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どうしてとは?/ ノーローン

[ 560] 少年ジャンプ連載の「ハンター×ハンター」はどうして毎回絵が汚いのですか? ストーリーはセンスがあって面白いのに(今の話は残酷すぎてちょっと…ですが)と、残念に思.. - 人力検索はてな
[引用サイト]  http://q.hatena.ne.jp/1100058548

今までは一生懸命書いていたがそれも(有名になったし)やる必要がなくなった>気が向いた時に原稿を書くんでも、出版社は買い取ってくれる>特に急いで書く必要がない>原稿を落とす
皆さんの投稿を読む限り、「理由があって、どうしても、仕方なくあの絵になってしまった。。。」ということじゃなく、
ラフのような絵が続いてもファンも多いし、打ち切りということはないのでしょうか?あまりいい言い方じゃないけど、ファンがなめられてるように感じてしまいます。
一時、低迷していた頃に比べると、最近はジャンプも復活したかな?と思えてきたんですが、ハンターの絵をみてはがっくりしてしまいます。
作者さんには、他の人気漫画を見てもらって、いい意味で焦ってもらって、やる気になってほしいものです。出版社にお尻たたいてもらわないと。。^^;)
内容はちょっと覚えていないのですが、「消えた漫画家」という本の中に内情が書かれていて、ふーんと思った記憶があります
>内容はちょっと覚えていないのですが、「消えた漫画家」という本の中に内情が書かれていて、ふーんと思った記憶があります
榎本ナリコこと野火ノビタさんの『大人はわかってくれない』という本に幽遊白書での編集部の顛末から冨樫義博自身が書いた伝説の同人誌「ヨシリンでポン」まで詳しく触れられています。勿論、絵が汚い云々の理由も詳しく触れられています。同人誌の内容にまで触れられているのは珍しいんじゃないでしょうか。
おそらくこの手の本の中では一番信用できて、詳しい本の一つだと思うので一度読んでみてはいかがでしょうか。「ハンター×ハンター」についても書かれていますよ。
>勿論、絵が汚い云々の理由も詳しく触れられています。同人誌の内容にまで触れられているのは珍しいんじゃないでしょうか。
>おそらくこの手の本の中では一番信用できて、詳しい本の一つだと思うので一度読んでみてはいかがでしょうか。「ハンター×ハンター」についても書かれていますよ。
榎本ナリコさんの冨樫義博論では、作者曰く、幽々白書の後期にネームに時間が掛かると絵を描く時間が失われ、その分をアシスタントが描く事になったが、それを漫画家としての矜持の為に拒否し、自分で全てを描く事にこだわった結果どうしても絵が荒れてしまう事になってしまった。という様な事だったそうです。
作者としては満足のいく作品を同人誌などで描いていれば充分だったのでしょうが、幽々白書の終了後、ジャンプの柱であったドラゴンボールが終了し、ジャンプの売上げが大幅に落ち、日本一の記録がマガジンに抜かれるという非常事態に陥った為、ジャンプ側としても冨樫義博に帰ってきて貰わなくてはならなかったのだと思われます。
この時に恐らく「編集は一切介入しない」「アシスタントは使わない」「描けない時は落としても良い」といった様なかつてのジャンプでは有り得ない条件が提示されたのではないでしょうか。
>この時に恐らく「編集は一切介入しない」「アシスタントは使わない」「描けない時は落としても良い」といった様なかつてのジャンプでは有り得ない条件が提示されたのではないでしょうか。
純粋にコミックを楽しみたい読者としては、なんだか夢がない話ですね。残念です。作者頼みの出版社と、その境遇に甘える作者の悪循環のように思えます。そうしたダークな部分が、この本やファンの間でささやかれ、既にみんなの知る所になっていのだから、開き直るんじゃなくて、プライドを持っていいものを作り出して欲しいなと思うのですが…
今はまだ絵が汚くてもファンがいるけれど、こんなことがこれからもずっと続いたら、少しずつファンは離れていくのでは?
>人気がないと連載が急に打ち切られたりとか、これまでのジャンプの方針にも信頼なくなってるしなぁ。。
そうなんですよね。悔しいことに、ストーリーは秀逸なんですよね。それだけに残念(「惜しいな?」と思う)。
子育てがあるけど、漫画の連載もしなくてはならないという両バサミなのでしょうか。。奥さんのほうは大丈夫なのかな?
これは想像なんですが、ハンターハンターってお子さんのために作ったということはないでしょうか?主人公はお父さんの背中を追いかけて…というところからはじまるのでひょっとしてそうなのかな?とか思ったのですが。
今までの作品と比べ、ハンターの主人公が年齢が低いので、最初読んだとき意外な感じがしたのですが、子供のために…と思って描いたなら納得だなぁと。
富樫は幽遊白書をいろんな経緯で(ここは不明)終わり、あえて幽遊白書時代から書きたかったタイプの漫画(レベルE)を描いていたが、思ったより売れなかった。奥さん(武内)はセーラームーンが終わって、似たようなタイプの連載を始めたけど人気が出なかった。
そこで二人がであって、じゃあ二人でやろうかという感じで付き合い始めた。二人とも人気作家でやりたいこと、描きたいことに限界を感じていたので、できるだけやりたいようにやろうとしている。(限界に挑戦説になるのかな?)
>そこで二人がであって、じゃあ二人でやろうかという感じで付き合い始めた。二人とも人気作家でやりたいこと、描きたいことに限界を感じていたので、できるだけやりたいようにやろうとしている。(限界に挑戦説になるのかな?)
前の方に教えてもらったの説で「ジャンプの売上を上げるために富樫さんにもどってもらった」というのがありましたが、現状では裏目に出ているとも言えそうですね?。。。
「幽遊白書」の頃、アシスタントと「大きなトラブル」を起こしたことがあったようです。(作家側に負要素)
そういえば亀仙人が「(終わりが近いけど)もうちょっと続くんじゃよ」というようなセリフを言ったのは何巻だったでしょうか・・
しかし 編集側と作者側が 上手く行っているのか分からない状態じゃ 他の 漫画家と組むのは 難しいでしょうかね。

 

[ 561] 【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられ.. - 人力検索はてな
[引用サイト]  http://q.hatena.ne.jp/1124539258

【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられました。
将来私も人の親になるのだろうし、自分も相手も十二分に納得できる答えとは何なのだろうと改めて思います。
系は間に合っていますので、何か、もっと深く納得できてかつ平易な(こどもに説いて聞かせることが可能な)論があればご教授願いたいです。
どうして勉強しなければならないのか、という質問に表れている通り、子供はこの時期に好奇心や興味心が旺盛で「なぜ?どうして?」がたくさん出ますね。直近の「なぜ?どうして?」は何だったか、そしてそれは分かったか、分かった時にどうだったかを聞いてみてはいかがでしょうか。分かった時には個人差はあると思いますがプラスの気持ちと次の「なぜ?どうして?」が生まれていると思います。分かったのは勉強をしたおかげなのだということと、もっと勉強すればもっといろいろなことが分かるということ、そして分かれば気持ちがいいし、もっと知りたくなる。いろいろなことを知っていれば大人になるまで、そして大人になってからも楽しく毎日が過ごせる。楽しく生きることが大切なんだと、説いてはいかがでしょうか。
みんながお洋服を着ているのに自分だけお洋服を着ていないと恥かしいし、寒い時にはとっても悲しいよね。
小学一年生の子に将来の夢は何か聞いてみましたか?本来ならば勉強するのは将来の夢を実現するための手段に過ぎないのです。
「どうして勉強しなければいけないのか?」という問いの原因として2つあると思います。家庭環境などによる鬱が原因ならば家庭訪問するのがよいでしょう。
子供はなぁなぁ的なオトナの対応ができないので、誤魔が通用しないのが辛いですね。頑張ってください。
地学を勉強すれば、石や川とお話ができるし、古文を勉強すれば、昔の人とお話ができます。数学(算数)を勉強すれば、アルキメデスやピラミッドを作った人とお話ができる。(考えていたことが理解できる)など
→勉強しなきゃいけないことはない。したくなけりゃしなけりゃいい。そのかわりそのせいであとで困るのは自分だから
「〜しないと××できないからだよ」など、二重否定をつかうと、それはなぜ?と無限ループになったり、勉強にマイナスのイメージがついちゃいますよね
国語「おしゃべりする言葉をよく知っていると、おともだちとよくおはなしすることができるようになるよ」
など。一時的でもいいので、いったん勉強にプラスイメージがつけば、疑問の完全解決にはならなくとも、納得をしてもらえるのでは、ないのでしょうか?
今、自分が大人になってに必要だと感じている【知識】は、中学校以降で習ったことが中心のように思え、
だからこそ、小学校のときの勉強って大切ですけど、それ以前に「人と人とのかかわり」を大事にしてあげたいなぁと
質問者さんにきいてきた子どもは、【だれかに質問する】ことによって、人とのつながることを勉強しているのでは?大切にしてあげてくださいね
「間違いを繰り返さないため」でも、「就職の役に立つ」でも、「人生を豊かにする」でも、なんでも、そのときその時で、理由は色々あると思うんですよ。でも煎じ詰めると上の一言につきるかなー、と。(でなきゃ、「知識欲」なんてモノが人に備わる訳ないんだもの?)
1.「可能性」については、とても合理的に考えています。小・中学校は義務ですが、修了することで一つの資格になると考えています。高校、大学もしかり。
学歴なんて関係なさそうな、例えば土木作業にも免許を取るときや責任者になるときにその資格の差がでてきます。
質問文の1に近いですが、人に勝つためだけでなく、「自分自身の可能性を広げるために」必要だと思います。
ただ、日々の勉強ではそういった可能性を広げる資格(パスポート)につながっている感じはしませんよね。
そろばんや、水泳には「級」があり、ステップアップして次の級に進む楽しさがありますが、学校の勉強はまるで永遠に続くように感じます。そこがちょっと嫌になるポイントかもしれません。
なので、「小学校」という資格を得るための「1年生」という段の「ひらがなうまく書けた級」合格!などというように、生徒さんに「確実にステップアップして、小学校を修了するための最終級に近づいているんだ!」と実感させてあげると良いかもしれません。
こちらはもうちょっとアバウトですが、勉強をして色々なことを知ると、次の世界が見えてくると感じています。だから勉強するのです。
「ひらがな」を習えば本という世界が広がります。「英語」を習うと本の世界はさらに何倍にもなります。
昔、勉強は貴族にのみ許された「娯楽」だったそうですよ。本来楽しいものならば、その楽しさを存分に伝えられるようになりたいと思っています。お互いがんばりましょうね。
また、歴史や地理など、学校では暗記モノで全くやくに立たない気がしますが、地理や歴史認識がなければ、現在ニュースになっている国際問題は理解することすらできないでしょう
ただ、知識を詰め込むだけでなく いかに使うか これも合わせて学ぶことにより生活が豊かになると教えるつもりです
今、もしくは将来、自分の好きなこと(例えば野球選手になりたいだとかもっと野球がうまくなりたい、とか)がでてきたとして、それをより成長させ、より深く理解し、よりレベルを高めるために勉強は不可欠だからです。
勉強とは大部分が「過去に人間が歩み、考えてきたことを自分のなかに取り入れる」という作業だとおもっています。
普段、こういうことに勉強が役に立っていると気がつかせてあげると、意欲も湧くのではないでしょうか。
「しなければいけない」という問いのかけかたには義務教育の「義務」が意識されている気がします。義務教育という言葉は私たちの場合日本という国が個人に課しているお題です。そのまま説明すると法で定められているからという答えになってしまいますが、こんな答え方はしたくありませんね。背景にある理由を考えてみると間違っているかもしれませんが、ここに義務という言葉が使われているのは個人の観点ではなく国の観点から見た場合に義務教育を施した方が国自体が強くなる下地になるからという考え方があるのではないでしょうか。人は一人では生きられません。近くにいて同じような生活様式・思考回路・言葉を持った同胞の皆が考えてお互いに助け合って問題解決する力をつけるために、歴史を知ったり、話したり作文したり、計算したりする能力を各個人一人一人が持つことは大切です。小学生にもうまく噛み砕いて説明可能かと思います。助け合うための基礎作りということですね。
個々人の観点からみると「しなければいけない」ではなく、「した方が個人的に良い」理由としては皆さんがあげられているので良いと思います。1.自分の人生の選択肢を広げるため、2.他者よりも強くなるため、3.お金を稼ぐため。同じことを違う言葉で言っている気がしますが、最近浮かんだ違う言い方として「偏見を取り除くため」、というのが私の中ではあります。偏見の反意語は教養に近いそうです。つまり偏った知識、狭い思考回路に陥らないようにするためには沢山のことを知り、沢山の考え方(数学的、歴史的、、、)に触れる必要があると思います。小学校で教わる義務教育も多くの人の共通項目としてその幅を広げるために用意されたものの一つと考えても良いのではないでしょうか。そのうちもっと幅は広がります、スポーツだったり音楽だったり、パン作りだったり。これは噛み砕いて説明するの難しいですね。
勉強が面白くないから?わからないと悔しいから?いつもお母さんに勉強しろといわれるから?ただ単に皆が勉強するのが不思議?
普遍的な(もしくは大多数に支持される)答えを用意して答えても★彼女の★答えになるかどうかは怪しいかと思います。
まず彼女の疑問を解きほぐしていってある程度根本的な原因(疑問)を見つけてから、上記の回答の内それにあった適切なものを答えてあげてやるのが適切ではないかと思います。
その上に自分の意見(自分は面白いからやってる)や普遍的な話(選択肢が広がるなど)をしてあげたほうがいいかなと思います。
最初の回答が的外れだとその時点で聞く気が薄れてその後良いこと言っても耳に入らないことって皆さんありませんか?
「論」を答えてはいけないと思います。彼女自身の疑問を解いてあげればいいと思います。(それが論であればもちろん論を答えれば良いですよね)
あと、強いて言えば、勉強を嫌がってる場合、誉めが少ないのかもしれないと思ったりしました。一緒に「できたできた」と喜んでやるだけで、屁理屈言わなくなるかもしれませんョ。
「勉強できるということは、幸福なことなんだよ。」とか、「勉強したら、何にでもなることができるんだよ。」というのはどうでしょうか。
ケースがいまいちよくわからないので、こうしたほうがいいんじゃないかなって回答をフローチャートで列挙します。(・が回答。ほかがケース)全部回答を読めなかったので、全て既出だったらポイントはけっこうです。
それと質問者の方は、聞いてきた子が勉強する方向に考えをむけさせたいんだって言う風に考えてるとします。
▲わたしは勉強をしたほうがいいと思うけど、わたしたちは何で勉強しなきゃいけないんだろう。という意図である場合。
・人も国も会社も部活でも賢い人は常に必要とされます。いなくなるとみんな困ります。だからわたしたちは勉強する必要があります。
▲わたしは勉強をしたほうがいいと思うけど、何でわたしは勉強をしなくちゃいけないんだろう。と言う意図である場合。
・先生はあなたに勉強を教えることでお金をもらっています。教えないとご飯が食べられなくなります。お願いだから勉強してください。[人助けと思ってもらう]
・(素直に聞いてるのを言ったうえで)賢い子はする必要ないけれど、本当に賢い子はこうしたことを聞かない(試したりしない)[封殺、プライドの刺激](このケースとかあんまり考えなくてもいいかも)
本人が勉強するしないで変わるのは本人の人生だけなので、やるのもやらんもの自分の意志の問題です。だから別にやんなくてもいいんです。だからって、質問者さんの勉強させたいって意思を曲げるわけにもいかんので上手いことやらせる方向に向かうようにさせるのがいいですよね。先生と生徒って関係だと教えれることに限界があります。小学一年生があいてだと、勉強ができるといろいろ楽しい遊び(教育テレビでやってるみたいなの)ができるって実践するのが一番手っ取り早いと思います。ピタゴラスイッチとかNHK教育見せるのもいいかもしれないです。現実的な子もいるかもしれないですけど、そういう場合は現実的なことを素直に言ってあげるといいと思います。もうちょっと年がいった人間には認識がどうとか見識がどうとかいったり、わからないことがわかる快感を教えてあげるといいと思います。
しなきゃいけないってことはないけど、すると楽しいことがあるってことですね。これは体感させるのが一番だと思います。
これはちょっと別のことになるんですが、手を抜いて誤魔化して学ぶ癖をつけさせないようにしてあげてくださいね。素直に学べないのは本当に苦労するんで。
ツマラナイと思いながら聞いていた授業などでも、生きるのに役に立ちます(特殊な職業に就かないと役に立たない授業もありますが……(苦笑))
例えば小学校の高学年くらいの理科で習う毛細管現象でも、ホースさえあればポンプ類無しで容器の水を抜いたり他の容器に移したりが出来ます(元の容器の底面がちょっと高めだと良い)
同じ毛細管現象で、水の入った容器の縁に布などを漬けて、反対側を容器の外に出しておけば時間はかかりますが容器から水が少しずつ抜けます。
私は学校は嫌いでしたが、勉強自体は好きでしたよ。理解できた瞬間や答えを導き出せた瞬間は楽しいものです(押しつけられてやっている勉強でなければ特に)
その子が親御さんその他からの押しつけでは無く(学校の宿題や復習も同じく)、勉強が楽しいから自分から学ぼうと思う機会への出会いを期待します。
以前知り合いのお子さん(中学生)がお父さんに何故歴史を勉強するのと質問したので代わって答えた内容の応用です。
先生も今こうして君達に勉強を教えているけれど、もっと勉強していたら、もっと賢くなってもっと大きなお兄さん達に勉強を教えているかもしれない。
先生もお父さんもお母さんも皆勉強が好きとだったと言うわけではない。嫌いな時があっただろう。でもあの時もっと勉強していればという気持ちの方が強いんだ。だから皆に勉強して欲しいんだ。
勉強していて楽しいと思える何かを探すためです。それに出会えると人生が豊かになるし、その豊かさはお金では買えないモノだから。
『どうして勉強しなければいけないのですか?』という問いからちょっとずれるかもしれませんが、自分の子供(8ヶ月)には『勉強って、だんだん楽しくなってくるんだよね〜。』って言うつもりです。
私の場合、勉強って学校を卒業して社会人になってから本格的に始まった(そして始めた)という気がします。
仕事に関することですから興味もそそられますし、勉強の成果が目の前にある仕事に反映されるのは楽しいです。
それに対して、子供の頃の勉強って基礎的なもので、それは重要なんだけど、その成果を反映させる場って無いですよね?
その結果、今は『この数式が直感的に理解できてれば、もっと面白いんだろうなぁ』と昔の無勉強さを呪っています。
だんだん面白くなってくること、基礎的なことがしっかりしていると面白さ倍増することを、自分の気持ちに乗せて話せたらなぁと思っています。
結局のところ勉強というのは、色々な人と綿密なコミュニュケーションをするための下準備なのでしょう。
昔、母親に同じ質問をした時に、「それが自分で解るまでは勉強を続けなさい。」と言われたことがあります。
ちなみに小学校の校長先生は「正しいものを正しいと感じ、美しいものを美しいと感じられる心を持てるように」と言っていました。
よく言われる「算数」は、前頭葉発達に欠かせません。お勉強しないと、知識がないと、感ずる心がないと、すてきなお友達の前を素通りしてしまいます。
さまざまな生き方や感じ方が解るようになることは、相手を理解できるようになること、それは社会の基本であり、ひいては社会を変革しうる力にもなると思います。
世界には勉強をしたくても出来ない国がある。そういう国は決まって一般市民が貧乏で今日の食事すらまともに食べていけないような人たちで溢れている。
先進国である日本やアメリカやヨーロッパの国々は教育が進んでいるからこそ、経済も発展しているし、毎日が平和に暮らしていけている。
それに比べ発展途上国では一部の軍人や地主ばかりがおいしい食事を食べ、綺麗な服を着ている。更には戦争だって起こっている。
これは、意外と私の実感です。勉強することによって、教養は広がり、その中で付き合いも広がります。一つは、そういう”場所(場面)”に行けるようになることがメリットです。たとえば大学。学歴社会、偏差値社会といえば、寂しいですが、実際、大学で出会った人は、それまでの人生にはいなかった面白い人達ばかりでした。良い本当の勉強ができました。さらにいえば、その広がりは、認知度の高い大学の方が大きくなります。もう一つは、やはり、人はその人の考えや発想に惹かれるものです。それは、その人の培ってきた教養ですから、勉強は重要です。同じ”場面”に行けたとしても、中身が無きゃダメということです。いま、つくづく、もっと教養を広げておけばと思っています。
この質問に回答する為には、何故、その子が、そう思うのか、が分からないと、その子が納得のいく回答を出来ないからです。
まずは、「なんで、そう思ったの?」って、聴いてあげて下さい。その理由を考えさせて、上手く答えられるか、答えられないかによって、回答の内容が違ってきます。答えられたら、その答えに、応えてあげてください。答えられなかったら、「勉強しないと、自分の言いたい事を相手に伝えられないでしょう。だから、勉強するの。」って答えてあげてください。
昔のひとや外国の人、できごとから、自分と違う考え方を知ることで、いろんなものの考え方ができるようになります。
また、自分だけでないたくさんの考え方を知ると、相手の気持ちや立場を考えれるようになって、今よりも思いやりのある人になれるかもしれません。
子供の頃は、たくさん勉強することがあって、知らず知らずのうちに身に付けてしまって(それは羨ましいのだけども)今はあんまり感動はないかもしれない。やらなきゃいけない、という感じで、あまり面白くないかもしれない。
でも、カレーライスみたいな辛い食べ物の美味しさって、小さい頃は分からなくても、大きくなったら、わかるじゃない?大きくなったら、今よりもっと面白さが分かるよ。
でもカレーみたいに栄養たっぷりだから、小さい頃からでも、たくさん栄養とるようにして、たくさん勉強しなきゃ、ね。
「ここにお花の種があるの。でもこの種のままじゃ、きれいでもなんでもないわ。この種をきれいなお花に育てるためには、土に埋めて、たくさんのお水や肥料を差し上げて、育ててあげないといけないわ。
あなたは、まだ種なの。しかも、あなたはたった一つの種しか埋まっていない花壇ではなくて、きっと、たくさんの種が埋まっている、とても素敵な花壇なの。
植物にとってお水が必要なように、人間にとっては、遊びも、楽しいことも、悲しいことや辛いことも、そうしてお勉強も、あなたという花壇に差し上げるお水になるの。
勉強だけではないわ。人が育つためにさまざまに必要なこと。その中のひとつとしての「知」があるだけだ、ってことを一緒に教育差し上げてはいかがかしら?
私自身「どうして勉強しなきゃいけないの?」って高校生まで考えていました。自発的に勉強しなくちゃと思ったのは、明確な将来の夢が出来た大学受験前。
生徒さんは小学1年生とのことですので、「それは将来のため、夢のためだよ」的なことを言ってもピンとこないかも。。。
「○○ちゃんは大きくなるためにご飯を食べたり、丈夫になるために体育をしたりするでしょう?勉強は脳みその栄養と運動なんだよ!」なんてどうでしょう?
よくみると1番目と2番目は同じで、方便のためということで、3番目は自己満足のため、という2種類になりますか。
まあ仮にその子が超天才でこれからアメリカに留学して小学校低学年のうちに大学入学資格を取れるような子だったら、
まだ大脳皮質のニューロンが未発達なので勉強することにより可塑性のシナプス結合を形成してカラム構造のニューロンネットワークを発達させて海馬での短期記憶を容易に長期記憶として保存することができるんだよ、
十何年かまえに基礎科学なんてなんの役にたつんだ、という議論が研究者の間であったことが思い出されます。
しかし、質問者がいままで、そんな答えは間に合ってるって言っただろうコンチクショーとは言わずに丁寧にレスつけているところをみると、
問題集を進めるごとに、その主人公のまねをして丸をつけながら、「やったあ、ゲットだぜえ!」といっしょに喜んでいたら、
おとなの会話でも8割は表情やイントネーションなどの言語外コミュニケーションによってコミュニケーションが成り立っている、というヨタ話があるように、
とか、おつむの程度がガキとおなじだから教えられないだろう、とか言うワカランチンの親がいますよね。
そういうのはインテリぶてってても結局は知ってるか知らないか程度の議論しかできないクダランやつらだ。
おとなしく机の前に座って勉強する習慣を身につけさせてくださいって、勉強嫌いにさせるだけだっつーのに。
ガガーリンが「地球は青かった」とか言っちゃったせいなのか、学習指導要領も特に理科がてんこもりだったけど、別につめこみというより次々と知らないことが出てきて楽しかった。
こちらのサイトで、読者さんからの投稿に「学生時代の恩師の言葉」的な良い話があったのですが、読めないので思い出して書きます。
歩けるだけの幅の道、例えば30センチの幅の道でも、目的地までつながっていれば辿り着くことはできますよね。
つまり、目的に必要なものだけあればいいわけではない、必要じゃないと思われる部分も実は結構必要、という話なんです。
たとえば、プロ野球選手になるために野球だけをやる、というのは、この30センチの幅の道を歩くのと同じこと。
プロ野球選手になるのには無駄とも思われる、学校の勉強とか、友だちと遊ぶこととか、野球と全然関係ないことをすることで、30センチの道幅が1メートルにも10メートルにもなるんです。
勉強よりも頭の体操的な問題を解くのが結構意味があると思います。子供の頃そういう本が大好きでそういったクイズの本を結構読みました。
その結果かなり思考能力がものすごく高まった気がするのですが・・・気のせいでしょうか。小学校の頃は普通程度の成績でしたが、正直後半伸びると思います。
自分から勉強したくなるような教育が最も理想だと思うのですが、詰め込みが多い感じがして残念です。
自分はもし子供が出来たら出来るだけ自由にさせたいと思います。でも宿題だけは絶対にやるようにしつけます。世の中にやらなきゃいけないことがあることと我慢を教えます。
でもこれが「縄跳びのうまい順」になったら、みんなは競って縄跳び塾に行くよ。「変な顔順」になったら
みんなお医者さんに行って変な顔に手術してもらうだろう。「おならの臭い順」だったら君は1日3本ずつ
頑張った人がきちんを得をできるルールは何だろう?それとどうせやるんなら役に立つことって何だろう?
本を読んで先生に教わって自分で頑張れば成績はどんどんあがっていく。何もしなければどんどん落ちていく。体が不自由でも日本のどこで生まれてもお金がなくても本人次第でなんとかなる可能性がある。小学校で覚えたことが50歳で役に立つこともある。
もちろん勉強で順番をつける方法も完璧ではない。それでも不公平は残る。でも一番不公平にならない方法って何?って言われたら、やっぱり僕は勉強だと思うんだ。
この質問の答えは人によって違うので、一概に言えないと思います。今あがってるだけでも楽しいから、生きる上で必要だから、親の期待、やりたいことがあるからと様々な答えがあります。すべて真実でしょうが自分に対しては正解だけど相手にとっては正解なのかはわからない。この類の質問は自分で答えを出さない限り納得できないのではと思います。
人によって違うことを理解させるために自分の考えと、その子と、他の人の考えは違うことと考え方の例をいう。そしてもう一度考えさせてしっくりくるものがあれば、それが今のその子の正解ですし、無ければ人によって違うから〜などと言って保留にするのがいいのではないかと思います。
というのは勿論冗談です(とは言い切れませんが)。そもそも本来は勉強[しなければならない]なんて事はありませんよね。
でも実際はイヤイヤながらも勉強している子供がいるわけで、そういう子供に「そういう社会のシステムだから」てな話をしても微妙な顔をされて不信感を持たれるだけでしょう。
一言で表すと「今後の人生をより豊かに過ごす為」だと思います。(大事なのは将来だけでなく今も含まれている事)
そういった際は子供の好きなもの・興味のあるもの等を聴き、「ソレはコレコレこういったものだから、○○や□□を知ってると、分かっているとより楽しいよ。楽しいんじゃない?」みたいに上手く導いてあげると良いのではないでしょうか。
こうして真面目にその疑問に答えようとしてくれる大人が身近に居たことは、その子にとって幸運ですね。
「ゴルフをしている時、実際にクラブを振っているのはほんの数分で、残りの時間は『考えている時間』なんです」
塾の先生など教育の専門家のフォローがあった方が良く、それも早い段階で必要なのではないかと考えます。
URLはダミーです。簡単な言葉で言えば、「勉強しないと単純馬鹿になってしまうから。単純な事しか出来ない大人になってしまうから。」です。子供の可能性を伸ばすために勉強をします。
勉強は頭の体操、やればやるほど難しい事にも挑戦出来る脳みそのなります。それから自信をつける効果もあると思います。
勉強が苦手な子供は自信をなくして諦める心があると思います。勉強が出来ないことで子供なりにプライドが傷ついているのです。
ですから先生は勉強が出来ない事でむやみに叱ったりしないで、出来ない子ほど何かの形でほめる努力も必要と思います。コンプレックスは勉強の意欲を下げる原因です。
それから「単純馬鹿になる」とは書いたけれど、決して勉強できない子供に対して馬鹿にする心を持たないでください。むしろ尊敬するくらいの大きい心が必要と思います。
大人になって社会にでると、毎日が勉強なのだ。いましている勉強は、大人になってからの勉強の仕方を勉強しているのだ。
勉強は、厳しい現実から逃げ出さない習慣をつける為の訓練。何か嫌な事があったら簡単に逃げ出してしまうような卑怯な大人にならない為に、勉強しましょう。
どうして勉強しているのか?をわかろうとするために勉強するんだよ。あなたも「どうして勉強しなきゃいけないの?」って聞くことがどれだけすごいことか考えてみて、まず世界中にたくさんある言葉の中の日本語を知っていて、その日本語の中で一つ一つの名前、感覚を表現できる。でも自分の思ったこと、考えたこと、感じたことを人に伝えることって難しいよね。だから、自分の中にある全部のことをまわりに教えることができるようになるために勉強してるんだよ。
今後君が何か知りたいことが出てきたとする。知らないことを知るためにはどんなやり方があるか、それを勉強してるんだ。今なら僕(先生)に聞く、というのがひとつのやりかただね。ほかにもいろいろ方法があるよ。考えてごらん。
「なぜ皆さんは勉強をしていますか?良い大学に入る為?大企業に入社する為?会社を起業するため?」殆どの生徒はこれらの回答例に当てはまる回答をしました。
そこで恩師曰く「これは私の個人的な回答ですが、人は人に騙されない様にしっかりと勉強しそれらを理論的に組み立て、騙されないように自らの考えを確信を持てる様になる為に勉強をするのだと思います。無人島なら体験し実習してゆけば済みますが、人と言うのは決して全員が善人でもなく、それこそ十人十色です。立場が変われば態度も変わります。だから正しいのか間違っているのか判断できる人間になる為に勉強は不可欠なのです。」というニュアンスでおっしゃっていました。(自分で装飾してます)
確かに人間は一人では生きていけませんし、周りに必ず人がいます。新聞の営業や宗教の勧誘、街での会話や選挙に参加。全ての小柄はどんな形にせよ自分で考えなければならないし、正しいのか間違っているのか判断しなければなりません。
従って、多くの人との関わりをもて、社会的地位の高い人の話を聴くことの出来る立場に己を置く事のできる学力も必要です。もちろん様々な人に自ら接する事や相手から接してくる事もあります。逆に無学の人はそうゆう機会も圧倒的も少なく、他人の意見も聞けない場合も多分にあると思われます。
たとえば、道に光る石が転がっていて、それを「ただの光る石」だとしか判断できなければ損。「ダイヤモンド」だと判断できれば得
知っていることが多いほど、判断できる事柄が多くなり、結果的に得をします。ドラゴン桜の「だまされないため」に近い回答ですが。
人間は、知識や知恵をコンピュータのように簡単にコピーできません。将来、科学が進んでできるかもしれませんが、現在のところ、人間は勉強を通して知識を伝えていきます。
知識の中には、何百年もかかって回答が得られたものもある。それは、勉強をすれば一瞬で回答がえられるが、勉強しなければ、また
多くの知識があれば、相手の話が理解できる。先の回答のように、該当の物理の法則を知っていれば、あの夫婦との会話の意味も内容も理解できる。別の例として、英語を勉強し、米国の歴史文化について知っていれば、米国人が話すことが理解できる。
一方、相手に自分の意見を正しく伝えるには、相手にあわせて、相手のもっている知識の範囲で話す必要がある。自分の知識が多ければ、相手のもっている知識を自分が知っている可能性が大きくなる。
質問に質問で返す形になりますが、「あなたには何か特別な能力がありますか?例えば、ルックスがよいとか、野球が上手でプロを目指して日々練習しているなど」
そこで「お金がもらえるほどの特別な能力を持っていないならば、生きていくために勉強をしなければならない。」
小学生には酷な言葉となるかもしれませんが、かつて高校生だった私には強い危機感と勉強の必要性を感じた言葉です。
つまり普段から勉強して、論理的に考えたり覚えたりする力をつけておくと他の学びにも良い影響をあたえ、結果として人生全体に良い影響をあたえるから勉強をしたほうが得なわけです。
これからきみはいろんな「権利」というものを持つようになる。日本に住んでいる人は18歳になったら結婚して子供をつくっていいし、自動車を運転できる。20歳になったら選挙権を使って政治に参加できる、25歳になったら国会議員にも立候補できる。
でも、それは権利を正しく使うための勉強はしましたという前提なんだ。それがほんとはばかな大人もいるから、困ったことが起こるんだよね。
いろんなことを知ってる正しい大人が多ければみんなが幸せになるし、これからの子供達も幸せになれる。けれど、バカな間違った考えの持ち主が多ければみんなが不幸になっちゃう。何も知らない子供のような大人は正義を守れないし、自分やみんなの幸せにするにはどうしたらいいかわからないんだ、さあどうしよう?
ウルトラマンもセーラームーンなんて、もし間違いばかりだったらどうなる?間違って地球を亡ぼしちゃうかもしれないものね。強くたって正義の味方にはなれないよ。だから大人になったら正しく物事を考えることって大切だよね。
でもね、友達のみんなが大人になっても、きみが永久に小学生のままでいるつもりなら、勉強しなくて大丈夫。でもそれじゃ、たぶん楽しいこともないと思うけどなあ‥。
まあ、言ってることは「勉強すると選択肢が広がる」と同じなんですが、「知らないと選択肢が閉じる」ことも併せて教えると効果的かなと思います。
「知っていればスグ簡単にできることでも、知らないと、何回もやり直したり、失敗してできなくなったり、無駄があったりして“困る”よね」、、という感じですか。 大抵どんな職業でもそういう例え話は作れると思うので、そういう説明でいいと思います。
「日本は自由な国だよ。でも、その自由を使うためには、勉強ができないとだめなんだよ。自由になるために勉強するんだよ」というのはいかがでしょう。URLはダミーです。
私は勉強ばかりして後悔してる方なので、手に職になるものと、倫理観、道徳だけでいいと思うのですが、
これは私の質問文の2番目と3番目の考えに近いと思いますが、そのように説いて聞かせると説得力がありますね。
学び知ることによって、能力を高める必要があるだけです。学び知ることないままでいると、能力が低いと感じることになります。無知無能のままで耐える事を勉め強いられることがない様にするわけなんですけどね。
小学生だった私は、学研のかがくの付録を説明書通り組み立てるだけの人生では不足で、かがくの付録のような物を自分で考えて作る人間になるために、勉強することが必要でした。
私と同じ性質の人でなくても、たとえば中田やイチローになりたいと思えば人生のどこかで外国語を勉強しなければならないことは明らかで、何年も海外で働いて未だに外国語ができないスポーツ選手などは私にとってはスマートさが感じられません。
もっと地味な未来でも、テレビドラマで出る刑事やサラリーマンでも試験があり、野球選手や上海雑伎でも厳しい修行があります。上海雑伎団だって外国公演で自由に外国語が話せた方がかっこいいに決まっています。そのようなかっこいいオトナのどの例を取っても、そのために小学校でやるべき事ははっきりしています。
このように「将来のためだ」などと抽象的な説明が無くても、漁師になるにはこの学問、レスラーになるにはこの語学、と、現実の楽しい目標を実現するために必要な勉強は、わりとはっきりと説明できる物だと思いますよ。途中で目標が変わっても、その途中までにやったことが人生の味付けとして役に立つんじゃない。
最後に、子供には受け入れにくいような理屈を言えば、誰が何の天才であるか、実際にそれを教育してみないと分からないですよね。その意味で、義務教育の間は、本人が興味がない勉強でも無理矢理やらせてみることが公共の利益に成るじゃないですか。誰でも10歳までに触れた物の中から天職を選ぶ物だと聞きました。小学校ではなんでもまんべんなくやってほしいです。でもこの話は、その勉強がつまんない本人の耳には入りませんね。
なんで?」「お父さんはな、中学の時、バスケをやっていたんだ。でも背が低かった。先生にどうしたらレギュラーになれるか訊いたら、頭を使えって言われた。それから一生懸命勉強することにしたんだ」
なにも立派な高説をぶらなくても、こういう雰囲気での会話で話すことこそが一番伝わりやすいんじゃないかと思うのです。
「やらされてる」感があると、面白いことでもめんどくさくなってしまうのは大人も子供も一緒だもんな。
悲しい現実ではありますが、「不利益を被らないため」さらには「殺されないため」というのは理由の1つにはあると思います。途上国の出来事も、全く別世界のこととも思えませんし。
もちろん、義務教育以外の「勉強をしない自由」も認められています。ただ、そういう日本の事情は、世界的には恵まれているとも言えるわけで。
「ほら、勉強しないとこんな酷いことになっちゃうんだよ!」というよりは、「自分の知らない世界のことについて知ることができる機会を得られる」には、勉強しておいた方が有利だとは言えると思います。
「知る力、考える力、実行する力」をつけるためだと思います。例えば、あなたは小学一年生の子から質問され、その答えを探すためには何をすればよいかを考えたはずです。その手段の一つとしてこのサイトを使っているのでしょう。ここであなたが、このサイトで質問できたのはこのサイトの存在、パソコンの操作方法、を知っていたからです。知らなければここで得られる情報はもちろんゼロです。また、得た情報をどう使うかはあなた次第、つまりあなたが考えた結果になります。それを女の子にどう伝えるかはあなたの実行する力です。これらを何に使うかは人それぞれですが、物事を行うには必ず情報、手段、実行が必要です。それらの中で最適なものを知る、選ぶ、実行するためには「知る力、考える力、実行する力」が必要不可欠です。
人間として生きていくために、勉強はひとつの本能ではないでしょうか。知りたいという欲求、それが勉強につながっていきます。人間が人間として豊かにいきていくために、ほかの動物にはない本能だと思います。
すごく恵まれていることだと思うのに、それを当たり前に感じてしまっていて、そんな基本的なことも忘れていました…。
あなた「それはね、私にもまだ分らないの。だから勉強してその答えを見つけようとしているんだよ。一緒に勉強しようね。」
「ま、読み書き困らないように漢字くらいは覚えておくか」ということで、個人的に自分を納得させた記憶があります。
ですから、漢字以外はあまり力を入れていなかったので、代数とか歴史とかほとんど勉強しなかったのです。
むしろ、大人になってから「必要な時に必要な勉強をして事足りている」、というのが嘘偽りのない感想です。
あの当時、僕は理科が好きだったので好奇心から自発的に勉強しましたので、ガキにしては相当な物知りでした。
商談相手とのばかっぱなしの薀蓄には多少なりとも効果の程はありますが、実務的なことにはほとんど無意味なわけです。
そんなことより、金利の計算がキチッとできたり、XPが固まったときの対処法をしっておったほうがよっぽどいいってもんです。
小学六年生くらいだったら理論的に説明すれば納得するでしょうけれど、小学一年生に関しては理論的説明はむずかしいと思います。
最低、読み書きそろばん(計算)くらいは身に付けないと実生活では不便を感じるのはあたりまえですから、四則演算、常用漢字をしっかり身に付けるまでは、
「勉強いっぱいするとお姫さまになれる」とか「ドラえもんみたいになんでもできるようになるとか」そんな軽い回答でよいのではないでしょうか。
自分が小学一年生の時のことを思い起こすとき、「どうして勉強しなきゃいけないの?」なんて、まったく思いもしませんでした。
それは小学生としての日課だから分かろうがわかるまいが、まあ先生の話をきいてノートをとって休み時間にプロレスごっこをして一日が過ぎていった記憶しかないのです。
「どうして勉強しなきゃいけないの?」といわれるくらい、その子たちは学校や学習塾が楽しくないということを、まず理解してあげられたらよいと思います。
>「どうして勉強しなきゃいけないの?」といわれるくらい、その子たちは学校や学習塾が楽しくないということを、まず理解してあげられたらよいと思います。
読み書き計算ぐらいはできておかないと困る、というのはたぶんわかってると思うのですが、そのへん+何か夢のあることを伝えてみようかなぁ。
現在彼女の夢はお嫁さんなのですが、いいお嫁さんになるにも勉強は必要だし、気が変わるかもしれないし。
先日、島田紳助さんが“松紳”という番組で同じような話をされていたんですが、紳助さんは子供の頃は勉強嫌いで、ずっと何の為に勉強するのかと日々思っていたらしいのですが、その後ある人に「子供の頃から勉強しておけば、将来の選択肢が広がる」と言われ、目からウロコが落ちたと話されていました。
そういえば松紳最近見てない…ってそれはいいとして、確かにこれは好奇心旺盛なこどもに対しては説得力のあることばだなぁ、と改めて感じました。
できなかったことができるようになる面白さを、もっと前面に出して伝えていけたらいいなぁと思います。
まだやわらかいうちにたくさん脳みそを使っておくことの大切さ、数学的ロジックが実はとても使えるものだということ、そんなことをやさしく伝えられたらいいなぁとほんとに思います。
これに詰まってしまうわけですが、他人とのコミュニケーション能力にもかかわってくるという視点は当たり前のようでいて新鮮でした。
人生10中8〜9は自分の思い通りには行かないものです。自分の思い通りに行かないことに直面したときに、問題解決をする手法を考える基礎知識を身につけるために、勉強をするのです。この世の事象は大半が相手を説得する必要があるものです。相手が納得しないため、自分の思い通りに行かないことが起こると言うことが大半でしょう。相手を説得するには、相手を説得する為の言葉を身につけ、話の根拠を立証するための科学的・数学的な根拠を立証する必要があるわけです。また、物事の歴史的背景その他も含め、全ての学科の勉強が必要なわけです。
そこで、小学1年生からの質問とのことですが、小学1年生の知識で社会に出て、社会の一員として生活していく事は到底無理かと思います。従いまして、様々な知識を身に付けなくてはいけません。
そこで、国は国民全てに最低限の知識を与えるために小学校・中学校を用意し、勉強する機会を与えてくれるのです。
せっかくなのにすみませんが、よろしければ、もう少し具体的な平易な話を引き合いに出していただけるとうれしかったです。
と、聞いてみると、ケーキ屋さんとか保母さんスチュワーデス(キャビンアテンダント)とか答えると思います。
保母さんやスチュワーデスになるには大学に行かなければなりません。大学には決められた人数しか入ることが出ないため、
また、自分でケーキ屋をやっていたとします。とっても忙しいので手伝ってもらえる人を募集したところ、値段をよく間違える人と、
今回のように、子どもから様々な疑問を投げかけられたときに、大人として適切な答えを出せるように準備しておくためだと思います。知の伝承です。
大人になったときに、子どもたちに正しい知識を伝える事が出来るようにするため。知識を引き継ぐのです。
読んでみると、自分が今まで当たり前だと思っていたことばかりが「特権」と記されているのが面白かったです。
効率のいい勉強の仕方も色々工夫して考えてましたので、効率よく何かをする方法もその中で学びました。
学生時代真剣に勉強に取り組んだことで、その知識よりも取り組んだ時のノウハウや、こういう時にはこう考えればいいんだというシナプスが脳内に構成されているような気がします。
大人になって調べ物をしたい時にも何をどうやって調べればいいのか学生時代の知識と経験から引っ張ってくることが多いです。
小学生には説明しづらいかもしれませんが「頭の訓練をするためだよ」と説明すればいいかもしれません。「運動しないと体の筋肉が成長しないように、脳みそも使わないと成長しないから、勉強することで脳みそを成長させてるんだよ」と。
という問いとしばしば同じ意味で扱われているというのも、考えてみるとなんだかもったいない感じがしますね。
知らなかったことを知るのは、楽しいことだと思うのです。そして、生きていくからには楽しく生きなければならないとも思います。
私もずっと疑問に思っていました。先生にその質問をしても納得のいく答えは全く出ませんでした。しかし、ある時学年主任の先生がスパっと言ってくれました。
勉強をしなくてはならないのではありません。学校は仲間と過ごすためにあるものなのです。仲間と学ぶから意味があるんです。一人で家で勉強するなら全く意味は無いんです。そしてよい人間関係をきずいていくのです。そう言われました。
そのとき先生がおっしゃったことが言葉のあやであることはわかっているのですが、私は家でひとりで勉強することにも大きな意味があると考えています。
これまで他の方が答えてくださっているように、知識の蓄積および論理的思考力の鍛錬、精神的な忍耐力・持続力の強化や客観的視点の発達などにもある程度は役立つと思います。
「どうして勉強しなければいけないのですか?」と聞くって事は、今の自分の頭で一生懸命考えてみても、自分なりの答えに辿りつけていないから聞くわけで。
どうして勉強しなければいけないのか?についての自分なりの答えを見つけるために勉強する必要があるって考えれば、いいのではないでしょうか。
そうですよね。私も個人的にはそんな感じで考えてるんですが、まだ思春期にも入ってないこどもにはちと説得力に欠けるかなぁと思ったりも…。
参考URLは、そもそも「なぜ勉強をしなければならないか?」という問いは答えを求める問いではなく、単にしたくないことを表明しているだけであるという論です。
> もし、子供が勉強したくないと答えれば、しめたものである。人生には、嫌でもやらねばならぬ事があるということを、語ればいいのである。惰性に流されて生きている自分を反省しながら、子供と励まし合いながら、生きていこうとすればいいのである。それが、大人の知恵というものである。
なるほどですね。やっぱりこんなふうに、こどもと同じラインに立とうとする姿勢を見せることが一番いいような気がしてます。
脳みそも肉体と同じで鍛え続けないとダメになります。最も一般的かつ効率的な脳みその鍛え方が勉強です。勉強がいやなら、他の鍛え方もありますが、すべて自分で工夫せねばならないため相当な予備知識の蓄積が必要でそのためにも、言い換えるなら勉強したい事を探す為現在の勉強が必要です。
「勉強したいことを探すため勉強する」っていうのは、「生きる」に置き換えてもそうだなぁと思います。
「年端も行かない幼いこどもに『どうして勉強しなきゃいけないの?』と問われたら、どう答えたら納得してくれますか?」
人生は「幸福」と「不幸」が交互にある。たくさん幸せなことがあれば、それと同じだけたくさん不幸なことがある。だから何もしないである日すごく大きな「幸福」を手に入れたとしたら、それはすごく怖いこと。
「努力」というのは自ら背負う「不幸」のこと。努力するのはすごく苦しい。でもその苦しさこそが「不幸」として蓄積されて、いずれそれと同じだけの「幸福」がある。自分でやりたことがあって、そのための努力の方法を知っているのであれば、それを今すぐやって、勉強なんかしなくてもいいと思う。でもそれを見つけるのってすごく難しいこと。だからみんな勉強する。苦しくて泣きたくなっても最後までやり抜いて大人になっていく。みんな必ずその「不幸」に見合うだけの「幸福」をいつか手にいれる。勉強が苦しいのは当たり前。勉強したくないんでしょ? でも、その苦しさこそに意味がある。幸せのための努力。学校の勉強なんて受験にしか役に立たないよ。苦しさが「幸せ」のために役にたつの。
なんか質問と少しズレちゃいますが、「努力」が「苦行」にしか感じられないのは私だけじゃないんだと知ってちょっとホッとしました。
私の努力嫌いの怠け好きには少しばかり並外れたものがありまして、それでこどもに努力の意味を説いて聞かせるというのもどうなんだという思いがあったのですが…いっそそんな私だからこそ使える論かも。
小学校低学年のころ、みんな思っている疑問のひとつだと思います。今いっぱい時間があって勉強できるときにしておかないと、大きくなった時、知らないことが多すぎると、困るのはあなただから、時間がある今、勉強しておかないと駄目なのよと息子に言ったことがあります。自分の夢を実現させるために勉強は必要。では駄目でしょうか。
おじいちゃんのおじいちゃんのそのまたおじいちゃん達が子供達のために一生懸命残してくれた知恵だからね。僕達が一生懸命勉強して今度は自分の子供が生まれたときに教えてあげれるように勉強しないといけないんだよ。みたいな感じでいいます。
その昔、学校でなれけば、勉強する教材も、方法も入手できませんでした。そんな暇があったら、親の仕事を手伝え、と云うのが常識でした。
人は学びたいと云う強い情熱から、発明発見に至ることもあれば、人生の意味を見出すこともあるでしょう。
確かにそれがあるべき姿ではあるのですが、こどもにそんなことを言っていたら当分の間は勉強に取り組んでくれません。
まずは、あなたがどう考えているのかきちんと整理することが大事ではないでしょうか。それこそ千の議論があると思いますが、私の考えは、どのみち将来は子供達も自立して自分でご飯食べていかなきゃならない、文字や計算がわからなければ生活すら困るということを、ちゃんと理解させる必要があると思います。生活に困ったことがない今の子供達に、そもそも将来の仕事もイメージできない今の子供達に、付け焼刃で動機付けするのは容易ではないと思います。学習塾でそこまで必要かといえば必要ないでしょうが、根本的な質問に回答するにはそれなりに教える側に求められているものがあると思います。
宮本輝が「朝の歓び」という小説の中で、登校拒否になった高校生の息子をぶん殴って、「高校生のお前には自分で人生を選択する権利はない。高校辞めたければ、家をでて自分で稼げ」と父が言うシーンがありますが、同感です。
稼ぐには最低限の能力が必要で、それは基礎能力が高ければ高いほど柔軟性があり、それを身をもって教えるには、教える側も相当考えて、準備が必要だと思います。
そういうことを考え実践している人のWEBをみたり、本を読むのも参考になると思います。ただ、学習塾の勉強ではそれは限界があると思いますが。
有名大学に入れば就職にこまらない時代は10年前に終わってますし、子供もいろいろなところで受験の効用について、大きな疑問を感じていると思います。
ともかくも私は留学後、日本の教育の中身には未だ疑問だらけで、すくなくても日本の英語教育がもっとましなら入社してこんなに苦労しなかったと思うし、日本の雇用もビジネスももう少し広がりがあったと思います。
しかし英語の有用性を説いて、動機付けを完璧にしてから教育というのは社会経験のない子供に対してむずかしく、子供もすぐに役に立たないことを悟ると思います。根本からそこを何とかするのが、教育なのではないでしょうか。
「いい学校を出ていい会社に入れば安心」という時代は終わりました。13歳から大人まで、自分の本当に好きなことをもう一度よく考えて仕事を選ぼう!
2004年に『13歳のハローワーク』を発表。大人の入口であり自由と可能性を持つ「13歳」に向け、現実世界への入口となる「仕事・職業」に好奇心を持ち探求に向かうことを意図。折しも「ニート」なる新しい労働経済学的な社会問題が指摘されていた。
>私の考えは、どのみち将来は子供達も自立して自分でご飯食べていかなきゃならない、文字や計算がわからなければ生活すら困るということを、ちゃんと理解させる必要があると思います。生活に困ったことがない今の子供達に、そもそも将来の仕事もイメージできない今の子供達に、付け焼刃で動機付けするのは容易ではないと思います。
おっしゃる通り私自身の考えがまだ発展途上ですので、それを練り上げたくて質問したというのもあります。
13歳のハローワークは持っていますが、仕事=食い扶持、生き残っていくための武器、という点を冒頭できちんと説いているところに大いに共感しました。13歳という年齢も、こういうことを考えさせるのにちょうどしっくりくる年齢なのではないかと感じます。
「いい高校、いい大学、いい会社に入って、いいお嫁さんをもらって幸せに暮らすため」で育っちゃったからな〜。これはダメですね。
年取ってから勉強すると、小学生の時に勉強しようとする時間のの倍以上かかる。脳みそが衰えるから。その為、勉強を先延ばしにすると、結局自分の自由な時間が減るから。
しかし、これは「『こどものうちに』勉強しておかなければいけない理由」としては適切ですが、「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いからは若干ずれている気がします。
私は基本的に嫌いなことはちょっとはやってもあまりやらなくていいと考えています。ありきたりですが、勉強だけではないし・・・。あえてゆうならば、「幸せになるため」です。
読み書き計算ができれば、あとはまぁやらんならやらんでもまぁ何とかなるものなのかもしれませんが、立場上そうも言えないのがつらいところです…
ドラゴン桜なんか読ませてあげたいものですが小学一年生の女の子にすすめるのもアレなので、そんな感じで説明してみたらいいかも。
高校や大学に受かるためだけの受験用の勉強、詰め込むだけの勉強など意味の無いもので、自分で考えて答えを導いた、納得したということが大切なことだと思います。
自分で考えずに答えだけを詰め込んできた人たちとは話をしていても面白くなかったり、苛立ちを覚えるときすらあります
>高校や大学に受かるためだけの受験用の勉強、詰め込むだけの勉強など意味の無いもので、自分で考えて答えを導いた、納得したということが大切なことだと思います。
>自分で考えずに答えだけを詰め込んできた人たちとは話をしていても面白くなかったり、苛立ちを覚えるときすらあります。
勉強に限らず、自分の頭、自分のことばで考えて答えを出すことのできる人には魅力的な人が多いと思います。
何で勉強しなければならないのか? と言われれば「それはこれからの日本を作っていくだろう君たち子供が、勉強もせずに皆がそろってお馬鹿ちゃんだったら、やっぱり馬鹿には政治も経済もわからないから自分達の国が壊れてしまい、今みたいな、他の国と比べたら暮らしやすい、豊かな生活が送れなくなってしまうからだよ」と言ってやります。
いえいえ、そうですよね。今の政治や経済の閉塞したムードはこどもにも伝わっているのではないかと思いますし、モチベーションをあげるのにはいいかも、って思いました。
自分も子供のころにそういうことを言われたのを思い出したのですが、大人から、ひとりの仲間として対等に扱ってもらってる感じがしてなんとなく誇らしい気分になった覚えがあります。
「親の期待」というものは、むしろもっと成長してものごとを客観的に判別できるようになってから目を向けるべきことのように私は考えています。
だから、子供のときは勉強(=イヤなものの象徴)をすることにより、将来(=例えイヤな仕事でもがんばる)のことを考えて、
もちろん、イヤな仕事に就かずに好きな仕事につくためにも小さいころから見聞を広げることが大事です。
「だから将来の自分がやりたいものの豆知識を沢山:身に付けるために、熟に言っているんだよ」と言ってしまえば良いのでは、だから勉強しているのではありませんと、付け足しておいてね!
小学生は、まして低学年は、本当に親と一体です。そう聞くということは、親も小さい頃勉強苦手だったんじゃない?親はそんな厳しい感じで学問に子供を取り組ませないことです。
遊び感覚でスイスイやらせてるときは自分も正直かなり楽しいので、こんなに楽しくっていいんだろうか、とわけのわからん制限を自分にかけてしまいそうになるのですが…
まず、教育の大切さを教えるべきだと思います。教育が受けられないと、あの発展途上国のような子どもも仕事をしなければならない世の中になります。「教育」を受けて、勉強をするから正しいことがわかり、奴隷にならなくても済むのです。つまり、自分たちが平和な社会で、ダメなことはダメと言えるのは、「学問」のおかげということです。じっさいに何が得か損かではなく、もし勉強をしなかったらどんなことが起きるかを教えてはどうでしょうか。
>じっさいに何が得か損かではなく、もし勉強をしなかったらどんなことが起きるかを教えてはどうでしょうか。
そうですね。損得の基準もさることながら、まずはまぎれもない事実を伝えることが大人の第一の役割のような気がします。
現代社会を生きるのに必要な事がぽっかりと抜け落ちていますから。そして子供はそれに感づくものです。
個人的な希望としては、あとは化学と物理と数学を基本以外は少々削って調理と英会語をもっとみっちり…(聞いてない)
こんなことを淡々と、しかし力強く話して聞かせられる大人が身近にいたとしたら、その子の将来はなんだか、何とかなりそうな気がしてきます。
こうした問いに真剣に悩むときは誰にでも訪れますが、結局のところ、「何か、もっと深く納得できてかつ平易な(こどもに説いて聞かせることが可能な)論」
なんてものは存在せず、一人一人が努力と運によって選ばされた答えらしきものをつかんで生きて往く・・・のが人生だと思います。
・・・が、今回の場合、単に塾に行きたくなくてゴネてるだけです(断言)。真剣に悩んでいないのに、難解な言葉で心動かすことは出来ません。
小1を学習塾に通わせること自体感心しないのですが、とりあえず「○○ちゃんはおおきくなったらなにになりたい?勉強しないとなれないよ」とか何とか適当なこと言っておいて、勉強が楽しくなるようにカラフルな教材使ったり、ゲーム形式を取り入れたり、そういった実践を考えたほうが近道です。
この問いが載っているのは2冊目の「なぜ働かなくては・・・」のほうなのですが、1冊目から読むことをお勧めします。1冊目の冒頭に、こうしたちょっと返答に詰まる質問への答え方というか、どうして詰まるのか?といったことが説明されているからです。2冊目は1冊目を読んでからのほうがすっきり頭に入ると思います。URLは1冊目のほうのアマゾンのページです。
小1を学習塾に通わせること自体感心しないのですが、とりあえず「○○ちゃんはおおきくなったらなにになりたい?勉強しないとなれないよ」とか何とか適当なこと言っておいて、勉強が楽しくなるようにカラフルな教材使ったり、ゲーム形式を取り入れたり、そういった実践を考えたほうが近道です。
大声を出してゴネたり泣き出したりする子がときどきいるんですね。見てると心が痛みます(というか自分自身、小学一年生のころから塾に通わされていたんですが、とにかくイヤでイヤでしょっちゅう泣いていました)。小学までは、人並みにできればそれでいいと個人的には思うんですが…。
自分自身の持っている考えとしてはやはり「何らかのアドバンテージを得るため」ですね。単に知識や偏差値、得られる肩書きの話ではなく、その過程で養われた思考力や忍耐力も含めての話ですが。
私が小学生のときは、友達と遊ぶことが勉強だったような気がします。昔の話なんで今とは違うのかもしれませんが・・・
女の子が質問する気持ちがわかります。詰め込み式の学習なんかに興味を持つ方がおかしいんですよ。端末や計算機じゃないんですからね。
個人的には一問一答の勉強なんか何の役にも立たないと思っています。さらに小学校の学習指導要領がおかしいと思っています。
そもそも、今女の子が何に興味を持っているのでしょうか。今興味を持っていることから、徐々に「知ること」の楽しさを教えるべきでは・・・
小学生一年生に「説いて聞かせることが可能な論」なんかないと思います。これから色々知っていって理解ができるようになるのに、段階を飛ばして説いて聞かせることなんか不可能だと思います。
私が、同じような質問をされたら、かならず女の子に「何で勉強すると思う??」と聞くと思います。女の子に考えさせます。考えることを癖にさせます。そして女の子と色々話しながら「世の中のいろんなことを知るためだよ」「興味のあること知るためだよ」と言うと思います。「知る」ってのが私のキーワードです。
私は、大学生時代に塾で、小学生高学年、中学生、高校生、大学院時代には、大学生相手に勉強を教えました。そのときは色々考えました。一応中学校と高校の理科と数学の普通教員免許と専修免許を持っていますが、「教育とは」っていう自問に答えがでなかったので、どうせたいした教員にはなれないだろう〜と教師になることをやめました。今はサラリーマンしてます。
確かに小学一年生から塾に通って学校での内容を補完する必要があるのか、その時期はもっと他にやることがあるんじゃないのか、と私も思っています。
>私が、同じような質問をされたら、かならず女の子に「何で勉強すると思う??」と聞くと思います。女の子に考えさせます。考えることを癖にさせます。
こうやって対話する姿勢を見せないとまず話を聞く気にならないのは大人も子供も関係ないだろうと思いますし…。
「大人になったとき、みんなが大笑いして読むこの本を、君だけ面白く感じられなかったらどうだろう?」と、問いかけてみてはいかがでしょうか?
説明する、というよりも小学一年生なりの答えを自身で見つけ出させ、納得してもらうのが最善かと思います。
>説明する、というよりも小学一年生なりの答えを自身で見つけ出させ、納得してもらうのが最善かと思います。
楽な仕事をしようと思ったら、資格がないとできない。でも、難易度の高い資格をとるにはそうとう勉強しないといけないよ。さ〜がんばれ!!」
「将来結婚するにしてもしないにしても、堂々と胸を張って世の中を生きるには、資格を取ってそれを生かした仕事に就くことだよ。それには勉強しないと、資格は取れないよね。
しかし母の場合、私が結婚しないで仕事仕事ばっかり言ってるのを最近は懸念しているようで、どこからかよくお見合いの話を持ってきてくれます。花嫁修業のためにすぐに料理教室に通いなさいとも。ちょっと待って、そんなに焦らないでママン…
勉強はしなくてもいい。勉強が嫌いな人は、我慢して勉強する必要はない。勉強したい人だけ勉強すればいい。ただ、勉強するとどんな楽しいことがあるのかだけは、知っておくべきだし、教えておくべきだ。
あと、勉強ができる人には、我慢して勉強したから勉強ができるのではなく、単に勉強自体が楽しいから勉強しているだけの人も多いので、べつにエライとかじゃないし、尊敬されるようなことじゃない。テレビゲームが好きでテレビゲームをやってるのとたいして変わらんのじゃないかと思う。
まず、(1)の遊び。基礎的な筋力や体力があると、幅広いスポーツをがんがん楽しめるように、基礎的な学力があると、さまざまな知的な遊びにがんがん挑戦できる。たとえば、英語ができれば、無菌パックされた加工食品みたいなパック旅行なんかじゃなく、リュックサック一つで世界中の安宿を、現地の人々に混じって放浪する、とれたて生野菜丸かじりのような旅行が楽しめる。現地人の生活空間に入り込めるから、まったくの異空間、異質な空気、別世界に入り込んじゃうかんじで、濃密な異文化リアリティが、ちょー面白いぜェ。語学力が十分にあれば、人生論や価値観みたいな、自分の生き方を考え直しちゃうような深ーーーい話題にまでももってけたりするし。ときには、価値観の違いをリアルに感じすぎて、それがその場所のキッチンの匂いや現地人の体臭とミックスされて、目眩が起きそうになるほどだ。歴史や古典に強ければ、京都・奈良の旅は何十倍も楽しめる。現在のその苔むした古寺に行き着くまでの人間の喜怒哀楽と思惑のドラマが走馬灯のようによぎって、古刹の前で涙が出てくるね。科学に強ければ、読める小説の種類だって、ぜんぜん違ってくるし、感動して泣ける映画の数ずっと多くなるし、というか、同じマンガでもアニメでも映画でも、ずううううと多角的な角度から、ずっっっっと深く深く深く味わえる。コンタクトのジョディーフォスターのセリフも、宇宙の生成から消滅までの壮大なイメージがあると、いっそう心に染みるぜー。株式投資にしたって、数字に強ければ、財務諸表をがんがん分析し、企業戦略と世の中の動向、そして自分の生活感覚をミックスさせてリアルに楽しめる血湧き肉躍る最高のゲームになる。
それから、(2)の仕事については、会社でもNPOでも、クリエイティブで面白いわくわくする仕事というのは、たいてい「能力」の高い人間に独占されているのが現実。「能力」のない人間は、たいてい下っぱで、ものごとが決まったあとに、決められたとおりに命令される側で、単調でつまらなくてシンドイ仕事が多く、どうでもいい人間だと思われ、ぞんざいに扱われる。乙一の言葉を借りるなら、「なんというか、エラくないのだ。」
そして、その「能力」とやらは、英語を使いこなしていること、数字に強いこと、法律に強いこと、社会のしくみをよく分かっていることなどの基礎的な力が前提となってる。プロジェクトの収支シートを見ながら次にどのような企画展開にするかの議論とか、すごいスピードで暗算で試算できないと、ぜんぜん議論についていけない。アイデアを出すどころじゃない。単純な足し算、引き算、掛け算のスピードは、子供のうちに徹底的に高速化しておくに限る。逆に、それが高速でできれば、稲妻と嵐の中を縦横無尽に疾走するような最高の高揚感が味わえる。
科学や歴史が必要かどうかは分野による。必要でない仕事も多い。ただ、できないとそれらが必要な仕事からは締め出される。古典や歴史の知識も、お客さんに教養人が多いとかの場合は必要だけど、それ以外はいらない。なぜか日本にはあまり教養人はいないので、教養はたいした問題にはならない。ただ、ビジネスなどで西欧人エリートとのつきあいがあると、教養の重要度は跳ね上がる。なぜだかは知らない。単に経験的にそう。
そして(3)の友達。能力があれば、友達が困っているとき助けてあげられる。能力がないと、かわいそうだと思いながら、見捨てるしかない。というか、自分の分ですら、夜遅くまでやっても終わらずヘロヘロになってるから、友達を助けるどころか、自分が助けて欲しいぐらいだ。たくさんの友達に切実に必要とされ、尊敬され、心から感謝されるというのは、気分がいいし、生きている実感がわくし、からだのなかから力がみなぎってくる。逆に、友達から必要とされず、軽視され、単なる遊び相手だと思われ、口先だけの感謝の言葉しかもらえないというのは、なんていうか気持ちがやせ細る。生きている実感がわかなくなってくる。生きる喜びが薄くなる。人間は、群れで生きる動物だから、その本能を満たしてやることは、動物本能として必要なんだろう。
それと、英語さえできれば世界中のいろんな人と友達になれると言うのは、幻想だ。基本的な教養がないとすごく友達の範囲も会話の範囲も限定されちゃう。旅行先で出会う欧米の人間は、基本的な教養が「共通言語」になっちゃってることがよくあるんだよね。平安時代の貴族のモテアイテムが中国の古典だったのに似てるかな?
先日も、オイラの彼女と二人でとある発展途上国をバックパッキングしてたんだけど、そのとき山奥で夕食のテーブルを共にしたアメリカ人の中年夫婦と楽しく盛り上がった。会話の中で、「それってダークマターみたいだね」とか「でもさー、歴史は権力者の都合のように書かれてるだけだから(フーコーだっけ?)」とか、奥さんに文句を言われて「いや、熱力学の第二法則に従ってるだけだし」とか言い訳したり(部屋を散らかす人なんでしょうね)、「じゃあ、日本でも神の殺害は起こったというの?(ニーチェ、もののけ姫のエボシなんかもそれだろな)」とか、「どこで食べるかは決まってるけど何を食べるかは決まってない(量子力学の不確定性原理のパロディー)」とか、輪廻転生とカーストの話とか、とある大手企業の粉飾決算の手口を笑い飛ばしたりとか、「あの政治家、(フロイトの)肛門期的性格だよなー」とか「うへ、それじゃビッグブラザーじゃん(オーウェルの1984)」とか、「熱帯雨林ではバクテリアの代謝が活発だから二酸化炭素を吸収するというのは辻褄が合わねえべ。」とか「これはデブのジーンズ(genes)を持った人用のジーンズ(ズボン)なんだ」とかいうジョークやネタが、先方からポンポンでてきた。
最後に、(4)の騙されないため。徒然草じゃないけど、「多くはみな虚言なり」というのは、いまも昔も変わらないんだ。そして、ホンモノの教養があると虚言に惑わされなくなる。たとえば、世の中に出回っているサプリメントのうち、9割か、もっと多くは、合法的な詐欺なんだけど、どれがインチキで、どれがホンモノか、どうやって確かめる? その道の権威は、研究費を企業にもらってるから、企業のスポークスマンだし。で、自分で調べていけば分かるけど、たとえばαリポ酸がほんとに効きそうなのかどうか自分で判断するためには、かなりの基礎学力が必要だぜ。ミトコンドリアの中の分子化学的プロセスの話とか出てくるし。クエン酸回路や電子伝達系しくみのどこでどう働くのかとか、その証拠はどのように確認されてるのかとか、ミトコンドリアで発生した活性酸素がほんとに核膜の中まで届くのかとか、活性酸素にもいろんな種類のものがあるけどそのうちのどれにどう働くのかとか。あるあるを見て理解したような気になることはできても、あるあるの言っていることのどの部分がどこまで本当かを「確かめる」ことはできない。いい情報も多いけど、インチキ情報も多いんだよ、テレビは。ダイエット食品や若返りと称した合法的詐欺も繁盛してるよな。ダイエット産業は「リピーター」によって成り立っているという構造があるんだよ。金融商品なんて、もう、合法的詐欺のオンパレードだ。それらインチキ商品をかき分けて、ほんとうにオイシイ金融商品どうやって購入するのか? 日本語の情報源だけだと、ぜんぜんだめで、やはり相当な英語力が必要だ。ためしに、日本語と英語で同じ情報をGoogleしてみればもう、歴然よ。そして英語力だけじゃなく、多くの金融概念が必要で、それらのいくつかは数字や数学っぽい考え方にアレルギーがあると、きちんとは理解できない。つまり、教養がなくても、情報はたくさん得られるけど、どの情報が虚言でどの情報がホンモノなのかを、「確かめる」ことができない。
以上が勉強することのメリットだけど、勉強すべきかどうか、なにをどのくらい勉強すべきかは、もちろん人によって異なる。ちょー美人で、ちょー大金持ちで、誰にでも好かれるキャラの女の子なら、普通の人ほど勉強しなくてもよいかもね。ただ、そうであっても、勉強したほうが、もっと楽しく遊べるし、もっとすばらしい友達がたくさんできるし、もっといい経験をもっとたくさんすることができるかもしらんぜ。。。とオイラは思うけど?
。。。とは言ったものの、これらは全部屁理屈で、現実には、先生の魅力次第なのよ。教える先生が、勉強のホントウの面白さがよく分かっている、人間的にもめっちゃ魅力ある子供以上に子供っぽい先生なら、その魅力は、いくらでも子供たちに伝えることができる。問題は、そういう勉強の楽しさが全身からあふれてくるような、勉強の面白さを子供たちに伝えるために労をいとまない先生が、めっっっっっっっっっったにいないということだね。だから、ここで書いたことは、みんな机上の空論で、そういう先生自体が、直接子供に語りかけないかぎり、その女の子の納得のいく答えにはならないと思う。というか、もっと深刻な問題は、そういう勉強のおもしろさに対する感受性のない子供、生まれつき菅原道真に忘れられちゃってるような子供がいて、そういう子は、たぶん、別の人生を目指すべきで、無理に勉強すると、かえって不幸になるから、そういう子にまで「勉強しなければならない」とかいうのは、ほとんど犯罪的だと思う。勉強なんてできなくったって、すばらしい人生を送る方法はいくらでもあるんだから。勉強することの最大のメリットは、勉強しなくても楽しく生きていけるということを知ることができる、ということかもしれない。
アメリカ人の中年夫婦との会話の中で出てきたジョークやネタ、読んでるだけで楽しい雰囲気が伝わってきます。(そしてやっぱり理系のネタにはとことん弱い私…わ、わからん…)こういうのをポンポン発して笑いに持っていくには互いにある程度の水準に達していないとダメなわけで、まぁ知らなくても生きていくことはできるんだけど、知ってればこういう楽しい経験もできるということがよくわかりました。
世の中にある学問の多くは、金儲けや立身出世に直接役立つものはとても少なくて、むしろ役立たないものがとても多いです。言ってみれば、歴史と伝統のあるヲタク&マニア向けジャンルばかりで、「何かに役に立つ」という説明は結果としてウソになることが多いです。
勉強の結果得られたことが役に立つとすれば、それは、関係ないものを結びつけて考えられるような柔軟な思考を「役立てる人」が持っているからこそ可能になることです。
残念なことに、そのような思考の柔軟性は、何かを学ぶ過程で結果として獲得される技能であって、それ自体を直接学ぶことができません。
もしあなたが誠実な教師でありたいなら、「どうして勉強しなきゃいけないの?」という疑問に直接回答してはいけないと思います。
この質問に直接答えるのは、あくまでも「逃げ」であって本来はこんな疑問を抱かせた時点で教育者としての技量不足を露呈したのであって、「教師の負け」です。
「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いには、生徒が自然に学ぶことの楽しさに魅了されるような指導を提供することによって回答となすべきです。
>「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いには、生徒が自然に学ぶことの楽しさに魅了されるような指導を提供することによって回答となすべきです。
とりあえず塾講師を困らせて、授業を進めないようにさせようとしてるタイプ。塾に慣れてくる・塾講師をなめるとこうなる子がいる。
空が青いのは説明できますが、「どうして勉強しなきゃいけないか」は人によって目的が違うから一般的に説明できないですよね。想像するに、このタイプの子が知りたいのは「勉強をするとどうなるのか」のほうだと思います。
小1くらいで勉強嫌いな子ってあんまりいないんじゃないでしょうか。むしろなぜ回りや世間に「勉強嫌い」な人がいるのかとか、そういった風潮が流れているのだろう、どうしてみんな「勉強しなさい」というのだろう、という疑問であると思います。
「先生はね〜、今○○の勉強をしてるんだけどすっごく面白いんだよ。でも、それを勉強するのには数の足し算とか引き算が分かってないとできなかったんだよ。だから、先生は勉強しててよかったと思うよ」
とかなんとか、個人的な体験を教えてあげると、その子にとって「勉強は何か?」ということは分からなくても「勉強するといいことがわかるかもしれない」というイメージがわくと思います。件の子にはこれが答えになるのではないでしょうか。
勉強を続けていく上で、「この先にはきっといいことがある!」というイメージは大切だと思います。大人が勉強をするときって、大体目的・目標・動機がしっかりしてるから楽しいですよね。
でも、小中高校生くらいで、まだ目標があって勉強するという年頃でないなら、勉強する意味が分からなくなってしまう時がきっとあると思います。そのときに「きっといいことがあるだろう」というイメージが描ける子は頑張って勉強できるし、ほかのシーンでもいいイメージを描いて頑張れる素敵な人生を歩んでくれるんじゃないでしょうか。
塾の先生は、そりゃもちろん生徒に勉強させるのが仕事ですから「勉強しなさい」っていうんですけど、その裏には生徒の将来を思う深ーーい愛があるんですよね〜(笑)
>「先生はね?、今○○の勉強をしてるんだけどすっごく面白いんだよ。でも、それを勉強するのには数の足し算とか引き算が分かってないとできなかったんだよ。だから、先生は勉強しててよかったと思うよ」
>とかなんとか、個人的な体験を教えてあげると、その子にとって「勉強は何か?」ということは分からなくても「勉強するといいことがわかるかもしれない」というイメージがわくと思います。件の子にはこれが答えになるのではないでしょうか。
>勉強を続けていく上で、「この先にはきっといいことがある!」というイメージは大切だと思います。大人が勉強をするときって、大体目的・目標・動機がしっかりしてるから楽しいですよね。
でも、小中高校生くらいで、まだ目標があって勉強するという年頃でないなら、勉強する意味が分からなくなってしまう時がきっとあると思います。そのときに「きっといいことがあるだろう」というイメージが描ける子は頑張って勉強できるし、ほかのシーンでもいいイメージを描いて頑張れる素敵な人生を歩んでくれるんじゃないでしょうか。
>塾の先生は、そりゃもちろん生徒に勉強させるのが仕事ですから「勉強しなさい」っていうんですけど、その裏には生徒の将来を思う深ーーい愛があるんですよね?(笑)
また、現在もそうなのですが、「勉強」という言葉自体あまり好きではありません。強いられるという状態にいれば、多少なりとも勉強に疑問を持ってくるのは当然だと思います。
感覚的な話なのですが、じぶんは「勉強」にあまりポジティブさが感じられないので、基本的には出来るだけ「学習」を使うようにしています。
学び考えていくことによって、その不自由さが少しずつ解消され、自分の中の可能性が大きくなっていくのではないでしょうか?
しかし、私の場合、多くの先生は教科書の内容を喋っている程度にしか感じられなかったため、学校の勉強が嫌になり、意味が判らなくなるという悪循環に陥ってしまいました。
結局は面白いと思えるかどうかだと思います。百聞は一見に如かずで、どんなに口で説明するより、切り口を上手く開くことが出来たら、「どうして勉強しなければいけないのですか?」 などという不満は言わなくなってくれるのではないかと思います。
>しかし、私の場合、多くの先生は教科書の内容を喋っている程度にしか感じられなかったため、学校の勉強が嫌になり、意味が判らなくなるという悪循環に陥ってしまいました。
教育指導要領という名のマニュアルから少しでも外れた内容をやろうとすると、先生もいろいろ大変なんだろうなぁ、とかいろいろ想像しながら聞いてましたが…。
両親が働いてお金を出して自分を塾に入れてくれているのだから、そんな両親のためにも勉強してあげなさい。っていうのはどうでしょうか。
じゃあ塾なんて通わない!なんて思われたら困りますが、その時は、ご両親があなたのためを想ってやってくれていることなんだから、という感じでどうでしょうか。
今伝えられることは、やっておいて損じゃ無い事だから、馬鹿にされたり馬鹿なのは困るから、ちょっと楽しいことだから、と、上に挙げた両親のため、と言うところですかね。
色々書きましたが、「勉強は面白いから」と言って、そうだよな、と納得してくれるのが一番嬉しいですね。
上にも書いたように「親の気持ちを考えて」というのは、小学一年生の子には酷な気がするのであまり言いたくありません。自分から通わせてほしいと頼んだわけでもなかろうし…。
ところで素朴な疑問なのですが、皆さん、小学校低学年ぐらいのころ「勉強って楽しいな、面白いな」と思った経験って結構あるものなんでしょうか。
私は正直言って、そういう記憶はほとんど残ってないのですが…。初めて「楽しい」と感じられるようになったのは高校後半から大学生にかけてでした。
しっかり学び、基礎学力が高い人物には様々な選択肢があります。世界のどこでも、医師にも弁護士にも中小企業経営者にもNGOスタッフにも、科学者にも、職人にも、フリーターにもなれます。途中で進みたい方向を変えることもできます(友人の中には、経済や文学、建築方面からロースクールに進んだ者もいます。また先輩の中には、法学部を卒業した後、医師になり、弁護士に転向した方もいるそうです。)
キミが大人になって、小学1年生の女の子から、今と同じ質問を受けたとき、キミの言葉と考えで、彼女が納得する回答が、答えられるように・・・だよ。です。
知識欲の旺盛なこどもならこのような回答で満足してくれるかもしれませんが、彼女の場合はどうなんだろう…。でも言ってみる価値はありそうです。
そうですよね。子どものとき思いました。私は教育哲学や幼児教育の研究をしているのですが、もっと子どもの身になって答えたいと思います。
「遊ぶ」と言ったら、「そうか、でも勉強も遊びもどちらもできるでしょ。もし勉強しなかったら遊ぶだけしかできなくなっちゃうよ。大人になって働くこともできないよ。」と言ってあげてください。
「勉強できることは幸せなんだよ」ということも言うといいと思います。発展途上国の人たちは勉強できないからああやって働いてるんだということも、少し知らせてあげてはどうでしょうか。
なのですが、小さいころ、発展途上国の貧しさを引き合いに出されたときのことをよく思い出してみたところ、自分は納得できませんでした。人々の生活が必ずしも不幸には見えなかったのですね。「食べ物がない」というところにはさすがにそれはまずいなと思いましたが。それにしたって、日本で余っている食べ物を毎日空輸して差し入れすればとりあえず今日飢えている人は何とかなるだろうに…と違和感を覚えたこどもは決して私だけではないはずです。うーん。
『しなくてもいいけど、後で知りたいことがあったとき、下手をすると勉強する学校にさえ行けないかもしれないから』
ある一定の学歴だの知識だのがないと、学校に入ることもそれを理解することも勉強するためのお金も稼げないわけですが、平たく言うと、『知る権利』すら手に入らなくなるからなのです。
こどもはえてして「そんなものいらない」と反論してくるわけですね。大人になると、それがいかに得がたい貴重なものであるかよくわかるわけですが…。
しかし自分自身の中で、ともすればこれをおざなりにしがちなことにも気づくことができたのはこの質問の中で大きな収穫だったと思います。
そういう「知る」という行為が楽しいということをまずは認識させてあげてから、「知る」と「勉強する」は行為としてとても近いことだよということを教えてあげてはいかがでしょうか?
でも本当に数式がとけたり、昔あった歴史の物語を読んで同じ時代に何があったのかって年表を自分で作って想像したり、そういう楽しさが勉強していけば次々とでてくるよと思うんですよね。
大人になるときにすごくいい将来を選択肢に入れるために必要というのもありますけど、「知る」という行為が素朴に楽しい、新しいことっていうほうがモチベーションが上がるように思います
たくさんののっかりポイントで助けてくださったsatosuさん、kmyken1さん、匿名さん達、本当にありがとうございました。ちょっと体調を崩してしまってしばらくネットができなかったのですが、その間に質問が締め切られていました…。せめて全件オープンというかたちで活用させていただいてよろしいでしょうか。本当にごめんなさい…。
ポイント配分の基準ですが、基本を10ポイントとし、私が思いつかなかった視点からのご回答で、かつ実際にこどもと話すときに使えると判断したものに+10ポイントの20ポイント配分させていただきました。
こどもと話すとき、というより自分自身のためになったと感じたご回答には+5ポイントの15ポイントです。
また、質問から少しずれているな、というご回答には?2ポイントの8ポイントをつけさせていただきました。ごめんなさい。(しかし後で気づいたのですが、回答オープンで無条件に10ポイント送信することを考えたら最低10ポイントは差し上げるべきだったのかも…)
たくさんののっかりをいただいたことを考えてのポイント配分を心がけました。主観に偏っているところも多々あるかと思いますが…。
ふと思ったのですが、子供相手に「使える」「論」という私のこれまでの思考がまず安直過ぎるというか、対話する姿勢じゃないなぁと。
>ふと思ったのですが、子供相手に「使える」「論」という私のこれまでの思考がまず安直過ぎるというか、対話する姿勢じゃないなぁと。
子供に「君は何も知らない」ってことを理解させないとね。ちょっと知った位では意味がないってことを判らせてあげないといけない。無理矢理詰め込んで、つまり勉めさせ強いることで、多少知ったところで意味はないってことなんだな。求めたら与えられる...特に知識や動作の習熟(運動)については...というのが、子供の頃の特権。大人になると、求めるにしても対価(時間やお金や思想の変更)が必要になるってことね。
どんなに具体的であったとしても、あまりにも自分の経験・知識とかけ離れた話では想像することも出来ませんからね。
【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられました。
はてなブックマーク経由で。何かを考え始めるきっかけとして良いエントリー群。 分裂勘違い君劇場 - 魔女狩りをする浦島太郎 福耳コラム - 適応できない日本人たち 分裂勘違い君劇場グ
小学校低学年の学習塾で教える内容の実際は知らないが、この頃の子どもにもっとも必要な「勉強」は、読み・書き・計算の徹底的な反復練習だろう。大人がやる「勉強」が高効率でできる
今日は、前回(チョイスセオリーモデル)の表の見方を書こうと思っていましたが、ネットで面白い話題で盛り上がっていたので、予定を変更して参戦してみます。
「どうして勉強しなきゃいけないの?」人力検索はてな というページでこんな質問が投稿されていました。もう2005年の夏頃のことです。様々な回答意見が寄せられ、投稿した本人も

 

[ 562] 職場でのお昼ごはん、あなたはどうしてる? | エキサイトニュース
[引用サイト]  http://www.excite.co.jp/News/bit/00091170310564.html

職場などで一緒に昼ごはんを食べる相手がいないことを過度なストレスと感じる「ランチメイト症候群(ランチタイム症候群)」の人が増えているらしい。そういえば、篠原涼子主演でいま話題のドラマ『ハケンの品格』にも、加藤あいと板谷由夏が「ひとりでランチできない」というエピソードがありましたよね! ひとりランチがイヤなあまり、派手めの派遣女子社員グループに入って2,000円もするランチを余儀なくされたり、後輩におごってあげることでやっとランチを共にしてもらったり……とても人ごととは思えなかったという人(私ですが)もいたのではないでしょうか。この症例、ひどくなると一人で食事をする姿を同僚に見られないようトイレなどに隠れて食べたり、それが原因で仕事を辞めることさえあるんですってよ! そこで、周囲の会社勤めをしている20〜30代の友人知人(男女各20名ずつ)に職場でのお昼ごはんをどうしているかアンケートをとってみました。もちろん、日によってまちまちという人もいるので、トータルに考えていちばん多いパターンはこれだ、というものを選ぶ方式に。まず、女子の場合。1位…お弁当、パンなどを同僚と社内で食べる…7名2位…同僚と外食する…6名3位…お弁当、パンなどをひとりで社内で食べる…3名4位…社員食堂で同僚と食べる…2名4位…ひとりで外食する…2人という結果に。新人のときほど同僚と群れる傾向にあり、同じ職場にいる年数やポジションが上がるにつれ「ひとりランチ」もじょじょに平気になる傾向にあるようだ。ちなみに、3位の「お弁当、パンなどをひとりで社内で食べる」と回答した人はいずれも接客業で、スタッフが交代でお昼を食べなければいけないのでおのずとひとりになる……といった事情もあるようでした。なお、某大企業に勤める知人などはお昼ごはんを食べにいく相手をメール等を駆使して朝からキープしておいたり、いつも一緒に食べている子が病欠のときなど「お昼ごはん、どうしよう??」と、心配のあまり仕事がなにも手につかないことさえあるらしい。いずれにしても、やはりランチタイムも就業時間内と考え、ひとりの時間を満喫するよりはなるべく同僚とコミュニケーションをとろうとする傾向にあるようだ。一方、男子の結果。1位…同僚と外食する…8名2位…お弁当、パンなどをひとりで社内で食べる…6名3位…ひとりで外食する…4人4位…お弁当、パンなどを同僚と社内で食べる…1人4位…社員食堂で同僚と食べる…1名といった感じ。男子は女子が感じるほどの「ひとりランチは御法度」的プレッシャーは感じていない印象を受けた。ところで、このテの話題が出ると必ず「大人なんだから、ランチくらいひとりで食べれば?」といった意見を述べる人がいるが、プライベートでいくら「おひとりさま」が大好きな人でも、職場での限定された1時間をどう過ごすかということはまた別問題という気はする。いつもひとりでランチをとっていると「◯◯部の◯◯さんって、〜〜らしいよ」といった社内の噂話や、上層部あるいは得意先の動向など知っておいたほうがいい裏情報もまったく入ってこなさそうだし。第一、会社という集団に属していながら、まったく人目が気にならないなんて人はいないだろう。たかがランチ、されどランチ、なんですね。あなたは職場でのお昼ごはん、どうしてます?(ランチの女王)
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[ 563] どうしてプログラマに・・・プログラムが書けないのか?
[引用サイト]  http://www.aoky.net/articles/jeff_atwood/why_cant_programmers_program.htm

私と同様、この著者は、プログラミングの仕事への応募者200人中199人はコードがまったく書けないということで苦労している。繰り返すが、彼らはどんなコードも書けないのだ。
彼が引用している著者というのはイムランのことで、彼は単純なプログラムも書けないプログラマをたくさん追い払っているということだ。
かなりの試行錯誤の末に、コードを書こうともがいている人たちというのは、単に大きな問題に対して苦労しているのではないことがわかった。やや小さな問題(連結リストを実装するというような)に対して苦労するということでさえない。彼らはまったくちっぽけな問題に苦労しているのだ。
ちゃんとしたプログラマであれば、これを実行するプログラムを2分とかからずに紙に書き出せるはずだ。怖い事実を聞きたい?  コンピュータサイエンス学科卒業生の過半数にはそれができないのだ。自称上級プログラマが答えを書くのに10-15分もかかっているのを見たこともある。
応募者の驚くほどの割合の人たちが、コンピュータサイエンスのマスターやPhDの学位を持っている人たちでさえ、面接で基本的なプログラミングのタスクをやらせたときにうまくできないでいる。たとえば
「1から10まで数えるループを書け」とか、「16進数でFの次の数は何か?」といった質問に答えられない大卒者を私は面接したことがある。そこまでひどくないにしても、実際的な問題を解くのに再帰が使えない候補者をたくさん面接してきた。これらは基本的なスキルであり、それを欠いた人に多くのプログラミング経験があるとは思えない。
採用候補者の面接をしなければならないソフトウェアエンジニアを代表して言わせてもらうと、我々はプログラムが書けない候補者と話をするのにうんざりしている。履歴書に載っている言語のそれぞれで1から10まで数えるループを書けて、電卓なして単純な算術ができ、実際的な問題を解くのに再帰が使えるのであれば、その時点であなたはすでに集団から抜け出していることになるのだ!
レジナルド、ダン、イムランの間にあって、私は少し心配になってきた。私はキャリアを始めたばかりのソフトウェア開発者たちを喜んで相手するつもりだ。誰だってどこかで始めなければならないのだ。しかし職に応募してくるプログラマと名乗る人間が最も簡単なプログラムさえ書けないという事実には驚き、困惑している。これはソフトウェアを書いて生計を立ててきた者には頬を叩かれるような経験だ。
プログラムを書ける者とプログラムを書けない者の間にある大きな溝についてはよく知られているが、プログラマの職に応募してくる人間は、すでにこの溝を飛び越えているものだとばかり思っていた。明らかにこれは妥当な仮定ではないらしい。プログラムを書けないプログラマの面接で時間を無駄にしないために、FizzBuzzスタイルのふるい分けが必要ということだ。
FizzBuzzテストが簡単すぎるとは思わない方がいい(実際意図的にバカみたいに簡単にしてあるわけだが)。イムランのポストにコメントした人が、このテストの有効性について書いている。
面接者がFizzBuzzテストを簡単すぎると思ってやらないことを残念に思う。私の経験で言えば、最も簡単なプログラミングタスクさえできない候補者の多さには、まったく驚くしかない。
最初に候補者の書いたコードを見ることもなくプログラマを面接するというのが、そもそもばかげたことなのかもしれない。私の会社では、コードサンプルなしには電話面接にさえ進めない。そして実地の面接では小さなコーディング問題をやらせている。心配しないで、難しいものではないから。1時間かそこらで小さなアプリケーションを型どおりに構築する基本的な課題をやるだけだ。1度か2度失敗はあったが、だいたいにおいてこの戦略はうまくいっている。
これによって、面接でくだらないパズル問題を使うのでなく、実際のソフトウェアエンジニアリングにフォーカスすることができる。
プログラムを実際に書けるプログラマを面接するという贅沢を享受するために、そんなに多くのふるい分けをしなければならないのは残念なことだ。おかしいくらいにがっかりする話だ。私は認定のようなものは好きでないが、スティーブ・マコネルがソフトウェアエンジニアリングの真の専門

 

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