騙しとは?/ ノーローン
[ 371] 内田樹の研究室: いかにして男は籠絡されるか/弱雀小僧 is come back
[引用サイト] http://blog.tatsuru.com/archives/001486.php
午後4時から始まった宴会では、Pちゃんのカルボナーラとチャーハンを食べた一同がそのあまりの美味さに「会社を辞めてコックになりなさい」という「ヤメロコール」を連発。 と上目遣い斜め45度の視線プラス「かなぴょんのポーズ」でまず80%の男は落ちると断言してよろしいであろう。 「才能」のひとことであえなく陥落する男たちは「自分には才能があるはずなのだが、世間のひとが認めてくれない」という事実にフラストレーションを抱いているからこそ、このひとことで籠絡されるわけであるが、そのような「自己評価」と「外部評価」のずれがある場合、高い確率で外部評価の方が適切であるということが難点と言えば難点である。 「才能」の甘言をもって陥落しない20%の男というのは、「自分には才能がないはずなので、この女は嘘をついている」と考える人間か、「自分にはあまりに才能がありすぎるからこそ世人の評価になじまないのであって、こんな女ごときに私の才能がわかるはずがない」と考える人間のいずれかであるが、前者は猜疑心が強すぎ、後者はバカなのでいずれも配偶者とするには足りないので無視してよろしいのである。 ただし「才能」路線で攻めた場合、これはあくまで「自己評価と外部評価に落差があること」が条件となっており、実際にはある程度社会的経験を積んで、適度に「練れてきた」男の中には「自分のバカさ」についてかなり適切な自己評価を下しているものがおり、その場合は、はかばかしい反応を示さないことがある。 だが、このような「練れた」男こそ配偶者にはふさわしいわけであるから、さらなる二次攻撃が展開されねばならないのである。 「こういう顔が好き」という女性が世界のどこかにいるかもしれない・・・という儚い期待を胸にすることなしに男は一秒とて生きることのできない悲しい生き物なのである。 だから、「あなたには才能があると思うの・・・」で落ちなかった男も、「私、あなたのルックスが好きなの」にはあっというまに崩れ去る。 なぜこれほど「ルックスへの言及」が効果的であるかというと、才能については外部評価が「学歴、IQ,年収、名声、威信」などという考量可能な指標で示されうるけれども、容貌には外部評価が存在しないからである。 容貌についての評価は「評価する者」と「評価される者」の対面的状況においてのみ意味をもつものであり、余人の容喙する余地はない。 私は若かりし頃、ある女性に「ウチダくんて性格最悪だけど、顔が好き」と言われたときにそのまま昏倒しそうになったことがある。 この女性はあるとき私のTシャツ姿をしみじみみながら「私、ウチダくんの三段腹が好き」と言ったこともある。 「いい人だけど顔はイマイチ」と言われるのと「ワルモノだけどいい男」と言われるのと、男たちはどちらを選ぶか。 というわけで、配偶者をお求めの女性諸君には、標的とされた男性については、まず「隠れたる才能を評価し」ついで「ルックスを称える」という二段構えで攻略した場合、たいへんに高い確率で所期の成果を挙げうるということをご教示しておきたい。 言っておくが、「人間的な暖かさ」とか「器量の大きさ」とか「優しさ」などというものについては、いくらほめられても男は微動だにしないので言うだけ無駄である。 なぜなら、そのような資質が自分にはゆたかに備わっていることをすべての男性はゆるぎなき自信をもって信じているからである。 「顔は便所のスリッパみたいだし、知能指数はネコレベルだけど、優しくて暖かいひとなの」などと言われて喜ぶ男は世界に存在しない。 男が待望しているのは、「それが備わっているのかどうか、ちょっとだけ自信がない」美質についての「保証」のひとことだけなのである。 しかるに多くの女性は(ほとんどの、と申し上げてもよろしいかもしれない)、親しくなった男性に対しては、まず「その浅学非才を指弾し」、つづいて「チャレンジドな容貌を嘲弄する」という挙に出る。 これをして「インティマシーの表現」と誤解している方が多いので、ここに声を大にして申し上げるが、男にむかって「あんたはバカなんだから」とか「ブッサイクな顔して」とかいうようなことを(たとえそれが事実であるにせよ)告知することは当該男性との良好な人間関係の構築には百害あって一利なしということを改めてご指摘させていただきたいと思うのである。 翌朝私が下川先生の稽古始めから戻ってきたら、ようやく起き出したその5人が朝ご飯を食べ終わった後だった。 越後屋さん、平尾選手、青山さん、シャドー影浦くんと会員たちが続々登場して、はやくも3時半に花園で第二試合キックオフ。 『麻雀王』、『麻雀力』(これは平尾選手からのご寄贈の由)などというハードコアなタイトルを冠した書物で理論武装して臨んだ青山さんであるが、本日も「未勝利」のまま地団駄踏みつつ次なるお仕事へ移動された。 東京から帰ってきて途中参加されたI田Y子先生との「遺恨試合」は今後も引き続きJ2リーグにホットな話題を提供してくれることであろう。 次郎くんとは19歳のときから22歳にかけて、それこそ飽きるほど麻雀を打ったが、私はかつてこれほど弱い打ち手に会ったことがない。 「感動的なまでに弱い」あるいは「美しいほど弱い」ということも世の中にはあるということを若き日の私に教えてくれたのはジローくんである。 隣町にいながら、多忙のためにこれまで連盟戦への招待をパスしてきたジローくんであるが、今回満を持して「必敗」の意気も高らかに芦屋スタジアムに登場されたのである。 33年ぶりに打ち合ったジローくんは昔と少しも変わらぬ「あーん、どれすてていいか、わかんないよお」と身もだえしつつ、あり得ない当たり牌をねらい澄ましたように叩き込むのであった。 五位は私の25(これは二抜けで「J2落ち」したときに、そのファーム独特の重苦しい毒気に当たられて大敗したのが祟ったのである)。 「負け組」については名誉のために詳細は記さないが、“弱雀小僧”以上に弱い打ち手が一人いたことを新春の椿事としてここに書き留めておくのである。 ぼんやりはてブを見ていたら、こんなリンクが…。男をオトすには、これが一番効きます。絶対です。もちろん [続きを読む] 男が「弱い」ポイントは「才能」のひとことである。「あなたには才能があるわ。他の人には見えなくても、私にはわかるの」 [続きを読む] 大学時代、時々コンパというものに出かけた。もちろんいやいやである。なんだか疑り深い視線を感じるが、ほんとにそうなんです。悪友とか後輩が「頼むから来てくれ」という... [続きを読む] なるほど。問題は、女性がいつまでこのスタイルを貫けるかということでは。恋愛初期では、このスタイルは実効力ががありますが、恋愛最盛期→結婚してからも、このスタイルを貫くのはなかなかしんどそう(苦笑) ちなみに私は、オトコですが、「容貌」については「体型はとても好き、でも顔はちょっと・・・」といわれたことがあります。たは。 新年いきなり疑義をはさむ不届き者の私でありますが、このロジックでは、才能、ルックスともに世間にすでに十分評価されている男性にたいしては無力だと思います。やはり女性が本当に落としたいのはこういう競争率が高い男性だと思いますし、言われた当人は悪い気はしないものの、あまり破壊力があるとも思えません。美人にむかって、お綺麗ですね。と言っても何か関係に劇的な変化がないのと同様に。 いやでも、性格だの人間性だのを褒められても、それは「いい人なんだけどね」的な空気が濃厚なのでちっともうれしくないのはご指摘のとおりです。要するに才能つまり生存競争において有利に働く要素やルックスを評価するというのは性的魅力を評価するということと等価であり、それに還元可能です。 逆にいうと、男を騙すには女性に性的魅力があればそれで必要十分であるというのがわたしの持論であります。 つまり、男性、女性ともに自らのセックスアピールを機能させたいという欲望があります。これがうまく機能しているかどうか不確定だと感じる個人は、自分のセックスアピールを認知してくれる相手を選び、それが機能していることを確定しようとします。 しかしながら、すでに十分セックスアピールが機能していると自覚のある個人はさらなる異性からの認知は必要がないので相手のセックスアピールを認めるという手法の効果はあまり期待できません。むしろ、自らのセックスアピールを洗練させる方が直接的でユニバーサルな手法なのです。 新年早々たいへん貴重なご意見ありがとうございました。たしかに今の恋人は僕の頼りない才能を評価してくれます。できれば逆バージョンもご教授していただけると、男性としてたいへん参考になるのですが。よろしくお願いいたします。 「宗教は全裸はダメですよ」という中沢新一先生の言が想起されました。才能がある、と目してくれる人がいるということは半裸の状態ですね。かくして教祖となった恋人(主に20代男性)は、甘やかしてもらったり、えばらしてもらったりしている内に、全裸になっていくのだと思います。 ――自分の才能は世間からは認められていないが、いずれはそれを発揮することができるはずだ。その才能を持っていることを認めてくれた彼女が好き。 ――自分のファルスは父から認められなかったが、いずれはそれを使うことができるはずだ。そのファルスを持っていることを認めてくれた彼女が好き。 ラカンの説によれば、男の子は、母の求めるファルスになりたい、と望みます。つまり、まるごと母に飲み込まれてしまいたい、まるごと母に欲望されたい、という願いですね。 ――ルックスは取り替えが聞かない。それは自分そのものだ。それを好きと言ってくれたということは、自分にまるごとほれてくれたということ。う〜、たまらんなあ…… 失せ物を探すみたいに探していた自分の大事なファルスを「ほら、これでしょ」と言って差し出されるようなもの。 (いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。) |
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