考え方はしませんね」西尾「いや、あんなヤツの本は最低だ」坂本「わからん人だな。この本は、私が大いに関わって責任を持っている。で、読んだほうがいいと思うから、読んでくれと言った。ほとんど私が書いたんだから、いいことが書いてあるに決まってんだよ!」と、ちょいとデカい声を出したら、黙った。11時半、蛍の光が流れはじめると、西部邁が「俺が奢るから、飲みたいヤツは新宿へ来い」というので、ついていく
●西部、水島、坂本の3人でタクシーに乗り、新宿2丁目、東からだと新宿公園を通り越して新宿3丁目駅に近いところにある「bura」へ。車中の西部の話(新聞から誘われたとき、札幌で記者のしょうもなさをよくわかっていた奥さんがダメ出し。主宰誌『発言者』の資金繰りが心配で眠れぬある夜「家を売ったらしばらく続けられるんだが」と言ったら、奥さんが「どうぞ、お売んなさい。そんなことより私は眠い」と言ったetc.)から、西部邁の奥さんは、とてもエラい人とわかった。6月に奥さんのことを書いた本が出るそう。なお、西部邁のお母さんも、すごい人らしい。東大助教授になったとき久しぶりに報告の電話をしたら「三十いくつにもなってまだ勉強しなくちゃならないのかい。お前もかわいそうな子だ」とかなんとか言ったと。店では寺脇研(ゆとり教育を始めたとんでもない野郎だと、日本中から弾劾されているお方。琵琶湖塾にも来てもらったことがあるが、御礼をいうのを忘れた)が若い衆と飲んでいた。遅れて、岩本太郎、西村仁美、エーレーライズらも来る。西部の娘さんも来て、焼酎の水割りを作ってくださる。御馳走さまでした。2時45分、帰宅
●しまった。西麻布の高級隠れ家的なイタリアン・レストラン「ゼフィーロ」で、ある人に御馳走になり、その支配人だった西部一明(西部邁の息子さん)に挨拶したことがあったんだけど、これも話し忘れた。なおこの店は昨年、残念ながら閉店
●明日夜、以下のような討論会があり、坂本も出席。5月上旬、日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!241ch)で放送予定です。頼まれて何人かに声かけしたが、なにしろ日がなかったもので。田原総一朗も誘ったが、中国行きの予定が決まっており、無理でした。田原は、むこうで中国側3人・日本側3人でテレビ討論をして2日に帰国。日本側のあと二人は、岡本行夫と田中均。4日のサンプロで大々的に紹介するでしょう。なお、明日は日大お休み
●ガソリン値下げ隊(値上げ阻止隊? どうでもいい)を、私は恥ずかしく思います。老人イジメ政府というのも、相当恥ずかしいですけど。どっちも、もうちょっと何とかならんものか
●終日、単行本の原稿書き。だいぶ暖かくなってきたので、仕事の合間に、ちょっと庭(バルコニー)を片づけ。プランター三つにクリサンセマム(白い小さな菊。ノースポールというのかな。もう何年も、勝手に生え続けている)が満開中。シソのこぼれダネから出た芽は、プランター四つに3株ずつ12株を植え替え。室内で冬越ししたハイビスカスは3月から咲き出し、大きめの鉢に赤い花が10個ほどついている(毎日2〜3個咲く)。3本植わっており、あんまり窮屈そうだが、調子がいいのでそのままに。黄色いハイビスカスは、1鉢に1本でゆとりがありすぎるらしく、まだ花がつかず。ゆったりした環境だと、根と葉と枝がガンガン伸び、花を咲かせる必要がないということらしい。シンビジウムなんて、ずいぶん小さい鉢で咲かせますから。人間も、そうだという感じがある。貧乏人の子沢山ってね。冬の間、台所で寝ていたアロカシア・グリーンベルベットも起きた。これはつまりイモ(クワズイモ)です。東京の冬の戸外ではさすがに死滅するが、寒くて上(地上部分)がダメになっても、地中のイモで復活可。表面は水苔にしたほうがよいようです
●終日、単行本の原稿書き。朝、HDDレコーダーの中身を整理したりダビングしていて、NHK・BSでやっていた映画『台所太平記』(原作は谷崎潤一郎)をつい見てしまう。その後にテレビその他で、日本のおっかさん代表として活躍するような女優たち(森光子、乙羽信子、京塚昌子、池内淳子ほか)が、森繁久彌演じる小説家の家の女中として入れ替わり立ち替わり登場。なかなかおもしろい。淡路恵子が、ちょっと怪演。フランキー堺、小沢昭一、三木のり平らの脇もいい。ラスト近く、森繁が妻(淡島千景)に「まあ、女中も鈴と銀で終わりだな。アパートにでも住むか」というようなことをいう。1963年の映画で、「マンション」という言葉が、まだなかったわけです
●昔は、女中さん(お手伝いさん)というのは珍しくなく、私の家(普通のサラリーマン家庭)にも、私が生まれる前後から幼稚園年少組に入るくらいまで、のべ3人だったか、いました(よく覚えていないが、アルバムなどで知っている)。1960年前後の話です。その後は、父の妹たちが2人相次いで下宿し、夜、私を起こしてトイレに連れていったりしていた(そう)。静岡の母の実家には、祖母が亡くなるまで(80年代の終わりまで)、女中さんがいました。最後の人は半ば以上介護人の仕事だったと思うが、途中には耳と口が不自由な人もいた。「おし」という言葉は、今日では差別的で、公式にはつかわないほうがよい言葉とされていますが、当時、祖母などは彼女のことを「おおし」と呼んでいた。そう呼んでも、むろん差別などしていない。家の一部屋を与え、給料もちゃんと支払い、よくしていた。彼女もとても気のつくいい人で、夏休みか何か、われわれ孫たちがとんでもないいたずらをしたとき、飛んできて「番頭の岩本さんが怒り心頭である」ということを、手で知らせた。掌に次を書いたり、指で角を二本突き立ててね。「アー」「ウー」としか言えない人だが、小学校の低学年だった私にも、その言葉は、よくわかりました(母の実家は、昔は漆器やゲタを作っていたが、そのころはサンダルに転換し、家に隣接して工場があった。孫どもは、倉庫にあった製品を入れる箱を、何かのごっこ遊びでグジャグジャに)。そんなことを思い出させてくれた映画
●昨日の神田京子は「清水次郎長伝」から生い立ち・心中奈良屋の二席。とくに奈良屋、後半ほどよかった(乗ってくるのが、遅い!)。ただ、僧が「自分を殴る前に顔をよく見せてくれ」といい、一くだりあって、次郎長が「なるほど、殴るなんてとんでもなかった。すまねえ」という場面の次郎長のセリフ、「殴ったなんて」というように聞こえなくもなかった。噛んだとしても、「殴ろうとしたなんて」と聞こえなくてはならない。当たり前だが、噛んでも話が通る箇所と、噛むと話が矛盾する箇所があるわけだ。後者は、セリフそのものを改良して(意味がハッキリする言い方に変えて)いい
●二つの話だけでは持たないため、枕が長い。ただ、知らない講釈師や会の名前をダラダラ出し、内輪向けの話をして、「知っている人にはわかる」というのは、全然つまらんでしょう。落語家だか若手講釈師の誰が清水次郎長、誰が大政小政森の石松に当たるなんて、少なくとも私にはまったくどうでもよい退屈情報。そんなことをやってる限り、講談の普及など覚束ない。程度の問題で、絶対にやるなとはいわないが、長すぎだ。もっと私たちの社会のあり方や生活の琴線に触れるような枕話、ネタ、ギャグを考えたほうがよいと思う。たとえば清水は静岡と合併し清水市というのは消滅した(いまは静岡市清水区)。じゃ、「清水の次郎長」は「静岡の次郎長」というのかな? あの合併ブームって……。と、この話から市役所の話、年金問題、後期高齢者問題にも行けるわけ。露骨にやりすぎると談志になっちまうが、お年寄りにも若い連中にも、なるほどと思わせる話ができるかもしれない。そのほうが講釈師の名前を20人ばかりもいえるオタクより普通の人を、つまり大勢を、笑わせることができると思わないか
●昨日、テレビ東京の社内報『てれと』4月号が届いていた。31pに、春の記者懇親会(3月7日)で、菅谷定彦・テレ東会長がゲームで獲得したゴルフクラブは、クローク番号37をゲットした坂本衛さんにプレゼントと、小さな写真付きで紹介されている。ですがね、これが放送批評懇親会の坂本と書いてあるのですよ(笑)。名刺をくれというので渡したんだけど。ま、放送批評懇談会は事実上、放送批評懇親会と化している(堕している)と、いえなくもないけれども
●夜7時半〜、日芸99年度卒の女講談師『神田京子独演会 バトルロイヤルミルクティー第5杯目』@横浜にぎわい座。当日券がまだ若干あるようですので、お時間おありの方はどうぞ。東京駅からJRで桜木町に行くのがいちばんよさそうだが、往復運賃1400円。独演会チケットは1500円。入場料2500円でいいから、次回はもっと近場でやってくれ(横浜の人は、東京でやるときは同じことをいうだろうね。だから、東京でも横浜でも大宮でも千葉でも、いろんなところでやってくれ)
●午前中、メールのやりとり数通やら、放懇グランドデザイン小委員会のアンケートたたき台づくりやら。その後に原稿書き。6時半、同委員会の会合@新宿5丁目放懇事務所。出席は、市村元、入江たのし、岩本太郎、市村元、小田桐誠、音好宏、坂本衛、丹羽美之、深川章(石井彰のみ欠席)。事務局から中島好登
●夜10時頃、音、中島、坂本の三人でビールでも一杯飲んでいくかということになり、新宿5丁目交差点そばのビア・バーへ。ビールでなく赤ワインを、結局3本空けたのかな。2本で止めたんだっけ? ま、あれこれ異論、激論、和気藹々。午前3時前に帰宅。原稿を書くヒマが、ない
●東京新聞22日付け朝刊に、〈「報告書は乱暴な作りだ」 著者が調査委批判 調書漏えい〉との記事。この共同配信記事とは、ちょっと違う記事です。記事によれば〈九日に公表された報告書は「(情報源の鑑定医と交わした)調書のコピー禁止や情報源が特定されないように書くことなどの約束に反した」と認定したが、草薙さんは「そんな約束はしていない」と反論。「報告書は乱暴な作りだ。これが先例となってはいけない」と主張した。〉
●なに言ってるんでしょうね。ジャーナリストは、約束しようがしまいが関係なく、そんな約束以前に、情報源が特定されないように書かなければならない。紙に残った約束があるかないか、口約束を記録したテープがあるかないか、なんて関係ない。それらしい約束が、事実として一切交わされなかったとしても、情報源がジャーナリストに情報を提供してくれた時点で、「自分は命をかけて情報源のあなたを守る。情報源は決して明かさない」という暗黙の約束が成立していると考えるほかはない(そう考えない者を、私はジャーナリストとして認めない)。この著者は、結果的に情報源が特定されるような愚かな書き方をし、情報源が逮捕される事態まで招いたのだから、その暗黙の約束を守れなかったことは明らか。ところが、その人物が「情報源が特定されないように書くという約束はしていない」と主張している。バカじゃないか、と私は思います
●また、講談社の報告書が乱暴な作りなら、僕にもパパにも直接の取材を一切せず、警察の調書その他からの情報だけで書いた『僕はパパを殺すことに決めた』という本も同様に乱暴な作り。報告書が、この著者に事実関係を確認せずに書いたと批判されるべきなら、人物Aにも人物Bにも事実関係を確認せずに「AはBを殺すことに決めた」という本を書いた著者は、もっと厳しく徹底的に批判されるべき。この著者は記者会見を開いて講談社を批判できるが、未成年者Aに同じことはできないからです。また、講談社は報告書でカネを取っていないが、本は売り物であり著者は印税を手にしたからです。んなことは当ったり前
●同席した著者の代理人の清水勉弁護士を、私はよく知っています(松川温泉では二人で同じ部屋に泊まった)。記事末尾の同弁護士のコメント〈「今回のようなことで鑑定医が起訴されれば、弁護士の弁護活動や(少年事件での)付添人活動も制限される恐れがある」と危惧を表明した。〉にはまったく同感ですが、自分を棚上げにして他者を批判する著者には、まるで共感できません
●宮台真司の主張:『靖国 YASUKUNI』騒動を巡る巷の議論は、本質を全く捉えていない。なるほど、おおむね賛成できる話だと思いますね。こんなにカタカナの人物名が必要かいと思うのと(必要な媒体に書いた文章なのかも)、「表現の自由は憲法規定」は今回の文脈ではよいが、私は表現の自由はそれに留まらない概念だ(もちろんこれは別の話)とは思っています(この文04-22に加筆)。末尾に、竹やりが乱入した麻布中・高の文化祭の話が出てくる。ま、中1だった俺らは、主催者って感じはなかったけれども
●原稿書き。午後13〜15時、家人と江古田で観劇。池袋まで戻り、買い物。豚道楽なる居酒屋で、ちょっと早い夕食がてら飲む。高田馬場でさらに買い物して帰宅
●第一に注意しなければならないのは、中国はデカいということ。人口で日本のざっと10倍。ってことは、高度成長期の日本が東アジアに六つも七つもあるようなもの(一緒に本を作ったとき岡本行夫がそう言ったが、私も同感)。頭のイイ奴も日本の10倍、背高のっぽも日本の10倍、足の速い奴も日本の10倍、頭の悪い奴も日本の10倍いる、と思うのが正解。このパワーはとんでもなく、二十一世紀前半の東アジア情勢は、その中国がどう動くかを軸に展開すると
●第二に、そのタイムラグは国や社会のあり方・構造といった側面を見て言っている。中国の進んでいる部分は、むろん日本の先を行っている場合もある。「高層ビルの数」なんて指標では、上海だけで日本全体を上回るんじゃなかったかな。どこまで地震に強いかは別としてね
●第三に、30年遅れの中国は、先進国が30〜40年前にやっていたことなら何をやっても許されるわけではない。現在は2008年なんだから当たり前。ただ、中国が遅れていることに、多くの先進国は責任がある。日清戦争に日本が勝った後(1895年)、日露独英仏米は中国(当時は清)の分割・植民地化競争に躍起となった。出遅れたアメリカは門戸開放・機会均等、つまり「俺にもかませろ」と主張した。いちばんうまくやったのが、日露戦争に勝ち、第一次世界大戦で火事場泥棒的に立ち回った日本。ただし、露独英仏米よりも「うまく」やったが、彼らと比べて特段に「悪く」やったわけではない(スペイン・ポルトガル・オランダなどを含め、先進国が世界中でやってきたのと同じことを、後から近場の中国でうまくやっただけ)。だから、日本は分割・植民地化競争について欧米列強に批判されるいわれはない。でも、分割され植民地化された中国は、そりゃ怨《うら》みに思うでしょう。いちばんうまくやり、ある時点から、満州国境を越えて深入りしすぎ、やりすぎた日本が、「右侵略者代表」という形になったわけで(その侵略者ども同士が戦い、英米は中国側に立ったから、侵略者としての色が薄まった。しかし、イギリスが清に仕掛けた1840年前後のアヘン戦争なんて、当時の英野党が「こんな恥さらしな戦争はない」と猛反対した通り、最低下劣な侵略戦争。それを見て日本は、こりゃヤバい、清のようにはなるまい、欧米列強のようになろうと覚醒した。このカッコ内04-21加筆)。だから中国分割・植民地化競争に(程度の差はあれ)参加した先進国は、中国初のオリンピックをブチ壊すようなことはすべきではない(中国批判もほどほどにしておけ)と、私は思います。近代オリンピックの第1回は1896年のアテネ大会。そのとき、自分たちの国がアジアや中国大陸で何をしていたか、先進国の連中は、もっと自省したほうがよい。右代表で、しかも肌の色が同じ日本人は、なおさらです。いち早く開会式不参加を決めたヨーロッパ首脳なんていうのには、私は黄色い肌の連中(私たちを含む)への差別意識を感じます
●善光寺が「同じ仏教者として」みたいなことを言うが、どうなのか。ブッダという人は、王様や貴族ぐらしなんてサイテーだと思って、家族も世俗社会も捨てて修行を始めた。みんな、その弟子じゃないのか? なぜ、ダライ・ラマにそんなに共感できるのかしらん(以下の記事もご参照)
●今日は教員の自己紹介と授業の狙いについてのオリエンテーション。マスコミIIはマスコミI履修者の必修だが、放特研Vの学生は授業を取るか取らないかまだ決めてない。午前中の自己紹介がてら、昨日も討論した「映画『靖国』と表現の自由を考える」問題を少々。自由の幅の振り子の話(04-17欄参照)をして、こんな話。「ようするにだ、Xという映画が作られたが、上映中止、一部削除すべき、提訴して差し止めというような話が噴出した。そのとき映画Xを葬れば、そこで話はおしまいだ」(と、黒板に書いた「映画X」を黒板消しで消す)。「ところがだ(と縦線1本書いた左側に、また「映画X」と書き)、こいつはとりあえず公開し、存在させる。で文句あるヤツは「ダメ」と徹底批判する。いいと思うヤツは「イイ」という。刀匠を説得し別の「映画Y」ができる。テレビが別の「ドキュメンタリーZ」をつくる。以上に触発されてまた別の「映画A」が撮られるかも。誰かが「ルポB」を書くかもしれない。この線の右側の世界には何もない。左側の世界には、XもYもZもAもBもダメもイイもある。どちらが多くの選択肢があり、豊穣で、よりよい世界(社会)か。私はこっち(線の左側)の世界のほうが、はるかによいと思う」と【後からの注】以上、授業では○や□を描いて説明したが、ここでは話をわかりやすくするためアルファベットを加えて説明
●「靖国だけじゃなくて、中国のチベット問題も話してほしい」という学生あり。次はこんな話。「誤解を恐れずにいえば、『中国』という国は、つい最近まで存在しなかったともいえる。千数百年前からずっと日本なる国があった、という意味では、中国はなかった。中国の歴史とは、中原《ちゅうげん》と呼ばれる地域の支配者が誰だったかという話だ。元って知ってるか?」学生「おカネの単位ですか?」坂本「あのね……、ジンギスカンやフビライ汗《ハン》の国。馬に乗って羊追っかけたりする遊牧民。モンゴルだよ。朝青龍んとこ。昔は匈奴なんて言われ、そいつらが入ってこないように万里の長城ができた。ところが、その遊牧民が現在の中国全域を支配したことがある。元寇って1274年と1281年(船酔いで二敗と覚える)に日本にも来たが、神風が吹いたりして北九州で食い止めた。もっと前は、都市国家の商、殷・周。ここらでざっと紀元前数百年で、春秋・戦国時代に入る。諸子百家とか、孔子が諸国の君主のとこを回って道を説いたりしたでしょ。で、韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦(字は書かず、口で言っただけ。右周りにぐるっと、この順に覚えるのがいい。戦国の七雄)ときて、秦の始皇帝が統一する(以下は略したが、秦・漢、晋や三国時代・南北朝時代などをへて隋・唐、宋、元、明、清、中華民国、中共。これは、もう中国史のいちばん最初に、丸暗記しちゃったほうがいい)。つまり広い東アジアに群雄割拠して、これはってヤツが中央にのしてきて、全部取る。しばらくすると、また別のヤツが取ると。それが中国だ」
●「辮髪《べんぱつ》って知ってるか(と絵を描く。こんな帽子にこんな髪)。あれは満州はじめアジア北方民族の習俗。清のときは、満州の連中があれを全土に強制し、漢民族を支配・差別してたのよ。清の創始者は満州出身の愛新覚羅《あいしんかくら》ヌルハチ。誰かインディ・ジョーンズ『魔宮の伝説』見てない? 冒頭、上海のクラブで壺を取りっこしてた、あの中身がヌルハチの骨(って設定)だよ。日本が作った満州国の皇帝も愛新覚羅溥儀《ふぎ》。テレビや絵本なんかで辮髪ダメというのは、それが中国に対する差別だからじゃない(清=中国ならば、彼らが好きでやっていたことが、なぜ差別になる?)。漢民族(現・中国の主流)が、自分たちを支配していた満州の連中の習俗だから嫌がっているわけ。だから中国は一つじゃない。満州族の人びとは、いまも中国東北部や中朝国境付近にいる。朝鮮北部にもいる。逆に中国側にも朝鮮民族がいる。それからモンゴルの隣に、新疆《しんきょう・しんちゃん》ウイグル自治区というのがある。ここにはウイグル族やモンゴル族がいる。チベットも同じで、チベット族がいる。それはもともと中国かといえば、違うでしょ。そういう場所が現・中国の周縁部各地にあるわけだ。それを統一しておくんだから、現・中国は大変だ、という問題がまず、ある」
●「じゃあ、ダライ・ラマとは何か? なかなかの人物だが、あれ、何世だ?」学生「……」坂本「第14世だね。『大海の師』というような名・称号を受け継いだ14人目だ。チベット仏教の最高指導者だが、なんで世襲みたいな形になってる? つまりチベット国王みたいなもので、政治的な最高指導者を兼ねているから。ブラビの『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の、あの子どもだよ」「ついこの間、日本にも来た。ホテルに安倍さんの奥さんが訪ねた。夕方情報ニュースでやってたんだけど、ホテルの最高級スイートが1泊28万円とかいったかな。で、昼からステーキ(作るのは世界中どこでも同行するお抱えシェフ)を食うと。だが、ちょっと待て。チベット仏教の最高指導僧が、28万円のスイートに泊まり、分厚いステーキを食うのは、仏教的にどうなのか。タイやビルマの僧は、妻帯しないし、絶対に肉を食わないぞ。おかしいとは、思わない? 日本のどこかの寺の大僧正が、最高級スイートに泊まり、昼からステーキ食ったら、堕落しているって言われちゃうよ」「王様みたいなものだったら、支配され、かしずいている奴隷とか農奴みたいな人びともいた。その人びとを解放したのは誰か? 中国共産党だろうね。歴史的に、それはよかったのか? まあ、よかったんじゃないの。それがダメなら、王様をギロチン台に送って絶対王政をブチ壊したフランス共和政ダメ、ロシア帝政をブチ壊したソ連ダメになっちゃうからさ。だから、チベットの自由弾圧・人権抑圧はよくない。しかし、一方的にチベットあるいはダライ・ラマが善玉で、現・中国あるいは中国共産党が悪玉という話にもならないと、私は思う」
●「少なくとも、全世界が中国悪いというときは、気をつけたほうがいい。アメリカは、問題視するとアメリカに都合の悪い人権侵害は、黙っている国だ。ちょっと前、カダフィ大佐のリビアはテロ指定国家の一つだったが、カダフィがゴメンしたらリストから外れた。でも、カダフィ大佐は、リビア国内で相変わらず人権抑圧をしていると思うぞ。『大佐』が、抑圧せずに、『最高指導者』でいられるはずないじゃん。民主主義のチャンピオンなら、王様なんて存在はとんでもないというはずだが、イランでは王様(パーレビ王朝)側だったし、アメリカはサウジアラビアの王様側か民衆側かといえば王様側だ。北朝鮮の拉致はダメというが、CIAなんて拉致・暗殺やり放題だし、暗殺どころかサダム・フセイン排除だけを理由に戦争した国ですよ(補足:子ブッシュが掲げたイラク戦争開戦理由は、大量兵器疑惑、アルカイダとの関係、フセイン圧政の三つ。前の二つは、現時点では完全に否定されている。子ブッシュは遊説中に、サダム・フセイン排除だけでも意義があったという趣旨を述べたことがある。当欄既報)。わかった? しっかり勉強しよう」
●「ついでにいうと、大気汚染ヒドいのにオリンピックかよ、という声が強いが、日本の東京オリンピックは何年?」学生「1964年」坂本「そのとき、水俣病はどうなってた? 新潟大学が阿賀野川流域の新潟水俣病を見つけたのは1965年だ。日本政府が水俣病とチッソ工場廃水の因果関係を認めたのは1968年だぞ。四日市ぜんそくは? 公害や交通戦争のピークは70年前後で、64年は、まだこれから患者がガンガン増えるというときだ。人のこといえるのかね、と私は思うね。日本と30年くらいタイムラグのある国と思えば、大気汚染も人権弾圧も、全然普通じゃん」(補足:1968〜69年の反戦運動や大学紛争で、警察や機動隊が、過激派ではない一般学生を含む学生やらデモ隊やらを弾圧している映像を見ればいい。それはそれはひどい自由の抑圧に見える。日本がオリンピックをやったのは、その4〜5年前)
●念のため。人権抑圧がいいとか、大気汚染がいい(大目にみてやれ)と言ったのではありません。何事も一筋縄ではいかないよ、物事はいろんな角度──とくに、歴史を踏まえた視点から見てごらん、と言いたいわけです
●野中章弘が「右翼との討論会」といっていたので、ナントカ塾議長とかカントカ会会長とかいう人が出てくるのかと思っていたら、別に全然フツーでした。塩見、三上も穏やかなオッサン(ときどきエキサイトして、「ん、ちと言い過ぎでは」って感じも)。私の言ったことは、おおむね次の●からの通り(記憶で書いており、だいたいのところ、こんな趣旨だと思ってください)。正確には、本日のCS放送、またはインターネット放送をどうぞ。なお、水島総や同社専務・井上敏治(日大芸術学部映画学科卒とか)が「田原総一朗に出てくれと言っているが、出ない」というから、「じゃ、次回は私に言ってください。出ない理由もないと思うので。今回みたいに2日前だと、ちょっとどうにもならないけど」と。三上治が後編の終わりでちょっと触れていたが、靖国問題そのものを、もっと話す必要がありますから
●私は映画『靖国』を見ていない。だから、まず見せてくれ。話はそれからで、上映中止はよくない。右翼が「南京虐殺は幻だ」という映画を作ったら、それも見せてくれ。上映中止なんてとんでもない。右だろうが左だろうが、まず見せて、自由に批判しあうべきだ。私は放送関係の仕事が多いが、過去に放送中止事件が山ほどあった。ベトナム戦争の頃、政府や自民党が政治介入し、番組を盛んに潰した。同時に労働組合も市民団体も介入して番組を潰した。どっちもよくない。ベルリンの壁があっけなく崩れたのは、東側の人びとが西側の衛星放送を見ていたから。みんなに見せることは、よいことだ
●文化庁の助成が問題視されているが、セコい。カネがないのに頑張っている監督や作家が大勢いる。彼らを助けるのはよいことだ。そのとき、内容をあれこれいわれては、たまらない。そりゃ助成じゃない。文化や芸術のパトロンというのは、もっと鷹揚なものだろう。(「助成の申請と実際が、あれこれ違いすぎ」という点は)シナリオが途中で変わるのはよくあること。映画や芸術に助成するとき、内容をうんぬんすべきではない。ここは中国や北朝鮮や旧ソ連じゃない。自由な民主主義国なんだから、緩やかにやればよいではないか
●自由というのは、振り子のように右に左に揺れる幅のあるもの。時計でいえば20分〜30分〜40分の間(これが許容範囲)を、行ったり来たり触れているわけ。そのとき、20分のところを超えて18分まで行ったじゃないかとか、こっち側は40分のところまでなのに一瞬43分まで行ったゾとか、キリキリやっていると、振り子は25分〜35分の間でしか触れなくなる。それは、つまんない世の中になるということでしょう。仕舞いに30分のところを指したまま止まってしまうかもしれない。だから「自由」というのはある程度の行き過ぎは許容すべきだ。これが大前提
●映画ビラと映画の内容は分けて話すべき。ビラ表紙の人物が特定できるほど大きく、許可も得ておらず、肖像権の侵害だというなら、そりゃ告訴すればいい。ただ、ビラの人物が映画でどのくらいの大きさで出てくるのか、見てないから何ともいえない。その際、群衆を撮るなら可、アップはダメと言っても、話はそう簡単ではない。靖国神社は敷地内における許可のない映像がダメだ、カットせよという。じゃあ、神社の外、靖国通りの反対側から、望遠で撮ればまったく問題ないのか。そのとき、だんだんアップにしていって、画面一杯の大きさにもできる。では、どの瞬間から個人が特定でき、肖像権問題が発生するかなんてことは、一般論では語れない。だから見せろ、上映中止はダメだ、と言っている。また、「敷地内の許可なし映像は全部ダメ」「映っている人物がダメといえば全部ダメ」というルールを固定してしまうと、右翼が「共産党の真実」という映画を撮るとき、なんでもかんでもダメになって、やりにくくないか。そういうところも、なるべく自由にしておくべきだ
●上映して初めて、淘汰される。見て、多くの人は「やっぱりこんなのダメだ」と思うかもしれない。何か教えられる人もいるかもしれない。別の映画が製作されるかもしれない。そうして豊穣な世界になっていく。上映されなければ、淘汰も何も起こりようがない
●アエラ最新記事によると、刀匠の苅谷さんは監督に「上映可。頑張ってくれ」と言ったことになっている。監督と同席したときも、そう言っていた。ところが苅谷さんは、違うメディアに違うことを言っている。私が作者ならば、苅谷さんが「頑張ってくれ」と言ったときもカメラを回し、アリバイを作っておく。それをしなかったのは、ドキュメンタリー作家としてお粗末だ。だが、お粗末だから上映ダメという話にはならない。上映して、こんなのはお粗末だと批判すればいい。あるいは苅谷さんを説得して、別のドキュメンタリー映像を撮り直し、ベルリンでもカンヌでも出して一等賞をもらえばいい。90歳という高齢で、新たな撮影には耐えられず、人権侵害に手を打ちようがないから上映差し止めしかないというのは、違うと思う。上映してなお、刀匠が告訴するというなら、支援組織でもなんでも作ってやればよい
●客観的なドキュメンタリーなどというものはない。全部、主観的な表現だ。で、映像作家とカメラの前にいる対象とは、つねに表現の自由の問題がつきまとう。それでも、ここまでやるというのは、表現者の「覚悟」の問題。覚悟があれば、やれればいい
●長いメールと長いFAXを打ったら、半日かかってしまった。明日10時チャンネル桜で映画『靖国』をめぐる討論会に出席と書いたが、夜11時半現在、その後の連絡がない。ところで、以前(2005年6月)本欄に靖国問題と戦争責任について書いたことがある。ネットで調べ物をしていたら、それに行き当たったので、せっかくだから(表記など少し直して)再掲します。まだの人はお読みください
●【再掲ここから】靖国問題で、「A級戦犯は国内ではもう罪人ではない」だから「戦前の戦争指導者たちに責任はない」といわんばかりの妄言が流れています(たとえば厚労政務次官の森岡正弘)が、何バカなことをいっているのだ?
●私の母は昭和3年の静岡生まれですが、その父(私の祖父)の深澤銀蔵という人は、漆器をアメリカに輸出するなどして海外事情をよく知っていた。昭和の初め、静岡市一番町の家に輸出先のアメリカ人を招いたときは、家に白い布を敷き詰めて靴のまま上がらせた。つまり、当時としては開明派だった。太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)12月8日の朝、冷え込みで一番町の家の池が湯気を立てている(池に引く井戸水が暖かいので、そうなる)のを見ながら、銀蔵は私の母にいった。「アメリカのサンフランシスコには、金門橋という鉄でできた大きな橋がかかっている。あんなものを造る豊かな国と戦ってはだめだ。勝てない」と
●銀蔵は大正時代の末、横浜で貿易商社に勤めていた。午後3時にはホテルでお茶して、中華街で夕飯のあと本牧の遊興街に出かける毎日だったという。そこで関東大震災に遭い、父と妻を亡くした。会社から慌てて家に戻ると、自宅が倒壊し、家族が埋まっているところに火が移って、やむなく野毛山に逃げた。隣の渡辺さんが、同じように家族が生き埋めとなり、「ダメだ。一緒に逃げよう」と強くうながしたが、「私はもうここで死ぬ」と動かない。仕方なく見捨てて逃げたら、野毛山で渡辺さんに出会ったそう。私の祖母は銀蔵の後妻。銀蔵が残した膨大で詳細な震災手記が私の手元にあり、いつか世に出そうと思っています。これがまた、「野毛山に逃げる途中、乾物屋があって誰もいないので、卵を一箱頂戴し、かついで逃げた。山で、景気よくみんなに配ったら、幼子を連れた母親から、手を合わせて拝まれた」とか「田中商会の金庫にダイヤモンドがあったはずというので、日本刀で武装して掘り出しにいった」とか「神戸に行く難民船に乗ったら顔なじみのマリ公がいて、煙草を1本もらった。マリ公が神戸で一旗挙げるつもりと意気軒昂なので、こんな淫売がいうのだ、俺も頑張らねばと思った」とか、ムチャクチャおもしろい。祖父は震災の経験から、「人というのは熱さや痛さには耐えられない生き物だ」「大火は絶対に消せない」「焼夷弾の空襲が始まったら一目散に逃げよ」と、日頃から家族にいっていた。一番町では離れのある広い屋敷に住んでいたが、生涯、瓦屋根の家は造らせませんでした(子どものころ、こんなデカい家で、なんでトタン屋根なんだと、非常に不思議だった)。
●で、昭和20年5月か6月のある日、米軍が静岡上空で神戸空襲(3月)の様子を記したビラを巻いた。それは神戸市街地の地図で、焼けた場所に赤い斜線が引かれ、写真もついている(「次は静岡だ」とは、書いてはなかった)。それを見て銀蔵は「アメリカ人はこういうことで嘘はつかない。これは本当だ。次は静岡の番という警告だ」といい、妻の実家のある静岡の北の麻機《あさばた》に疎開を決めた。ここは一番町から歩いて1時間ほど、市の中心部から5〜6キロの場所。妻の家の手も借りて、もう実っていた麦畑を潰し、五番町にあった工場の庇《ひさし》を取り外してもっていき、急遽6畳2間の仮住まいを造らせた。昭和20年6月19日、馬車を3台手配して家財道具を運び出しにかかったが、2台満載にしたところで近所が「深澤さんのところは逃げ出すのか」と、ざわざわしはじめた。そこで2台だけ送り出し、3台目は空で返した。家族は荷物と一緒に麻機へ。その晩、私の母と妹は一番町に泊まった。母は17歳で一番町小学校の代用教員、妹は14歳の女学生で、一番町のほうが翌日近くて便利だったからです
●19日の深夜、警戒警報のサイレンが鳴り、静岡駅付近に紫色とピンク色の(母によれば「それはそれはきれいな」)照明弾が落ちた。「いよいよ始まる」と思った私の母は、とにかく心配しているに違いない両親のところに逃げようと、妹を(自転車2台で途中はぐれるとまずいと思い)自分の自転車の後ろに乗せ、麻機の山を目指して一目散に逃げ出した。庭には防空壕があったが、それに入ろうとは思わなかったという。当時、庭のない家は畳を外してその下に、その場所もない人は道路脇などに防空壕を掘った。簀の子を敷いて布団などを持ち込み、警報が鳴れば入るのだが、銀蔵はハッキリ「こんなものは役立たない。入れば蒸し焼きになる」と断言していた
●二人は、大岩の交番まで来たところで、警官に止められた。私の母は「若い者が真っ先に逃げ出すとは何事か。すぐに帰れ」と、横っ面に張り手を食わされた。で、母は「そうですか。すみません」と、ちょっとひと角戻るふりをして回り道し、山を目指した。麻機では父が街道に出て娘二人が来るのを待っていた。いよいよ静岡大空襲が始まり、麻機の山からは米軍が市の周辺部に焼夷弾を落とすのが見えた。母が出た静岡高女(現・城北高)がまず燃えだし、やがて中心部が燃えだして、静岡市内は焼け落ちた(死者2000人前後、負傷者数千人、罹災者10万人以上、焼失家屋2万数千以上)
●【注】 米軍の爆撃にはフェーズ1とフェーズ2がある。フェーズ1は、まず市街地のぐるりの矩形に焼夷弾を落とし、火の壁をつくる。目的は、目標地区のマーキングと住民の退路遮断。東京でも4×3マイルの矩形周辺部の幅450m を、先導のB29中隊が100フィート間隔で隊列を組み、最初に焼いた。フェーズ2で矩形の中を丁寧に絨毯爆撃(低空から焼夷弾投下)していく。昔読んだが、最初に大きなX字を描くというやり方もあったはず
●銀蔵は震災の経験があるものだから、夜通し指図して握り飯を作らせ、翌朝、荷車につんで一番町小学校を目指した。何しろ、17歳の代用教員とはいえ、自分の娘が真っ先に駆けつけなければならないのに逃げ出したわけだから。一番町小学校の生き残った先生たちはプールにつかっており、プールの水は温かかった。火災で校舎が崩れ、逃げ遅れた先生が一人、亡くなったという。すっかり燃え落ちた一番町の家の防空壕からは、近所の人たちの遺体が多数出てきた。小さな人が入れるほどの重い金庫(その後もずっと一番町にあった)がすっ飛んでいたそうだから、近くに250キロ爆弾でも落ちたのかも知れません
●何がいいたいかというと、途中で警官に止められブン殴られた母親が、素直にいうことを聞いて家に戻っていたら、私はこの世に生まれていなかった。私の子どもたちも生まれていなかったし、あなたがこのホームページを読むこともなかった。ですから、私は祖父や母親の判断を100%正しいものであったと確信しています。しかし、逃げるのを邪魔した警官を責めるべきだとは思わない。彼は警官としての職務を執行しただけ。では、「その通りにしていたら、私は生まれなかったかもしれない」という圧力を、私の母親にかけた責任者は誰なのか。それは、当時の日本国の指導者たちであったというほかはない。もちろん、都市の絨毯爆撃という無差別大量殺人をさんざん繰り返したアメリカはとんでもないが、爆撃は日本もやっている(たとえば重慶爆撃。ドイツもイギリスも市民殺戮を狙った爆撃は、やっている)から、どっちもどっち。アメリカが悪いにせよ、負ける戦争を指導し、到底勝てないとわかってからも無惨な抵抗を続けさせ、空襲による死者や罹災者を増やした当時の日本国の指導者の責任は、問われて当然です
●昭和20年には首相ではなかったが、たとえば東條英機はどうか。彼は、昭和10年関東憲兵司令官、12年関東軍参謀長、15年陸軍大臣で、16年太平洋戦争開戦時の内閣総理大臣兼陸軍大臣兼内務大臣、19年には参謀総長(陸軍トップ)まで兼任した人物です。東條英機が日本国の行政責任者として多くの若者たちを戦場に送り込んだことは明らか。極東軍事裁判の結果がどうのこうのという前に、東條英機には日本の指導者として日本の国民大衆に対して責任があるのは当たり前。自決を図っただの、裁判で天皇を守ろうとしただのが、免罪符になるわけもない(もっと多くの名もない人びとが自決し、もっと多くの名もない人びとが命をかけて天皇を守り、死んでいった)。A級戦犯は戦勝国の押しつけで、その後に国会で名誉回復したから責任はないなんて、どこの誰がいえるのだ。そんなバカなこと、この前の戦争で死んだ者たちに申し訳なくて、いえるはずがないではないか
●ちなみに、私の叔父(銀蔵の、大震災で死んだ妻の子)は満州から帰還したものの戦病死し、靖国に祀られている(その奥さんは、幼い子を抱え、遺族年金が出て本当に助かった。しかし、22年だか24年だかに帰還した後の病死では、本当は靖国には入れないはず。靖国神社が、相当程度いい加減な祀り方をしていることは明らか)。私の父は陸軍士官学校60期。陸軍大将を目指し、もちろん天皇のために死ぬつもりだった。陸士OBのクーデター未遂「三無事件」の中心にいた一人・小池一臣は、幼い私をよく高い高いしてくれた人物です(90年以降も何度か会ったが、当時は内調=内閣調査室の仕事をしているといっていた。官房機密費からお小遣いをもらっていたんでしょう)。私の祖父も、負ける戦争とは思ったが、戦争にさんざん協力した。戦前の人びとがお国のために死に物狂いで頑張ったなんてのは、当ったり前の話。その中で軍人だけが犠牲になったと思うのは間違い。軍人がみんなひっくるめて英雄だったというのも間違い。旧軍人だけが靖国神社に祀られ敬われるべきだという考え方はナンセンスの極み。醜い戦争指導者や軍人などゴロゴロいた。戦犯に対する国会の名誉回復で、彼らの罪や責任が消えたわけでは断じてない
●そもそも連合国側が戦犯を断罪しなければ、日本人の誰が、誰の責任を問うたというのか。あの大戦争で何百万人か死んで、責任者がいないなんて話がどこにある?【再掲ここまで】
●夕6時半〜放送批評懇談会の理事会準備会。理事選挙の得票上位15名が集まり、残りの理事を指名する予定
●アジアプレスの野中章弘から「17日、午前10時〜午後2時、映画『靖国』につきチャンネル桜で右翼のみなさんとの討論番組があるが、出られる?」と連絡あり。出席と返事。生番組ではなく録画かもしれませんので、放送日時は追ってここに書きます。17日は夕方からの「隠し砦の三悪人」試写会も楽しみ
●田原総一朗から電話で、アスコムの件や単行本の進行状況などあれこれ。映画『靖国』について「靖国神社が削除うんぬんと言いはじめた。背後で言わせている勢力があるんだろう。僕らも許可のない撮影なんてガンガンやっていたけど、当時は、何も言われなかった。いちいち言われるような時代になってきたね」と。田原には言わなかったが、私の考えは以下の通り
●靖国神社に対しては、さまざまな人が、さまざまな考えを抱いている。総理大臣や国会議員が突然、参拝することもあれば、反対派が突然、デモを仕掛けて境内に入ることもある。しかし、靖国神社は別に国営施設ではなく、ほかの多くの神社がそうであるように、人びとや社会に対して開かれた場所、開かれた存在であるはずだ。それが、境内で撮影された気にくわない映像の削除を求めるのでは、たとえば、許可を得るヒマなどない突然の参拝や突然のデモを、テレビが報道すらできない。そのことは社会にとって、非常によくない。靖国神社は、「言論・報道の自由」もなければ「撮影の自由」もない中国(チベット含む)や北朝鮮や旧ソ連の宗教・慰霊施設とは違うのだから、「許可がない」などというつまらない理由で、報道・映画関係者などが撮った映像の削除を求めるべきではない
●靖国神社の神様は、246万柱の兵士その他である。一部遺族が「(夫を、父を、息子を)神様にしてくれるな」と頼んでも、その抗議は一切認めない神社だ。そんな姿勢で一貫する靖国神社が、許可がない映像は削除せよと撮影者に抗議を寄こすというのは、あまりにも身勝手すぎないか。人に抗議するなら、人からの抗議にも耳を傾ける姿勢が必要だと、私は思う
●午前8時半〜昼まで、ギャラクシー賞報道活動部門下期応募作の視聴。風呂の後、午後3時〜審査会@放送批評懇談会事務所。出席は麻生千晶、碓井広義、上滝徹也、小林英美、坂本衛(報道活動部門委員長)、田原茂行、露木茂、堀木卓也(副委員長)、山田健太、藤久ミネ(選奨事業委員長、オブザーバー参加)で、欠席は元NHK解説委員長の山室英男。事務局から福島美子
●下期15本から奨励賞候補4本を選ぶ。冒頭、5時半に審査終了予定と宣言。みなさんのご協力よろしくサクサクと進行。前半は、2本ほどが「テレビがここまでやれると示す力作。しかし情緒的にすぎないか」といった観点から議論沸騰したものの、うまく着地。途中休憩(碓井、上滝、小林、坂本、露木の5名が超狭いベランダに出て、押し合いへし合いしながら一服)をはさんで、さらにツメの議論を重ね、ピタリ5時半に終了。最終的には、ここまでで決まった通期の奨励賞候補8本から、大賞1本・優秀賞2〜3本・選奨2〜3本を選び、選ばれなかったものが奨励賞となります
●この4月から東京工科大学教授の碓井広義、読売新聞の小林英美、福島美子、坂本の4人で懇親会(ってほどのこともない飲み会)@東順永。碓井広義が「報道活動部門受賞作を視聴し制作者と語る会」の開催を強く提唱し、私も賛同。イメージとしては、たとえば秋頃、大学(東京工科大とか日大あたりか)で、07年度選奨以上の作品につき、視聴+制作者との対話(30分×6セット、全3時間+α)、対象(お客さん)は制作者・研究者・大学生・一般など200人程度という感じ。今後、企画を詰めますので、応募者をはじめ局関係者のみなさん、ご協力のほどよろしくお願いします
◆見てないものは、話にならない。日本には言論・表現の自由がある。どんな映画であれ、公開し、文句があるヤツは見たうえで批判なり討論なりをせよ、という話
◆今回、「靖国」の文化庁助成を問題視した稲田なにがし、有村なにがしという国会議員は、映画の見方や楽しみ方を知らない、非常に文化程度が低い人間だと思う。カネを助成して内容に文句をつけるのでは、総会屋にカネを出す悪徳企業と同じだ。国会議員として恥ずかしい。言葉は悪いが、ケツの穴が小さすぎると思う
◆日本国憲法第62条に「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」と明文規定のある国政調査権を振りかざして国会議員試写を行ったと聞く。しかし、日本国憲法第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」のほうは読んだことがないのではないか。62条は「これこれをできる」、21条は「一切保障する」と書いてある。どちらが強い調子で強調している重要な条文であるかは、読めばわかるはずだ。国政調査権は、5000万件の宙に浮いた年金の調査にでも発動してもらいたい。映画のこのテーマが気にくわないと振りかざすものではない。明らかに国政調査権の濫用である
◆右翼の街宣車を恐れて上映中止が広がったと聞くが、日本の右翼は、見てもいない映画を問題だと大騒ぎするほど、愚かではないだろう。また、国会議員の一部がガタガタ騒いだからといって、その尻馬に乗るほど軽薄ではないだろう。右翼からすれば、いまの政府・与党議員は、どうみても腐敗堕落の象徴だからだ。では、なぜ上映中止かといえば、これは「極めてタチの悪い自己規制」というべきだ。同じ自己規制は、ホテルにもあった。NHKにも民放テレビにもある。メディアの構成員一人ひとりが、この無責任な自己規制と戦っていかなければならないと思う
●すべてではないが、李監督、田原総一朗、鈴木邦男、原寿雄、服部孝章らの発言をメモを取りながら聞いていました。時間があれば、別ページにまとめようかとも思います。「この映画は傑作」ということを強調する論者(田原や鈴木)がいたが、見ていない私は何ともいえない。ただし、「この映画が傑作か駄作かにかかわらず、削除せずに公開せよ」というのが私の立場。また、この種の映画を「中国人監督が撮ろうが、右翼が撮ろうが、削除せずに公開せよ」というのが私の立場です。また、映画の中身が気に食わないという批判は一向に構わないが、「削除せよ、公開するなという動きであれば、そう動くのが右翼であれ中道であれ左翼であれ、自民党であれ民主党であれ社民党であれ共産党であれ、財界であれ労働組合であれ市民団体であれ、以上どれにでも反対する」というのが私の立場です。なお、前日のリリースに名前があるうち、魚住昭・森達也・筑紫哲也は欠席。筑紫からはメッセージが届いていました
●10日の日大芸術学部放送学科懇親会では、学部長・野田慶人、放送学科主任教授・橋本孝良、演出家で放送人の会特別顧問・大山勝美(「違うと言っているのに、名球会のように思われてしまって」と、放送人の会に放送局OBを入れる苦労話)、評論家(視聴率研究)藤平芳紀、BPO事務局長・本橋春紀、上智大文学部・金山勉、放送学科助教(ラジオ研究)茅原良平、放送学科教授・兼高聖雄らと話す
●11日昼、田原総一朗が電話してきて「『靖国』会見、途中で抜けたけど、どうだった?」と。坂本「監督と自民党国会議員たちの言い分が相変わらず食い違ってますね」田原「食い違ってるんじゃない。議員たちがデタラメなんだ。明らかな政治介入だよ」と、テンション高い。夕方の放送批評懇談会45周年記念関連の会合は、所見をメールして欠席
●午後1時から、参議院議員会館で以下の緊急会見・アピールに出席。午後7時、日本大学芸術学部放送学科懇親会@アルカディア市ヶ谷
映画『靖国』に対する稲田朋美衆院議員の試写要求と、文化庁の助成金を問題視する発言、そして都内での映画館上映中止など、映画『靖国』をめぐる一連の動きに対する緊急記者会見を、4月10日(木)に下記の要領で開催します。約15名のジャーナリスト・映画監督・メディア関係者らが発言・アピールを行います。当日は映画『靖国』の李纓監督も出席・発言する予定です。ぜひ取材をお願いいたします。
※議員会館へ入館する際に通行証が必要です。同会館入り口の階段脇にてスタッフがお待ちしますので、通行証を受け取って入館して下さい(予約不要・先着順)。会議室の収容人員の都合上、取材・報道陣で満員になった場合、または通行証の配布枚数が終了した場合は入場できませんので、あらかじめご了承ください。
●昨日から原稿の合間にNPO放送批評批評懇談会のボランティア仕事。個人会員に出すアンケートをつくり、放懇グランドデザイン小委員会掲示板にup。中島好登と岩本太郎の二人からしか反応がないのは、何なのか。
●なお、そのうちに放懇会員掲示板というものができ、情報交換(たとえば、会員が関わって人を集めたいイベントの掲示、誰かこの番組のビデオ・本・資料を持っていないかという探し物、引っ越しの通知ほか近況報告など)ができるようになる見込み。将来的には、同様の仕組みで番組批評を展開し、うちうちの議論をへた公開可の部分についてはテレビ局(放懇維持会員社)の制作者たちが閲覧できるようにしたいものです。ギャラクシー賞に参加料何万円かで応募してもらって、その番組が上位に入賞すればよいが、下位の落選作については、GALACに100字というような短いスペースでしか批評が載らない(応募数が多すぎて)。ここがダメだという議論はしているので、それをぜひ制作者のみなさんに伝えたいと思っています。それがネットでできればよいと、現在議論中
●インストールはスムーズだったが、便利だと思っていたアンチスパム機能(スパムメールを別フォルダに入れるフィルター)がなくなっていることに気づき、愕然。そんなはずねえだろと、Nortonサイトで調べると、本体と別のAdd-on Packとして後から入れる(ダウンロードする)ようになっていた。そのくらい、パッケージや説明書に書いておけ! あと、2006にあった広告ブロック機能もない。これは、必要な画像などまでカットしてしまうことがあったのと、そもそもサイト制作者が閲覧者に見せようと掲示する広告を赤の他人や部外者が勝手に削除するのはどうなのか(もしかすると、そのサイトはその広告で賄《まかな》われているのかもしれない)という理由でしょう。後者は「CMカットテレビ」が存在しない理由と同じで、まあ仕方ない
●昨夜、田中康夫が(W嬢と?)神楽坂に出没。スーパー「よしや」から出てくるところ、うちの奥さんと娘がバッタリ会ったと
●どうも最近飲み過ぎか、調子がイマイチ。昼、田原総一朗が電話で「昨日のサンプロ見た?」というから「すみません、墓参りで」。映画「靖国」関連をやったと。10日の記者会見、アスコムの件、竹中平蔵本の進行など打ち合わせ。田原「原稿まだ? なんでそんなに忙しいの?」坂本「テレビに呼ばれたり、年度またぎで学校のことだの、あれこれと雑用が。それにギャラクシー賞報道活動部門の審査があってビデオを十何本見るとか」田原「そんなの、やんなくていいじゃない」と無茶苦茶をいう
●昼1時、新横浜の貴雲寺。母、兄一家、私の一家(娘のみ芝居の稽古で夕方から参加)で、父・坂本文雄の墓参り。私だけ午前10時に実家へ行き、ベランダのテラス(簀《す》の子みたいになっている上の木が何本かはずれたりガタついたり)を修繕。午前中で終わらず、墓参りから帰って残りの作業。午後6時、目黒・香港園で孫二人の大学入学祝いの会食。北京ダック。8時半解散
●9時すぎ、演出家・元フジテレビ・元放送批評懇談会専務理事・嶋田親一の初めての本「人と会うは幸せ!―わが『芸界秘録』五〇」(清流出版)出版記念会@新宿・千草。演劇関係には知られている店を借り切り、昼から4部制でやっており、私が行ったのは第4部。2階へ上がっていくと、創価大学教授・田村穣生、その教え子・婦木涼子、東海大学教授・伊藤洋子なんかがいて、どうもどうもと駆けつけ一杯飲まないうちに指名され、ご挨拶。「嶋田さん、出版おめでとうございます。この方は、放送批評懇談会というところで専務理事をなさっておられ、私どももたいへんお世話になった。私たちは『嶋田専務爺《センムジジ》』と呼んでましたけど。あるとき、放懇会員の爺様たちと飲んでいて激論となり、『ふざけんな。バカいってんじゃねえ』となった。すると、いきなり嶋田さんが立ち上がって、デカい声で「ようし。この喧嘩、俺が買った!」といったのに、私はたいへん驚きました。映画や芝居でそういうセリフが出るシーンは何度も見たが、現実にそのセリフを発する人が身近にいて、自分が言われるとは……。そのように、ちょっと時代がかってますが、みんなから愛されている爺さまです。本日は8月30日の喜寿を兼ねたお祝いとか。次は米寿の出版パーティーを楽しみにしております。本日は誠におめでとうございました」とかなんとか
●そのうち入江たのしも来る。劇団民藝の女優・前田真里衣、元フジテレビ千秋与四夫(「恋は神代の昔から」畠山みどりのご主人)と名刺交換。今日、福井から帰ってきたという伊藤洋子は、ちょいと飲み過ぎか、店を出るとき自分の脇にあったカバンをどこだどこだと探してましたっけ。昼には淡島千景が来たそうで、この人には会ってみたかった。嶋田親一は、佐久間良子にも40年ぶりに電話したそう
●アジアプレス石丸次郎らが中心となって、史上初! 北朝鮮人自身が取材し、真実の北朝鮮を伝える、北朝鮮内部からの通信「季刊リムジンガン」(日本語版)を創刊。「渾身のできばえ。面白いから読んでね」と石丸次郎。いくら過激なことをいっても、現実を見ず、勝手な想像で無責任な言説を振りまくのでは話にならない。北朝鮮に関心をお持ちの方には、一読を強くお勧めします
▼4月10日(木)参議院議員会館第2・3会議室 午後1時〜3時 ※当日は「靖国」の配給関係者や李監督も参加・発言される予定です。正式な呼びかけ文などは後日お送りしますが、上記日程を空けておいていただければ光栄です。このメールをお送りした方で、10日当日にご参加・ご発言できる方は綿井まで事前にご連絡ください(メディア向けの告知・リリースを作成します)。【綿井メールここまで】
●田原総一朗には私が連絡したところ、出るそうです。メディアのみなさん、ご取材・ご紹介をよろしくお願いします
●夕方、高田馬場まで地下鉄で行き、ツクモ(インターネットセキュリティソフト購入)、メガネ屋(鼻に当たるパッドに緑青が出たので交換)、ユニクロ(ちょっとした買い物)。新宿で買い物を済ませた家人と落合、オリンピック(消火器を買う。消防署で、ここなら古いのを引き取ってくれると聞いた)を経由して西早稲田まで散歩。かわうちで夕食
●朝風呂のち8時半、東海テレビ。社会保険労務士・當舎《とうしゃ》緑、東海テレビ編成局専門局長・高井一、編成局アナウンス部・武井正晴(以上は出演者)、報道制作局制作部副部長待遇・森智彦らとご挨拶。8時45分からリハーサル。9時55分から「ぴーかんテレビ」生本番。特集:結構役立つ!ぴーかんジャーナル「宙に浮いた年金記録」。冒頭、「これはとんでもない話。5000万件を宙に浮かせた社会保険庁の官僚、役人、公務員は、憲法上も全体の奉仕者、『公僕』ということになっている。つまり、私たちの召使い。その召使いがご主人様である国民のカネを預かって、どこの誰のものかわからなくした。しかも政府は、3月末までに名寄せを終わらせるというのが、できなかった。明らかな公約違反」と発言。アナが「召使いとまでは言いませんけど」と、しょうもないフォロー
●ついで、なんと私のところに来た「ねんきん特別便」を大画面で紹介。「来たんですよ、不幸の手紙が。私はずっとフリーだけれど、2年間だけ編集プロダクションに勤めたことがある。そのときの厚生年金が抜けている」「ちょっと一言いわせて。これ私はじっくり読みました。すると、いちばん大きい文字が、なんと舛添要一のサインだった。これ、年金の不始末について謝罪し、必要なチェックをしてくれというお願いの文書ですよ。つまり始末書や詫び状の類。始末書や詫び状に、いちばんデカい字で自分の名前を書くバカがどこにいるか。普通いちばん大きいのは謝罪の言葉か問い合わせの電話番号でしょう。非常識で、センスが悪すぎる!」とボロクソに
●あと、年金の種類別の解説やら、有賀さつきら出演者が将来いくら年金をもらえると思うかをフリップに書き(40万円とか)、「みんな、もらえる額じゃなくて、もらいたい額を書いてますね」と。日本の年金月額が諸外国とそう見劣りしないと、買えるマックの個数で比較する件では、「それは高い共済年金や厚生年金を入れて平均しているから。国民年金だけでは暮らしていけない」とか。最後に一言というところで「二つのことを言いたい。まず、役所や官僚を信じるな。領収証や払込票は、面倒でも全部取っておきましょう。もう一つは、若い人は慌てる必要はない。5年後、10年後から年金を受け取りはじめるという人は、すぐどうにかする必要はない。いまもらっている人、来年あたりもらい始める人などの処理を優先させるべき」
●私が書いた社会保険庁に関するQAはこちら(失礼! まだupしてませんでした。後ほど)。時間がなくて発言できなかったことは、後で当欄に書きます
●終了後、東海テレビ経営企画局次長・磯野正典、東海テレビプロダクション取締役・石井仁と昼食。みそかつの元祖らしい「矢場とん」に連れていってもらい、わらじみそかつというものを食す。磯野正典はずっと前に小中陽太郎がやっていた番組に出たときお世話に。その後、苦労してメディア論で博士号を取ったそうで、では、ぜひGALACなどにご執筆をと話す。放懇会員になってもらったほうが早いかな。その後、徳川美術館・徳川園へ。至るところに葵の御紋。徳川家のひな祭りという企画展をやっており、展示1時間、庭1時間見てまわる。大名家の嫁入り道具には、囲碁・将棋・双六の三点セットが入っていたそうで、ひな祭りにそのミニチュア三点セットが入っている。20cm四方くらいの見事な将棋盤と駒があって、いいなと思った。ミュージアム・ショップでファイル、巾着などを記念に買う。15時前、名古屋駅。要望があったきしめん、坂角えびせんほか、豊橋のちくわを土産に。17時すぎ帰京
●リニューアル版運用開始。リニューアル終了まで2〜3か月かかる見込み。旧版は残しますサーバーから削除しました

 

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